啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」

紡いだ言葉、輝く8人
 岩手日報随筆賞贈呈式 

 岩手日報社主催の第13回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」贈呈式は21日、盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで行われた。

 受賞者、来賓、歴代受賞者ら約50人が出席した。東根千万億(あずまねちまお)社長が最優秀賞の盛岡市の国崎萌子(もえこ)さん(16)=盛岡三高2年=に正賞のブロンズ像「星の雫(しずく)」(照井栄さん制作)と賞状、賞金20万円を贈った。

 優秀賞の盛岡市の熊谷千佳子さん(60)、花巻市の菅原弘行さん(63)、一戸町の圃田(はたけだ)百恵さん(21)=岩手大4年=に賞状と賞金5万円、佳作の花巻市の駒場恒雄さん(72)、花巻市の平沢裕子さん(75)、盛岡市の白倉加津子さん(49)に賞状と賞金3万円を贈呈。20歳未満が対象の奨励賞は、矢巾町の北林紗季さん(18)=岩手大1年=に賞状と図書カード(1万円相当)を贈った。

 東根社長は「今回は16歳の国崎さんが最優秀賞に輝いたほか、70代までの幅広い世代が受賞した。芥川賞の連続受賞などで注目を集めている岩手の文芸のさらなる可能性を感じる」とたたえた。達増知事(代読)、真下卓也IBC岩手放送取締役放送本部長、選考委員長の詩人城戸朱理さんが祝辞。

 最優秀賞の国崎さんは「この賞は自分だけのものではない。先生や先輩、家族、友人、後輩などたくさんの方々のおかげだと思う。これからも絆を大切に執筆にまい進していきたい」とあいさつした。

 今回の応募は125編。城戸さん、作家平谷美樹さん、エッセイスト千葉万美子さんが審査した。

【写真=第13回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」を受賞した(前列左から)優秀賞・菅原弘行さん、最優秀賞・国崎萌子さん、優秀賞・熊谷千佳子さん、佳作・駒場恒雄さん、(後列左から)佳作・白倉加津子さん、優秀賞・圃田百恵さんの父・清和さん、佳作・平沢裕子さん、奨励賞・北林紗季さん=21日、盛岡市・盛岡グランドホテル】

(2018.7.22)


第13回岩手日報随筆賞決まる
 

 岩手日報社主催の第13回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」の入選者が決まりました。

 最優秀賞は盛岡市下米内1丁目、盛岡三高2年国崎萌子(もえこ)さん(16)の「サイダー」が選ばれました。優秀賞は盛岡市上田1丁目、家事手伝い熊谷千佳子さん(60)の「消灯私邸」、花巻市南万丁目、会社員菅原弘行さん(63)の「母ちゃんのリヤカー」、一戸町一戸、岩手大4年圃田(はたけだ)百恵さん(21)の「たったひとつの恩返し」の3編です。

 佳作は、花巻市二枚橋、駒場恒雄さん(72)の「闘病を支えた賢治作品」、花巻市大迫町大迫、平沢裕子さん(75)の「心から笑える日」、盛岡市中ノ橋通1丁目、主婦白倉加津子さん(49)の「娘からの手紙」の3編。将来が期待される20歳未満の応募者が対象の奨励賞は矢巾町南矢幅、岩手大1年北林紗季さん(18)の「お先にどうぞ」が選ばれました。

 贈呈式は21日午前11時から盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで行います。最優秀賞の国崎さんに正賞のブロンズ像「星の雫」(照井栄さん制作)と賞状、賞金20万円、優秀賞3人に賞状と賞金5万円、佳作3人に賞状と賞金3万円、奨励賞は賞状と図書カード(1万円相当)がそれぞれ贈られます。

 今回の応募総数は125編。社内の予備選考を経た16編について、選考委員の詩人城戸朱理さん(委員長、神奈川県鎌倉市、盛岡市出身)、作家平谷美樹さん(金ケ崎町)、エッセイスト千葉万美子さん(一関市)が審査しました。

(2018.7.14)


第13回啄木・賢治のふるさと
「岩手日報随筆賞」
受賞者と作品紹介
 
 啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」は第13回の今年125編の応募があった。選考委員の城戸朱理さん、平谷美樹さん、千葉万美子さんが6月20日、本社で選考会を開き、予備選考を通過した16編から最優秀賞1編、優秀賞3編、佳作3編、20歳未満の応募者が対象の奨励賞1編を選んだ。最優秀賞と優秀賞を紹介する。

