JR釜石線、全線開通70周年 希望乗せて未来へ

黒煙を噴き上げ、宮守川橋梁(めがね橋)を進むSL銀河=遠野市宮守町

 JR釜石線(花巻-釜石、90・2キロ)は10日、全線開通70周年を迎えた。かつて「移動に最低2日がかり」とも言われた内陸と沿岸を数時間で結び、戦後県土の発展をけん引。東日本大震災後は蒸気機関車「SL銀河」が駆け抜け、被災地に勇気を届けた。さらなる観光振興への期待も乗せ、今日も人々を運んでいく。

幸せ運ぶSL 誇り 元機関士・山口京三さん(遠野)

「SLと共に地域が盛り上がってほしい」と願う山口京三さん

 高度経済成長期の人々の夢や未来、震災復興への希望の光-。釜石線の70年は、蒸気機関車(SL)が歴史を彩ってきた。全線開通の当日にSLに乗り込んだ遠野市穀町の山口京三さん(91)は、その生き字引的存在だ。「いつの日も、幸せを運ぶ象徴であれ」。SLに人生を懸けた元機関士は、特別な思いで節目の日を迎えた。

 同市出身の山口さんは1944年、14歳で当時の国鉄釜石機関区に就職した。幼いころから夢見た機関士を目指し、翌45年に機関助士としてデビューするも、太平洋戦争の艦砲射撃を受け一時自宅待機に。言い知れぬ不安で、夜も眠れぬ日々が続いた。

 その後、他区間で経験を積み、迎えた50年の10月10日。遠野駅発の2番列車に機関助士として乗り込み、釜石駅へ向かった。

廃車を控えたSLの前で記念写真に納まる山口京三さん(左)=1970年(本人提供)

 列車は沿線最大の難所、仙人峠区間へ向けて勾配を上げていく。最後まで鉄道敷設が難航し、人々が徒歩での峠越えを余儀なくされていた場所だ。50度にもなる運転室では、汗だくも必至。弱冠21歳の青年は、懸命にスコップを動かし、石炭の量を調整した。

 「もう限界だ」。疲労がピークに達したころ、釜石駅に列車が入った。目に入ったのは、到着を待ちわびた住民の笑顔の輪。「俺は多くの人の人生を運んでいるんだ」。誇りと使命感で胸が熱くなった。

 6両の客車は、毎日満員だった。遠野から釜石製鉄所に通う人や、高校生、行商の人-。「人々の青春も、希望も、未来も詰まった空間」に映った。62年には機関士に昇格し、今思えば「熱に浮かされた」ような日々を駆け抜けた。

 その後は気動車の運転士も務め、55歳で引退。平成に入り、産業衰退や人口減少で活気を失う沿線地域を寂しげに思う毎日だった。追い打ちをかけるように2011年に東日本大震災が発生。「よもやのこと(廃線)」も頭をよぎった。

 やるせない思いを消化できない日々。ゆえに「SL復活」の報は、心からうれしかった。14年4月、震災復興への希望を乗せ、1940年製のSLを修復した「SL銀河」の定期運行が開始。駆け付けた遠野駅のにぎわいは、勝手知るかつての光景だった。

 週末を中心に運行されるSLが到着するたび、街には笑顔があふれる。「いつまでも誰もが憧れ、多くの人を運び、地域を盛り上げる存在であってほしい」。節目の日に、SLと共に再興する地域の未来を心から願う。

 

 JR釜石線 花巻-釜石駅間90・2キロを約2時間で結ぶ鉄道。1913年開業、15年全通の岩手軽便鉄道(花巻-仙人峠)がルーツで、36年に国鉄釜石線となった。沿線最大の難所・仙人峠区間の工事や線路幅の拡張が順次進み、50年10月10日に全線開通。87年にJRに継承された。現在は宮沢賢治生誕の花巻、民話のふるさと遠野、鍾乳洞の滝観洞を擁する住田・上有住地区、製鉄のまち釜石など本県を代表する観光地を結ぶ路線としても注目を集める。路線愛称は賢治の代表作・銀河鉄道の夜にちなんだ「銀河ドリームライン」で、各駅にはエスペラント語の愛称が付く。

レールに賢治の足跡

特別な場所、作品にも 土沢駅(花巻・東和町)

「銀河ステーション」の看板が掲げられたJR土沢駅前で歓談する宮沢賢治東和の会のメンバーら

 童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)の代表作の一つ、童話「銀河鉄道の夜」は釜石線の前身の岩手軽便(けいべん)鉄道と東北線がモデルの一つとされている。賢治は花巻市東和町の土沢駅を「銀河ステーション」と呼び、ひときわ愛着を持っていたようだ。

 詩「冬と銀河ステーション」では、賢治が1923(大正12)年12月3日に土沢の市日(いちび)を訪れた心象をスケッチしている。「冬の銀河軽便鉄道」や「にぎやかな土沢の冬の市日」という表現が登場する。

 同市矢沢の宮沢賢治記念館の牛崎敏哉学芸員(65)は「花巻駅を出発し、古い地質に向かって進む岩手軽便鉄道と宇宙が重なり合い、賢治さんは土沢駅を銀河ステーションと呼んでいた。銀河につながる鉄道という発想は斬新で、科学の進歩とともに作品の内容が次第に分かってきた」と説明する。

 宮沢賢治東和の会の小原節子会長(74)=同市東和町谷内=は「土沢駅は地域の高校生や会社員にとって欠かせない交通手段だったと聞いている。賢治さんのイーハトーブのイメージが、ここに来ると感じられる」と思いをはせる。

苦難重ねた仙人峠 迂回ルートで克服、全通

かごに客を乗せて仙人峠駅と陸中大橋駅間の山道を移動する一行。釜石線全線開通までは人力で峠を越えた(鉄の歴史館提供)

