啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」



第15回岩手日報随筆賞決まる
 

 岩手日報社主催の第15回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」の入選者が決まりました。

 最優秀賞は、釜石市定内町、主婦高橋芳江さん(65)の「母の裁ちバサミ」が選ばれました。優秀賞は、盛岡市北飯岡、小学校教諭平山奈子さん(36)の「思い馳せ」、矢巾町南矢幅、岩手大3年北林紗季さん(20)の「Undefined」、二戸市浄法寺町、事務職員土屋恵子さん(54)の「やさしい人」の3編です。

 佳作は、盛岡市みたけ、多田有希さん(29)の「ばあちゃんのはじめて」、盛岡市渋民、介護支援専門員工藤幸子(ゆきこ)さん(57)の「テクマクマヤコン」、滝沢市大釜風林、看護師沢内イツさん(74)の「いのちの授業」、遠野市下組町、農業中村友隆さん(29)の「はなことば」、盛岡市肴町、斎藤茂登子さん(57)の「春と遊ぶ」の5編です。20歳未満の応募者が対象の奨励賞は、花巻市石鳥谷町、盛岡四高2年佐藤良香(よしか)さん(16)の「届け続けること」が選ばれました。

 贈呈式は18日午前11時から盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで行います。最優秀賞は正賞のブロンズ像「星の雫」(照井栄さん制作)と賞状、賞金20万円、優秀賞は賞状と賞金5万円、佳作は賞状と賞金3万円、奨励賞は賞状と図書カード1万円相当がそれぞれ贈られます。

 今回の応募は過去最多の162編。社内の予備選考を経た最終候補15編と奨励賞候補について選考委員の詩人城戸朱理さん(委員長、神奈川県鎌倉市、盛岡市出身)、作家平谷美樹さん(金ケ崎町)、エッセイスト・絵本作家澤口たまみさん(紫波町)が審査しました。

(2020.7.11)


第15回啄木・賢治のふるさと
「岩手日報随筆賞」
受賞者と作品紹介
 
 第15回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」は162編の応募があった。選考委員の城戸朱理さん、平谷美樹さん、澤口たまみさんが6月10日、オンラインと書面による選考会を開き、予備選考を通過した15編から最優秀賞1編、優秀賞3編、佳作5編と、20歳未満の応募者から奨励賞1編を選んだ。最優秀賞と優秀賞を紹介する。/div>

《選評》 受け継がれる心 共感

 平安時代の清少納言による『枕草子』、鎌倉時代の鴨長明『方丈記』、吉田兼好『徒然草』を日本三大随筆と呼ぶ。いずれも古典として名高いが、わが国では、およそ千年前から随筆というジャンルが成立し、発展してきたことになる。

 その特徴は、西洋のエッセイのように思想的なものではなく、書き手の主観的な思いや感情を自由に語るところにある。

 何を、どのように書くか。エッセイを書こうとしたとき、読者を引き付ける主題を選び、読みやすく、心に残る文章を書くことは大切だが、今回の応募作は、テーマも多彩なら、文章にも破綻がない作品揃いで、それだけに三人の選考委員の票が完全に割れてしまった。

 前代未聞の状況だったが、澤口たまみ委員が優秀賞に強く押し、平谷美樹委員と私も文章の巧みさを評価した高橋芳江さんの「母の裁ちバサミ」が最優秀賞に決まった。

 コロナ禍のマスク不足のおりに、子供たちのためにマスクを手作りしようとしてよみがえる母の記憶。和裁で家計を助け、激動の時代を生きながら、平常心をなくすことがなかった母の姿を生き生きと描いて、心に残る。親から子へと受け継がれていく思い、それは誰もが共感できるのではないだろうか。

 優秀賞の平山奈子さん「思い馳せ」は、自分ではなく弟の体験から紡がれた、エッセイとしては異例の作品。だが弟への深い理解があり、現実の生活と生の人間が描かれている。

 北林紗季さんの「Undefined」は若さゆえの心の揺らぎのなかで、大人の定義を考え、自分を見つけようとするみずみずしさが新鮮。成人式を迎えたから大人になるわけではない。自分は大人なのか。迷いのなかにも未来が感じられる。