《選評》 普遍的題材に清涼感

 わが国で、初めて随筆と題された書物は室町時代の『東斎随筆』だという。

 著者は十五世紀の人、一条兼良。しかし、『東斎随筆』は故事や雑談を集成したもので、私たちが考える随筆とは異なるものである。

 随筆は小説でも詩でもない。その意味するところは筆にまかせて思いを語るというものであり、どんなことでも題材になりうる。たとえば、こんがりと焼けたトーストに溶けていくバターであれ、雨上がりの一輪の花であれ、随筆の題材になりうるのだが、応募作は身近な人の死や介護など、重いテーマのものが多く、多様性に欠けるのが惜しまれる。

 そうしたなかで、最優秀賞の国崎萌子さん「サイダー」の清新さは際立っていた。

 この作品は平谷美樹委員が文章の完成度の高さを称賛し、千葉万美子委員が、若者らしい悩みに見えながら、いくつになっても起こりうる普遍的なテーマであることを評価したが、タイトルのような清涼感に満ちた作品である。

 優秀賞の熊谷千佳子さん「消灯私邸」は、老夫婦の愛情の深さを思いがけない言葉をきっかけに紡いで、読み応えがあった。「ショートステイ」を「消灯私邸」と日記に記した父。老いた妻から、かたときも離れたくないという気持ちが巧みに描かれている。

 ただ、冒頭の万年青(おもと)や盆栽についての記述が、やや冗漫に感じられた。

 菅原弘行さんの「母ちゃんのリヤカー」は、昭和を生きた人ならではの回想である。まだ日本が貧しかったころ。農作業が一段落して野菜の行商に行く母を手伝った思い出が、なぜか豊かなものに思えるのは私だけだろうか。

 圃田百恵さんの「たったひとつの恩返し」は、大学生活最後の吹奏楽の演奏会に寄せる思いを生き生きと描いて、好感が持てた。作者の気持ちの変化を、もっと劇的に描けば、さらにいい作品になったことだろう。

(城戸朱理選考委員長)


最優秀賞

サ イ ダ ー

国崎 萌子

 追いつきたい人がいる。決して手を伸ばしても届かない、例えるならばサイダーの泡一つ一つをつかむような、無謀とも言える私の願望。それでも私は彼女になりたかった。

 サイダーの
 軽き泡から差してくる
 光のように生まれたならば

 短歌を考えていた。近々短歌甲子園予選の締め切りで、部室に数人の仲間と集まって知恵を絞っていた。いくつか作品ができたものの、どれも満足のいく短歌とは言えなかった。私は一度頭を休ませようとペンを置き、部室中をぐるりと眺める。先日購入されたばかりの時計、その下に貼られた一枚の写真に目をとめた。写っているのはFさん。昨年度卒業した文芸部の先輩で、全国高等学校文芸コンクール小説部門で最優秀賞に輝いた実績を持つ。そういえば彼女は短歌も上手だった。

 私は入部してすぐ彼女の作品を見て、それからずっと彼女のような作品を作りたいと意気込んでいた。しかし実際作品を作る立場になって理解した。私に彼女のような才能はない。小説を執筆すればするほど、短歌を詠めば詠むほど、浮き彫りになる能力の差がひどく苦しかった。もしこの場にいるのが私ではなく彼女だったなら、もっと素晴らしい短歌ができたのだろうか。結局その日は集中力が続かず、仲間に断りを入れて部室を退散することにした。

 「なんか元気ないね、疲れてる?」

 私にそう声を掛けてきたのは英会話教室の先生である。先生は生徒のことをよく見ていて、レッスン前には度々話しかけてくる。私は短歌甲子園が近いこと、それなのに自分が満足いくような短歌が作れないことを漏らした。先生は少し考えてから、

 「僕は文芸とか分からないけど、どういうものが満足いく短歌なのかな」

 と尋ねてきた。私が目指しているのはFさんのような作品である。一見型破りな作風でありながら、伝統的な技巧を凝らした王道。彼女の作品には何か心に響くものがある。私にはそれがない。きっとそれが、私が自分の短歌に満足できない理由なのだろう。

