「ポートまえの」で食べなきゃ
私の復興は終わらない、
そのお客は微笑んだ。

 2020年10月18日。その洋食店は、再びオープンした。たった一日だけの復活だった。

震災当時の店舗(2011年3月)

 店の名は「ポートまえの」。震災前、釜石で前野隆彦さんが営んでいた洋食店だ。木のぬくもりが感じられるこだわりの店は、いつもお客さんの笑顔であふれていた。

 2011年3月11日。海岸からわずか100メートルの場所に建つ「ポートまえの」を津波が飲み込んだ。一瞬にして、前野さんの人生そのものだった店は無残な姿に変わり果てた。母と姉と一緒に盛岡へ避難。必死に生きた。そして、一歩一歩、前へと進んだ。知り合いのつてで病院の調理補助として働きだした。やがて50歳を超えてから思いがけない縁に恵まれ結婚し、子どもも授かった。ただ、いつも、心のどこかに「ポートまえの」があった。

 あの日から、もうすぐ10年。

 故郷に、自分の店を懐かしく思ってくれる人たちがいることを知った。もう一度、あの味を食べたいと思ってくれる人たちがいることを知った。

廃業時に書いた手紙

 みんなの記憶に残る「ポートまえの」の味を、もう一度だけ届けたい。

 かつての店の近くにできた釜石の魚河岸テラスの一角を借りて、一日限定の食堂をオープンすることになった。開店前日、今は更地となった店舗の跡地に立った。大地を踏みしめながら、あれからの日々を思い返した。先の見えない生活が不安だったこと。それでも人のやさしさに救われたこと。自分の人生は、失ったものだけでない。改めて、そう思えた。

 開店当日。

 なつかしい常連客たちが店を訪れてくれた。あの日から、一人ひとりが、それぞれの震災後を生きてきた。みんなは舌鼓を打ちながら「ポートまえの」への特別な想いを語ってくれた。

 「結婚する前は夕食を食べに、結婚してからは子どもを連れて通っていました。いつも、きょう注文した『ハンピラB』でした。ポイントカードも捨てられずに持っています。家族で食べに来ることができて本当によかった」

-後藤圭さん 釜石市新浜町 47歳(美幸さん 48歳、和心ちゃん 12歳、心真くん 7歳と来店)

 「ポートまえので食べなきゃ私の復興は終わらない!と思っていたので、本当に懐かしくて涙が出ます」

-岩鼻千代美さん 釜石市鵜住居町 47歳

 「よく子どもたちを連れてパフェを食べにきたなぁ。きょうはこの辺りが、昔みたいに活気が戻ったように感じます」

-江刺伯さん 釜石市只越町 67歳

 みんなの顔を見ると泣けてくるからと、前野さんは厨房に立ち続けた。そして、ハンバーグピラフとオムライスハンバーグ計60食を振る舞った。

 特別な一日を終えて前野さんは語った。

 「神様からのご褒美みたいな時間でした。お世話になった方々に直接、感謝の気持ちを伝えることができました。過去の全部があったから、今がある。出会った今までの人も含め、すべてにちゃんと意味があるのだと思います。自分の生き方は間違ってなかった、と思うことができました」

 震災のあの日から、ここまで生きてきた。そして、やっと「いまが、いちばん幸せ」と思えるようになった。一日だけの再開ではあったが、その店の味は、きっと一生みんなの心の中に残っていく。

協力:釜石・魚河岸テラス「café&bar umineco」

 当日のテイクアウト売り上げ金は全額、前野さんの「ふるさとのこれからに役立ててほしい」との意思で、「かまいし絆会議」に寄付されました。