 土屋恵子さんの「やさしい人」は、素直な感情表現が高く評価された。一方で、ライヴ会場での「馬鹿なケンカ」をもっときちんと説明したほうが説得力を増すのではという意見もあったことを書き添えておく。

(城戸朱理選考委員長)


最優秀賞

母の裁ちバサミ

高橋 芳江

 手作りマスク旋風が国中を吹き抜ける。初動の遅い私は、その風に乗り損ねてしまった。慌てて風を追いかけたのは、四月に入り、在京の息子や娘が深刻なマスク不足に悩んでいると知った時だった。すでに入手困難になっていた材料の代替品を調達して、我が家の一隅に小さなマスク工場を設(しつら)えた。

 ダブルガーゼは手に入らず、表地に綿を、裏地には晒(さら)しを使うことにした。晒しの懐かしい風合いに、その昔、初めての妊娠で大きくなりかけた私のお腹に、晒し一反を器用に巻きつけてくれた母の節くれだった手を思い出す。お腹に合わせてぴっちりと巻く腹帯には、若い母親の不安を鎮め、胎児の成長を見守る「もうすぐおばあちゃん」の愛が織り込まれていた。それに倣う愛を、私は今から作るマスクに注ぐのだと、晒しの上に両の手を置いて姿勢を正した。

 型紙を当てて印をつけた布に、鋏(はさみ)を入れる。ジョキジョキという裁ち鋏の音は、紙を切る時の軽快なリズムとは違う重厚な響きがする。耳に馴染(なじ)みのあるこの音に、幼い日に見た母の姿が蘇(よみがえ)ってきた。

 母は娘時代に和裁を習った。器用さゆえに上達は早かったらしいが、「お大尽さん」の子は親が付け届けをするから「いいもの」を縫わせてもらえたのに、貧乏人の子はいつまでたっても普段着のおさらいしかできなかったのだという。それでも、母はわが身の不遇をかこつことなく、独自の習得法を編み出した。黙々と普段着の仕立てに励みつつ、特権を享受する生徒に伝授される内容に耳を傾け、師匠の手の動きを視界の端に捉える。急ぎ足で家に戻ると、覚えてきたことをノートに書き記す。この作業の繰り返しである。不平等や不条理に屈せず、妬(ねた)みや嫉(そね)みに心を絡めとられることもなく、美しい着物をきれいに縫いたいという一筋の思いを貫いて、何年もその努力を続けたのだった。

 知らない土地に嫁いだ母は、わずかな嫁入り道具に自分で作った和裁ノートを忍ばせてきた。家計が逼迫(ひっぱく)した時、近所の呉服屋を訪ねて、着物の仕立てをやらせてほしいと頼んだ。試しにと渡された着物を仕上げると、呉服屋の主(あるじ)も客も、柄合わせの妙や丁寧な仕立てが気に入り、その後仕事は増える一方だった。生まれて初めて触れる高級な反物も次々と預かり、母はノートを頼りに真心を込めて縫い上げては喜ばれた。

 小学校に入った私は、帰宅するとすぐに、分厚い裁ち板を前に正座して反物と向き合う母のそばに陣取り、その日にあったことを母に話すのが日課となった。喜びは母の笑顔で増幅され、辛(つら)さは母の眼差(まなざ)しに癒されていく。その日の出来事を消化し、明くる日も出帆する力を得たのは、「母」という港があったからだろう。

 まどろっこしい私の話を聞きながら、母が仕事の手を休めることはなかった。反物に鋏を入れる時は真剣勝負で、裁ち間違ったらやり直しがきかない。それでも母が「ちょっと黙って」と私を制止することはなかった。激動の昭和を生き、嵐の最中(さなか)にも平らかな心を保つ術(すべ)を身につけた母の、見事な両刀使いがそこにあった。