 「心に感じ入る何かがある、とかですかね」

 先生の問いには曖昧な答えしか返すことができなかった。先生もそれ以上深く追及することはせず、そのままテキストを開いた。

 淡々と
 ボトルを叩くサイダーの泡と
 透明な自意識と

 Fさんは自身の作品の中で、青春とはサイダーのようなものだと語っていた。泡が生まれてははじけ、はじけては生まれる。そのはかなくも力強いきらめきは私たち高校生のようだと。サイダーの無数の泡はFさんのようだ。次々に浮かぶ才能は美しくはじけ、彼女らしさをその場に残す。彼女がうらやましかった。私は彼女になりたかった。

 「そういえば短歌どうなったの、できた?」

 翌週再び訪れた英会話教室で、先生が話しかけてきた。

 「いや、正直なところ先週と何も変わっていなくて。えっと、なんて言うか詠んでいるとFさんが浮かんじゃうんですよ。私がFさんだったらなって」

 先生はFさんのことをよく知っている。私が毎週ここに来るたびに、部活、とくにFさんの作品や賞について語ったからだ。

 「やっぱり圧倒的な才能ってあると思うんです。それがうらやましい」

 声にして出すたびに、自分がいかに醜いことを考えているかを改めて突き付けられる。先生は静かに口を開いた。

 「誰かと同じになるってのは無理なんだよね」

 分かっている。自分でも痛いくらいに。

 「でもほかの人がうらやましいってのも分かる。だから目指す方向は同じにして、目指すゴールを違うものに変えればいいんだよ」

 頭に疑問符を浮かべた私に、先生は

 「ゴールはFさんの先に決まっているだろう、追い越すんだよ」

 と付け加えた。簡単に言ってくれる。彼女を超えるなどどれほど難しいか。それでもその目標に燃えている自分がいた。

 ひと夏や
 揺れるサイダー飲み干して
 あなたを超えた風になりたい

 追いつきたい人がいた。そして今、追い越したい人がいる。私はサイダーにはなれないが、サイダーを飲み干してしまえるような存在になることはできる。

《横顔》 文芸部の精神、大切に

 「うれしいというより、驚きで声が出なかった。やっと実感が出てきたところです」。初めての応募で最優秀賞。一報を受けた時の気持ちを振り返り、はにかむように笑う。

 高校生の最優秀賞受賞は2人目。2012年に選ばれた工藤玲音(れいん)さんも当時、同じ盛岡三高の文芸部に所属していた。全国でも活躍する本県の文芸部。先輩に刺激を受け、後輩が奮起する流れが生まれている。

 元々は文学に興味はなく、創作活動は高校から。「運動部は無理だと思って、どこかの文化部に入ろうと考えていた」。見学に行ったのは写真部だったが、部室が同じ文芸部の先輩から声をかけられた。それが受賞作に登場する「Fさん」だった。部誌を読み「高校生にこんな作品が書けるのか」と感動。入部の決め手となった。

 多くを語ることが苦手で、短歌や俳句の簡潔さが好きだった。応募のため本腰を入れて随筆に取り組むうち、自然とテーマが固まった。「随筆は自分を振り返ることができる。ゼロから創作するより自分に引き寄せて表現する方が得意なので、そこが合っていたのかも」。今しか書けない心の揺れを素直にぶつけた。

 応募前、部員の数人にだけ受賞作を見せた。後輩からは締めを急ぎすぎと鋭い指摘も。「先輩も後輩も関係なく思ったことを言ってくれる」と感謝する。普段の作品の執筆も、視聴覚室のパソコンを囲んで批評し合いながらする。仲間の存在が創作の助けになっている。

 今後の課題は、小説でゼロからの創作に挑戦すること。随筆では一瞬一瞬の気持ちを形にしたいと考えている。「先輩から『賞にこだわりすぎるな』と伝えられている。自分が書きたいものを書こうと思う」。文芸部の精神を胸に刻む。

 将来、文学の道に進む予定はないが、創作活動は続けていくつもりだ。受賞作は、憧れの人に追い付くのではなく追い越す決意で締めくくられる。「私が先輩の作品で文芸部に入ったように、読んだ人を変えられるような作品を書きたい」と新たな目標を見据える。