 釜石線全線開通の最大の難関は、釜石と遠野にまたがる標高887メートルの仙人峠だった。結局は立ちはだかる高い壁を迂回(うかい)するようルートを変更し、1936年の着工から完成までに14年余りを費やした。

 一本につながるまでは、西側(花巻-仙人峠駅間)と、東側(陸中大橋-釜石駅間)の乗り継ぎは一苦労。標高差300メートルの駅間を徒歩か個人経営のかごに乗って移動した。山越えには約3時間かかり、道中には茶屋もあった。荷物はロープウエーで運んだ。

 戦時中の資材不足も影響し、出口が見えない工事の転機となったのは48年のアイオン台風だった。盛岡と宮古、釜石を結ぶ山田線が大きく被災し、代替路線として釜石線が注目された。思案の末に実現したのは住田町の上有住を経由してΩ(オメガ)カーブを描くルート。これにより仙人峠駅は廃止され、悲願の全線開通を成し遂げた。

 釜石線が戦後の製鉄業の繁栄に果たした役割は大きい。釜石市世界遺産課の森一欽(かずよし)課長補佐は「市外に住む製鉄所従業員も多く、全線開通は労働者の円滑な移動に貢献した」と説明する。

「踊る文字」列車華やかに 小林覚さん(釜石出身)デザイン

小林覚さんが手掛けた全線開通70周年を祝うラッピング列車

小林 覚さん

 釜石線の全線開通70周年を記念したラッピング列車が8月から走り、沿線を華やかに彩っている。釜石市箱崎町出身で、花巻市のるんびにい美術館のアトリエで活動している小林覚(さとる)さん(31)がデザイン。沿岸部と内陸部をつなぐ新たな象徴としての期待が込められている。

 自閉症の小林さんは、踊るような独自の字体「サトル文字」を操る芸術家。目を凝らすと一つの絵のように文字が浮かび上がるのが特徴で、デザインに隠された「釜石線70周年記念銀河ドリームライン」の文字を探し出すのも一興だ。

 ラッピング列車は釜石市の岩手銀行中妻支店の取引先でつくる中妻岩友会(小泉嘉明会長)が提案、協賛して実現した。小泉会長(74)は「新型コロナウイルス感染症の影響で暗い話題が多い中、地域の希望を生む列車になった」と感謝する。

 運行は3月中旬までの予定。日ごろから児童生徒との交流を大切にしてきた小林さんは、多くの子どもの乗車を願っている。

釜石線全線開業70周年を心よりお祝い申し上げます。

釜石線沿線広域エリア活性化委員会

岩手県知事
達増 拓也

 釜石線全線開通70年の節目を迎えたことに対し、心よりお祝いを申し上げます。1950年の開通以来、地域の日常生活の貴重な交通手段の役割を担い、現在は宮沢賢治ゆかりの花巻、民話のふるさと遠野、製鉄とラグビーの釜石をつなぐ観光路線としても走り続けています。これもひとえに、地域の皆様の御理解と関係各位の御支援の賜物であり、深く敬意を表しますとともに、今後も新たな歴史を築いていくことを期待申し上げます。


花巻市長
上田 東一

 釜石線全線開業70周年、誠におめでとうございます。釜石線は、戦後復興が本格化する中で内陸と沿岸を一本の線路で結び、たくさんの方々の夢や希望、未来を運んできました。70年経った今もなお、重要な交通手段となっているほか、SL銀河に代表されるように観光振興にも貢献していただいております。今後も80周年さらには100周年に向け、地域の皆様に愛されながら、お客様の笑顔を乗せて力強く走り続けることを期待しております。


遠野市長
本田 敏秋

 釜石線全線開業から70周年を迎えられましたこと、心からお祝い申し上げます。現在、「銀河ドリームライン釜石線」の愛称で親しまれているJR釜石線は、当時開通を待ち望む市民の文字通り「夢」でした。以後、生活の足として沿線のみならず県民の夢を運び続け、県内の産業・経済の発展に寄与された功績は多大です。今後も沿線地域の産業振興・交流人口拡大にご尽力賜りますようお願いし、お祝い申し上げます。


住田町長
神田 謙一

 釜石線全線開通70周年を迎えられましたこと、心よりお慶び申し上げます。本町にとりましても釜石線は、学生の通学や町を代表する観光地「滝観洞」への移動手段として、なくてはならない大切な路線であり、その重要性は今も昔も、そしてこれからも変わらないものと確信しております。全線開通にご尽力いただいた全ての関係者へ敬意を表しますとともに、釜石線の今後さらなるご発展を心よりご祈念申し上げます。


釜石市長
野田 武則

 釜石線が全線開通70周年を迎えられましたことを、心からお喜び申し上げます。70年前、最大の難所であった仙人峠を克服し、成し遂げられた釜石線開通は、沿岸と内陸の距離を飛躍的に短縮しました。以後、社会生活基盤の確保と産業経済の発展を力強く後押しし、当市の未来を切り開くとともに、観光振興活性化への多大なる貢献は感謝の念に堪えません。これからも地域に根ざした主要交通として更なる発展を祈念いたします。


大槌町長
平野 公三

 釜石線全線開業70周年まことにおめでとうございます。この晴れやかな慶事が、沿線広域エリアへの関心を更に高める契機と感じております。当路線の起源は明治初頭に求められ、以降、郷土の先人の努力により鉄路が延伸し、令和の現在に至るまで、内陸と沿岸を結ぶ重要な交通網の位置を占めておられます。今後も観光、通学、通勤、通院、そして買物の大切な公共交通機関として、次なる長久の歴史と文化を紡がれるよう祈念します。