 一方で、私が工作をしようと手近にある裁ち鋏に手を伸ばすと、決まって「裁ち鋏で紙を切ったらダメだよ。布の切れ味が悪くなるから」と厳しく叱られた。仕事の道具を大切にする気構えは、いかなる時にも崩れなかった。よく切れる鋏で反物を裁ち、完璧な着物を仕上げることは、客を、ひいては人を大事にする心から生まれるものであることを、母は言葉少なに教えてくれた。

 震災支援のため岩手に移住して、九年目を迎える。距離に阻まれて、認知症の母が世話になる埼玉の施設を訪れる機会が減った。今はコロナ禍が追い討ちをかけ、当分母の顔を見ることは叶(かな)わない。だが、母の愛と守りの旗印である晒しを前に、母の生き様を反響する裁ち鋏のジョキジョキという音をたてながら、母から受けた恵みの数々に思いを馳(は)せ、今は私が子ども達、孫達に恵みのバトンを渡す時なのだと思う。

 ちっちゃな女の子だった私が、お母さんになり、おばあちゃんになって、小さなマスクを作りながら、遠い母に今日も語りかける。お母さん、お母さんの愛が、孫達、ひ孫達に届きますよ。日本列島を吹き抜ける、マスク作りの優しい風に乗って。

《横顔》 生き方伝えて親孝行

 復興支援のため、東京都から釜石市へ移住して9度目の春。新型コロナウイルスの影響で生活は一変した。離れて暮らす家族に会えない切なさ。今、何ができるか自問し、一つの答えにたどり着いた。

 「大切な人に思いを寄せ、生きた証しをつなぐことはできる」。マスク作りに用意したさらしと裁ちばさみが埼玉県の母片居木(かたいぎ)トクさん(91)を思い起こさせ、筆を執った。

 幼い頃から、和裁にいそしむ母を見て育った。貧しさを苦にせず、技術を身に付けた努力の人。1男2女と孫7人に恵まれた自分が、母の生き方を伝えることが親孝行になる。「忘れないこと」の大事さは、被災地でも強く感じていた。

 東京では牧師の夫和義さん(64)の仕事を手伝いながら、得意の英語を生かし、子どもたちに英会話を指導。その生活が一区切り付こうとしていた矢先、東日本大震災が起きた。

 和義さんは「この時のために自分はあったのかもしれない」と、教会関係者による現地支援に参加。本県への派遣人数が足りず、夫婦で移住を決意した。

 2012年に視察で訪れた釜石市は、建物が鉄骨だけ残り、壁には解体できるかを示す○と×の印。「がらんどうの街にショックを受けた」と振り返る。

 間もなく同市甲子町へ移住し、お茶っこ会やボランティアに参加。視察の案内なども手伝い、13年に定内町へ引っ越した。

 本県を訪れるのも初めてだった上、甲子町の家は庭をサルが歩き「違う世界に来たようだった」と笑う。支えになったのは、出会った人たちの温かさ。「皆さんが前向きに生きようとしているのが印象的だった」と感謝する。

 岩手日報随筆賞には2度目の応募。持病を抱えて通院しており、感じたことなどをつづったところ、弱った心が安らぐのを感じた。

 最優秀賞の報に「驚くばかり。まだ信じられない」と喜びもひとしお。最近では小説の執筆も目標に加わり「釜石で知り合った方々に読んでもらえる作品を書けたらいい」と創作意欲を高める。

 【たかはし・よしえ】 津田塾大学芸学部英文学科卒。埼玉の県立高校英語教員を経て、東京都内のビジネス翻訳会社に勤務。牧師の夫の教会も手伝う。2012年、教会関係者による復興支援活動で釜石市へ移住。同市定内町。65歳。埼玉県所沢市出身。


優秀賞

思い馳せ

平山 奈子

 連休最終日、東京で一人暮らししている弟から私あてに久々にLINEが入った。

「ホームシックではない。が、今日いきなり泣いてしまったので、ちょっと書いてみた」

 世間は──というより世界は、新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)し、本来ならば東京オリンピックへの盛り上がりも最高潮にあるはずの日本も、自粛ムード一色のゴールデンウイークだった。