 【くにさき・もえこ】 下小路中を卒業し盛岡三高に進む。文芸部所属。2017年、第32回全国高校文芸コンクール文芸部誌部門で「黎(れい)」第17号が最優秀賞。盛岡市下米内1丁目。16歳。同市生まれ。


優秀賞

消 灯 私 邸

熊谷千佳子

 父が亡くなった後、残された植木や盆栽の数々をどうしたらよいか思い悩んだ。特に好きだった万年青(おもと)は20鉢以上もある。とりあえず伸び放題の庭木の剪定(せんてい)を頼んだら、その人は仕事が丁寧でうまく、木々はみるみるさっぱりときれいに整えられた。

 万年青や盆栽のことを聞くと「さつきは地植えにしてもよいけど万年青はやったことないんだよね。これはみんな斑(ふ)入りの珍しいものだものかなりお好きだったんですね」と言われて初めて斑入りということに気付いた。特に小さいものは葉がねじれていたり斑なのか枯れているのかわからないほど生気がなく、ちょっと触ったら根から抜けてしまったりと散々なありさまだ。

 確か父は越冬させるために発泡スチロールに入れ小屋に運んでいたように思うがそれがいつなのか、その前に水を控えるのか春はいつ頃出すのかなどまったく見当もつかない。形見と思えばなんとか生かしてあげなくてはならないと半ば義務感にかられた。

 父の5年日記を見てみることにする。それは作業日誌のようなもので庭のことだけでなく畑仕事も好きで、いつ何の苗を植えたとか収穫したと記してあるものだから日記とはいえちょっと拝見してもいいような気がした。

 几帳面(きちょうめん)な父らしくその日の天気、気温、買った苗の値段などが書いてある。万年青について書かれているところを探していると「消灯私邸」という文字が何度も出てくる。「しょうとうしてい」とはなんなのか不思議に思ったがそれを突き止めるのは気が引けるのでとばしてページをめくった。しかし万年青は何十年も育てていたから「オモトしまう」としか書かれていない。どうしまうのかはわからずじまいだったが消灯私邸がどうも気になる。悪いと思ったがその文字の出てくるところを拾い読みしてみた。

 すると「消灯私邸心配でならない」「消灯私邸行く」とあり、ますます訳がわからない。感情を書き込むことがあまりないのに「心配でならない」というのはただ事ではない。

 漢文風に読めば私の家は灯(あか)りが消えているということか、四文字熟語か、行くというからには場所の名前か、父の日記を解き明かそうとする後ろめたい気持ちより知りたい気持ちが勝って考えこんでしまった。

 その時ハッとひらめいた。もしかしてショートステイのことではないか。母が要介護5になってから何度か利用したのだが父は大反対で説得する私に「今はいい」「まだいい」と拒否し続け、理由を尋ねると沈黙しそっぽを向いてしまう。そうなると私の気持ちは収まりどころがなく口調は厳しくなり、父と娘は母の介護についてお互いの心をかき回し、それぞれの情動でことごとく反発し合った。

 父は横文字には疎い、ショートステイが分からなかったのだろうか。新聞を読んでいてもコンプライアンスやリテラシーとはなんだと聞かれた。知識欲は旺盛なだけにもどかしかっただろう。

 そこに娘がショートステイ、ショートステイと早口でまくしたて、なんだとも聞けずに沈黙したのかもしれない。かみくだいて丁寧に短期のお泊まりと言うべきだったのか。

 私は消灯私邸がわかってひざをうつような気持ちから一転して父の悲哀がその四文字に込められているのを感じとった。父は母と離れたくなかったのだ。行かせたくないのに連れていかれてしまって、当て字なのか本当にそう思っていたのかは今となっては知る由もないがわが家の灯りが消えた気持ちは本当だったろう。

 父はお風呂に入る時も「ばっちゃ、おじいちゃんはお風呂に入ってくるからね、泣かないで待っててや」と子供に言うような口ぶりで、ほんの少しの不在も不安も感じさせたくないというふうだった。また父の作ったすいかを母に食べさせながら「おじいちゃんはおばあちゃんにうんとおいしいの食べさせようと思って一生懸命作ったんだよ」と紙芝居のように抑揚をつけ声をかける。母は返事がうまくできないけれどおいしい顔をして父を見る。父はその顔を見てうれしそうに笑う。

 毎日繰り出される、母をもり立てる父のちょっとしたあの手この手で二人の世界は幸せに枠取られていたのに娘はショートステイという一言でばっさりと引き離してしまった。

 「消灯私邸」というたった四文字で、父のやさしさは底なしで、夫婦の絆は娘の思う以上に強く、母のいない家は寂しく暗くやりきれないと雄弁に語っている。あまりに見事に語りつくしていて参りましたというさばさばした気持ちになるほどだ。

 日記を閉じて父の愛情の深さをチャージされた私は母と万年青どちらも手を尽くさなくてはと改めて思う。

 父はチャージとはなんだと言っていることだろう。

《横顔》 読み解いた父の愛情

 初受賞となった前回に続いて優秀賞に選ばれた。

 高校卒業後に進学し、東京で暮らしていたが、11年前に介護のために離職し、実家に戻った。要介護5の母親を優先し、元気な父親の気持ちを考える余裕がなかった日々。結局、先に旅立ったのは父親の方だった。

 残された万年青(おもと)を世話するために見た日記には、母親への愛情が記されていた。「日記から心を読み解き、書くことは少し後ろめたい気がしたが、父の愛情をリスペクトしつつまとめました」と執筆中の心境を明かす。

 題名にした「消灯私邸」の文字は、音を当てただけではない深い意味を感じさせる。「母に対する思いを謎めいた言葉で知ったとき、父の心を置き去りにしていたと思った。昨年は母への反省文だったが、今年は父への反省文かもしれない」

 盛岡市上田1丁目。60歳。同市出身。


優秀賞

母ちゃんのリヤカー

菅原 弘行

 当時、小学校4年生だった自分は、勉強そっちのけで野球に駆けっこに日が暮れるまで遊んでいた。そのおかげか、この頃からしだいに力が付いてきたようだ。人手が欲しい田植えや稲刈り、畑仕事などは働き手の一人として家族から頼られるようになっていた。当時、百姓仕事は祖父母と母でやっていた。父は土建業で家を空けることが多く、長男である自分が余計頼りにされた。日々の暮らしは決して楽ではなかったようだが、どの家でも同じようなもので、お互いに助け合いながら生活していたのだ。

 いつの頃からだったのだろうか、田んぼ仕事も終わり秋も深まると、母は近くの畑で育てた山芋や白菜、大根、ごぼうなどを収穫し、朝早くにリヤカーいっぱい積んで町まで売りに行った。

 母は家族のため必死だったのだろう。家事と田畑に明け暮れ、時折、リヤカーを引っ張って野菜を売りに行くのだった。自分のための時間など無い。そんな母を見ていると子供心にも、自然と手伝いたいと思うようになってきた。そして、町に行く母がどのように商売するのか興味があった。

 ある日、思い切って「明日かあちゃんと一緒に行く」と夕飯の時に言ったら、母は少し考えて「行ってみるが…」。おそらく力が付いてきた自分なら役に立つだろうと思ったに違いない。その晩はうれしくてなかなか寝付けなかった。

 翌朝、ぐっすり眠っていたところを揺り起こされ眠い目をこすりながら布団から出た。外はまだ暗い。母は、リヤカーの荷台いっぱいに白菜や大根、にんじん、長芋、ごぼう、ねぎなどを積んで、上からシートで覆った。リヤカーの先を、前掛けした母が引っ張り、ねぎや畑の土の匂いがする後ろを自分が押したのだった。

 母が作った黒砂糖たっぷりのがんづきを頬張りながら、でこぼこの砂利道を通り、傾いた木橋を渡り、急な坂を上る。町に着く頃にはすっかり日が昇っていた。このような大変な思いをして行商していたのかと思うと急に母がかわいそうに思えた。そして小柄な母は力持ちだなと変に感心したものだった。