 弟以外の家族が暮らす岩手ではまだ感染者の報告はない。だが最近は「県をまたいでの移動や不要不急の外出の自粛」が呼びかけられている。私と妹は仕事や家事の疲れをほぐしに、それぞれの盛岡のアパートから車で三十分あまりの実家に行っては、母の手料理を味わい、高校時代からそのままにしてある自分の部屋で寝られるだけ寝る、というようなことを二度ずつ繰り返して連休が終わった。

 弟が書いてきた中身は、かいつまんで説明するとこういうものだ。

 弟が百円ローソンに行くと、いつもは無愛想な学生バイトか、たどたどしい日本語の外国人しかいない店なのに、「いらっしゃいませ!」と元気のいい声が迎えてくれた。見ると、胸に「研修中」の札をつけた六十歳前後の女性。マグカップを選んでいる時にも、レジの方から「お待ちのお客様こちらへどうぞ!」「ポンタカードはお持ちでしょうか!」と、マスクでくぐもりながらも一生懸命な声が聞こえた。レジで女性は、骨張った手で弟からマグカップを受け取ると、これもまた「ポンタカードはお持ちでしょうか!」と元気に訊(き)いてきた。もちろんあるべき接客を実践しているだけなのだろうが、涙が出しぬけにこみ上げてきた。その「ポンタカード」は本来なら笑えるだろう響きなはずなのに、それを口にする女性のひたむきな姿が、何かとドジな母を思い起こさせた、というのだ。

 大学時代からずっと東京にいる三十過ぎの男が、単なるホームシックになど襲われるはずもない。彼は小さな劇団を主宰し、自ら脚本を書き、舞台にも立つ。自分を含め全員「売れない役者」なのだという。劇団とはいうものの、春と秋に三日間、のべ五回ずつの公演を打つだけだ。四十席前後の客席でも空席がちらほら。結局いつも赤字。一応声優の仕事もしているが、その給料だけでは家賃もやっとという稼ぎなので、焼き肉屋と学習塾の事務のアルバイトをかけもちして、食うにもぎりぎりの「夢を諦めない生活」を続けている。両親や姉・妹も公演の客の頭数だ。春秋のその週末、新幹線の座席を向かい合わせて東京に向かうのも家族の恒例行事になった。舞台を終えて化粧のままの弟と言葉を交わせるのは、ほんの一言二言だけである。父はそれとなく小遣いを渡す。私も「カンパ!」とぽち袋を渡す。弟は悪びれずに「ありがとう」と受け取る。子どもの時のまま。それだけのやりとり。私たちはいつも名残惜しい気持ちを抱えたまま、あの場面はああだったこうだったと、観(み)たばかりの舞台の話に花を咲かせながら、そのたび見知らぬ薄暗い路地を最寄りの駅に向かったりするのである。

 弟は、その母ほどの年格好の店員さんに、もしかすると自分のような不出来な(ヽヽヽヽ)息子がいて、その息子のために少しでもお金を稼ごうとして、この歳(とし)でコンビニ勤めを始めたのではないか、と瞬時に妄想してしまった、というのだ。レジでおつりを受け取った時、思わず「ありがとうございます」という言葉が飛び出した。女性は戸惑いながらも、すぐに笑顔になり、「ありがとうございます!」と返してくれた。それだけのことなのに、潤む目でカードも探せなかった弟は、財布をポケットに押し込み、うつむきながら足早にレジをあとにした。涙が床に落ちた──。

 その足で向かった塾でもオンライン授業に切り替えたのだそうだが、ふと目にした国語の教材のことで、ついでに訊きたいという。

 「たはむれに母を背負ひて……」という岩手にいたときから聞き慣れた啄木の短歌で、なぜ〈歩めず〉でなく〈歩まず〉なのか、今日、無性に気になった──。小学校教師の私には少々荷が重い。そろそろ日をまたごうとしていたが、家族のLINEにその問いを上げてみた。妹は中学、父は高校で国語の教師をしている。少し経(た)ってから、父の見解が現れた。