 さっそく路地に入ると、あちこちからなじみのおばさんたちが集まり、おしゃべりしながら次から次へと買っていく。「この大根丸々と太ってたいしたもんだ」「その分オラが痩せたのさ」と母が冗談を言う、「そのにんじん、オラと同じで器量悪だから安くすっから」と普段見たことが無いい社交的で生き生きした母の一面を見た。数カ所移動するうちに、あれほどあった野菜がリヤカーから消えていた。この時、既に2時を回っていたのだ。「腹減ったべ、ごくろうさん」と言いながら小さな店に入り、たい焼きと牛乳を注文。間もなくあんこの香ばしい香りがするたい焼きが運ばれてきた。手にした熱々のたい焼きを頬張り牛乳で流し込む。うまい。この時ほどうまいと思ったのは後にも先にも無い。

 帰りは、軽くなったリヤカーにしがみついて、夕暮れが迫る家路を急いだ。家に着いた時にはすっかり日も落ちくたくたに疲れていたが、それでも初めて見た行商と母の意外な一面を見て面白かった。それとたい焼きの味も妙に口に残った。そしてまた行きたいと思った。

 その後も何度か付いて行ったが、ある日、傾いていた橋が通行止めになり、別の道を通らなければならなかった。その帰り道、自転車に乗った野球仲間の一団と出くわした。思わず下を向いたまま力いっぱい後ろを押す。突然、「さようなら」と言う声。恥ずかしい気持ちが全身を包む。それは貧しさの負い目だったのだろうか。それとも親孝行のように見られた気恥ずかしさだったのだろうか。その両方かもしれない。

 返す言葉も出ず、下を向いたまま家に着いた。この時、母は自分の気持ちを察したに違いない。その晩はお互い無口だった。でも母を悲しませたくなかった。今度出会ったらちゃんとあいさつしようと布団の中で思った。しかし、それ以来、連れて行ってもらえることは無かった。

 いつしか母の体力の衰えもあったのだろう、それから間もなく行商はやめた。高校生の頃「あれは大変じゃながったか」と聞いたことがあった。「大変だったけど商売は面白かったな~」。おそらく母にとって外の世界に触れられる貴重な機会であり、生活のためとストレス解消ができた時間だったのだろう。そして、自分はそんな母の手伝いができたことが何よりうれしかった。

 そんな病気知らずで、我慢強い母は十年前に膵臓(すいぞう)がんを患って旅立った。母愛用のリヤカーは今は無い。きっと天国に持って行ったんだ。きっと。

 今年も命日がもうすぐやってくる。たい焼きと牛乳をそっと供えてこようと思う。

《横顔》 懸命に生きた姿、思う

 小学生の頃、野菜の行商をした母親との思い出。いつもと違う道を通った日に友達と出会い、恥ずかしさを感じた苦い思いを心の中に抱えてきた。「書き残すことで、懸命に生きた母の姿を親交のあった人に分かってもらいたい」との思いを込めた。

 受賞連絡を受け、まず頭に浮かんだのは「貧しかった子ども時代が世の中に出てしまう」。それでも、その晩はうれしくて寝付けなかったという。

 県職員を退職する2016年まで3年間は宮古市に勤務した。単身棟に暮らし、気の向くままに書いた。時間ができたのを機に未完成だった話を書くことに決めて、応募締め切りぎりぎりまで文章を練った。

 自身の文章への評価は「基本ができていない」。受賞を機に「教室に通って勉強し、深い表現ができるよう努力したい」と意欲を見せる。

 花巻市南万丁目。63歳。一関市出身。


優秀賞

たったひとつの恩返し

圃田 百恵

 「本ベル入りまーす」

 舞台袖に響くこの一言で、空気が引き締まる。あちこちから聞こえていた笑い声はぴたりとやみ、舞台上のいすや譜面台までもが背筋を伸ばして立っているように見える。出番までの数十秒が永遠に感じられるような緊張感の中、舞台上からかすかに漏れる光に照らされたさまざまな楽器と、それを手に立つ硬直した仲間の背中を交互に眺める。「行ってらっしゃい」。ベルが鳴り終わるとスタッフの合図が出る。舞台袖の扉が開き、私たちは目がくらむような光が差す、広い世界に足を踏み入れる。

 舞台に出てからは本当にあっという間。仲間と奏でる幸せをかみ締めているうちに最後の演目になってしまう。楽しい時間は早く過ぎるというけれど、これはあまりにも早すぎて泣きたくなる。「楽しすぎるんだよ、バーカ」と声にならない言葉を大きく吸い込んだ息とともに楽器にぶつけ、渾身(こんしん)の想(おも)いを乗せて最後の音をのばしきる。指揮者の合図で立ち上がり、押し寄せてくる拍手の波を受け止めながら、私はいつもこう思うのだった。

 -ありがとう。

 「楽譜読めるならやってみない?」

 小学五年生の時。顧問の先生の一言をきっかけに、私は吹奏楽に出会った。当時転校したばかりで、なかなか友達の輪に入れなかった私。教室に居場所を探せず、学校がつまらなくて仕方なかった。だから吹奏楽なんて興味はなかったけれど、やってみたら面白いかも、と思い何となく始めた。でも、そこで過ごす時間は、「面白い」を通り越して「かけがえのない」ものを与えてくれた。気持ちをぶつけ合える仲間。想いを表現する楽しさ。音が人の心を動かすことの驚きと喜び。それらは最高、という言葉が陳腐に感じるくらい尊いものだった。だから、いつも舞台に立つと、自然に「ありがとう」があふれてきた。

 それから中学、高校、大学と、新しい仲間と何十回と舞台に立ち、音を奏でる喜びを味わってきた。そして昨年、大学生三年生になった私は、学生生活最後の演奏会を迎えた。

 「リハーサル始まるよ。動線にコードあるから気を付けてー」。慌ただしい舞台袖にひしめき合う、楽器を持った仲間たち。その中をタイムテーブル片手に、指示を伝えて回る私。

 最後の演奏会。でもそれは、私にとってスタッフとして臨む初めての演奏会になった。

 演奏会の数か月前に体を壊し、長らく練習に参加できなかった私。演奏会に出られないことは明らかで、いっそ吹奏楽をやめようかという考えも頭の中にはあった。でも、このままやめるのは罰が当たりそうな気がして、できなかった。私を殺風景な毎日から救ってくれた吹奏楽。仲間と一緒に舞台の上から見た素晴らしい景色の数々。どうしても吹奏楽に、仲間に恩返しがしたかった。

 そんな想いを胸に引き受けたスタッフの仕事。しかし、舞台袖の空気は殺伐としていていざ裏方に就くと、仲間と舞台に立てないことの寂しさや物足りなさが私の心を覆いつくした。心にぽっかりと穴が開いたようとはこういうことか、とふと舞台に目をやると、舞台と舞台袖を隔てる扉の小さな窓から、仲間の真剣な顔がちらりと見えた。「もっとよく見たい」。反射的にそう思った私は、急いで扉に歩み寄ると、窓にぎりぎりまで顔を寄せ、舞台上をしっかりと眺めた。

 その時、私は初めて仲間全員の顔を見た。演奏者として舞台に立っていた時には、背中しか見えなかった、視界にすら入らなかった仲間の顔。そこに並んでいたのは、穏やかな表情の中に、音に向かう熱い想いが見える、美しい顔だった。

 リハーサルが終わった後、私は楽屋に戻る人影を横目に、まだ熱気の残る舞台上を見つめたまま立ち尽くしていた。

-恩返し、って結局は吹奏楽への未練に振り回されていただけ。でもあの顔を見て今度こそ心を決めたよ。皆のために尽くす。私はどうしたい? 私に何ができる?

 本番十分前。仲間たちが続々と集まってきて、薄暗い舞台袖が一気に明るくなった。

 そして、笑い声が飛び交う、いつものにぎやかな時間の中に、あの一言が響きわたる。

 「本ベル入りまーす」

 空気が張り詰め、緊張が漂い始めた。

 「大丈夫、きっとうまくいく」

 私は心でつぶやいて、笑顔で仲間の顔を見渡した。私にできることは、仲間が楽しく演奏に臨めるよう、笑顔で舞台に送り出すこと。私はこのひとつに全身全霊を尽くす。これが吹奏楽への、仲間への恩返しになると信じて。

 本ベルが鳴り終わると、私は鼻から深く息を吸い込み、笑顔で口を開いた。

 「行ってらっしゃい!」

 扉の向こうのまぶしい世界に吸い込まれていく仲間の背中は、しゃんと自信に満ちあふれ、大きく、美しく、輝いて見えた。

《横顔》 仲間たちへ感謝託す

 「普段なかなか口に出しては伝えることができなかったので…」。小学校から大学まで続けた吹奏楽への思いと、仲間たちへの感謝の気持ちを文章に託した。

 裏方として舞台袖から見た景色には、音楽に向かう仲間たちの表情がしっかりと映っていた。「情景の描写にこだわった。事実や気持ちをただ羅列しないように気をつけて、臨場感を保ったまま、見たものや心の動きを伝えるように努力をした」と振り返る。

 執筆のきっかけは、賞の募集を新聞などで知ったこと。何かを書くことは元々好きだった。自分の作品が通用するのか力試しをしたくなり、初めて応募したという。

 岩手大教育学部4年次に在学中。小学校の教員を目指している。「書くことを楽しむ気持ちを大切にして、子どもたちとも一緒に書くことの魅力や面白さを味わっていきたい」

 一戸町一戸。21歳。同町出身。

第12回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 石川 啓子さん(奥州) 「父の作品」

  優秀賞 多田 有希さん(盛岡) 「痛みと生きていく」
      熊谷千佳子さん(盛岡) 「魔法のことば」
      山口トヨ子さん(花巻) 「のんべぇたちの攻防」

第11回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 吉田 澄江さん(盛岡) 「ワレモコウ」

  優秀賞 羽柴 香子さん(一関) 「父」
      熊谷 奈南さん(盛岡) 「石割桜」
      松本 幸子さん(金ケ崎) 「ねぎの花のように」

第10回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 高橋 久美さん(花巻) 「四月にツイート」

  優秀賞 高橋 政彦さん(盛岡) 「吸殻エレジー」
      上山 明美さん(田野畑) 「母が残してくれた、一枚の写真」
      武田 穂佳さん(滝沢) 「しるし」

第9回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 小川 クニさん(雫石) 「ゆりかごごっこ」

  優秀賞 佐藤 洋子さん(奥州) 「アゲハチョウ」
      高橋 久美さん(花巻) 「素敵な板挟み」
      山口トヨ子さん(花巻) 「おもかげ」

第8回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 田辺るり子さん(盛岡) 「たいせつな場所」

  優秀賞 稗貫 イサさん(花巻) 「結びの宿」
      太田代 公さん(北上) 「輪の中へ」
      武田 洋子さん(奥州) 「伝える喜び」

第7回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 工藤 玲音さん(盛岡三高) 「春の雨」

  優秀賞 伊藤由紀子さん(盛岡) 「川岸」
      吉田 澄江さん(盛岡) 「雲よ」
      中村キヨ子さん(宮古) 「父の講義」

第6回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 太田 崇さん(久慈) 「父の行程表」

  優秀賞 石川 啓子さん(奥州) 「引き継ぐ」
      大沼 勝雄さん(盛岡) 「津軽山唄」
      稗貫 イサさん(花巻) 「父の匂(にお)い」

第5回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 渡辺 治さん(雫石) 「一本の古クギ」

  優秀賞 鈴木 紀子さん(花巻) 「おやすみ、大好きなお母さん」
      沢内 建志さん(宮古) 「命の誕生」
      平松真紀子さん(釜石) 「熊さんの杉」

第4回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 小野まり子さん(金ケ崎) 「牛飼い、再び」

  優秀賞 神田由美子さん(奥州・水沢) 「花の町にて」
      佐藤 明美さん(盛岡) 「アルバム」
      吉田 真人さん(盛岡) 「ロレッタ」

第3回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 野中 康行さん(盛岡) 「リッチモンドの風」

  優秀賞 井手 厚子さん(盛岡) 「妹」
      上柿 早苗さん(盛岡) 「祈るとき」
      佐藤 勇子さん(金ケ崎) 「母の置土産(おきみやげ)」

第2回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 今野 紀昭さん(奥州・水沢区) 「ひつじ雲」

  優秀賞 野中 康行さん(盛岡) 「山王海」
      白金 英美さん(釜石) 「ミヤコワスレ」
      大木戸浩子さん(盛岡) 「『父の指』」

第1回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 三田地信一さん(宮古) 「母を恋(こ)うる歌」

  優秀賞 上田 敏雄さん(一戸) 「よみがえる化石」
      大木戸浩子さん(盛岡) 「遠い嫁ぎ先」
      野中 康行さん(盛岡) 「旅立ち」