「〈歩めず〉じゃあいかにも(ヽヽヽヽ)で、湿っぽ過ぎるべ。だから外から写真みたいに写して、涙を少し乾かしたんでないか」。──なるほど。

 既読数を見るに仕事のあった母は寝ているらしい。今日もスーパーのパートでパンを何百個も運んで並べたにちがいない。

 願わくは、その店員さんが、まっとうに苦労している弟の涙を、それと知らずにモップで元気良く拭き取ってくれていますように。

 そして──弟よ、幼い時からお前を見守ってきた鯉(こい)のぼりが、この連休中も実家の庭では伸び伸びと泳いでいたよ。

《横顔》 家族との絆を再確認

 新型コロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛期間に何かできないかと、執筆を思い立った。実家で家族と過ごしたり話を聞いたりする中で感じたことを文章に起こそうと考えた。応募をゴールにと期限までに書き上げた。

 作品では、家族との日常のやりとりがつづられる。「離れた場所にいる弟にエールを送りたい気持ちと、家族としてつながっていられることへの感謝の気持ちを込めた」という。書きながら、伝聞したことをどこまでどのように組み込めばいいか悩んだ。「そのために弟と今まで以上にたくさん話したり、その後も連絡を取ることが増えたりした。書いて良かった」と振り返る。

 小学校教諭として雫石町内に勤務。「仕事をしながら執筆時間を確保するのは難しい。自分の心を豊かにしながら、いつかまた書きたいという気持ちが生まれたときに書いてみたい」と言葉を大切に日々を過ごす。

 盛岡市北飯岡。花巻市出身、36歳。


優秀賞

Undefined

北林 紗季

 電子タバコの煙は、ディズニーランドのような匂いがした。正確に言うと、そこで売っているキャラメルポップコーンの匂いである。まるで「私に害はありませんよ」と主張するような、やけに甘ったるいその匂いが私は嫌いだ。その害に見合った嫌な臭いを出す、普通の煙草(たばこ)の方が幾分かましにすら思える。

 

 なぜ父の電子タバコの匂いが急に気になりだしたかというと、それを吸える年齢になったからだった。二十歳である。三月生まれの私は周りの同級生よりずいぶんと遅れて、十代を卒業した。

 しかし令和二年五月の現在、私の生活は依然として変化の兆しもない。成人したとはいえ、身体に悪い煙草を好んで吸いたいという気は微塵(みじん)も起きないし、甘いレモンサワーを飲んではみたがお世辞にもおいしいとは思えなかった。酒も煙草も嗜(たしな)まない。変わったことといえば、音楽はヒップホップを好むようになったことくらいだ。

 幼い頃は、二十歳になればそれはもう大人なのだと思っていた。しかしまだ私は子供なのだろうか。いや、そもそも「大人」とは何なのだろう?

 そもそも、「大人」という定義について考えだしたきっかけは成人式だった。まだ雪景色の矢巾町、田園ホールで、懐かしい顔ぶれと再会した。振袖を着て化粧もしているのに誰が誰だかすぐにわかって、「変わらないね」と声を掛け合う。本当に変わっていなかった。容姿も、性格も。

 しかし彼らは、私よりずっと大人になっていた。私はまだ十九で、成人していないということも勿論(もちろん)ある。だがそれ以上の大きな溝は、私はまだ学生の身で、彼らの多くは社会人だということだ。同い年でもすでに私よりずっと「大人」になっている友人たちが、私には眩(まぶ)しい。そして、いまだに「子供」でいる自分がひどく情けなかった。

 そのときイヤホンから流れていたヒップホップ音楽は、「目先じゃない、未来を掴(つか)め!」と叫んでいる。目先であるはずの、大人になる未来すらも私にはまだ見えないのに?

 

「これ、誕生日プレゼント。気にいってもらえるかわからないけど」

 私がようやく成人したのは、弥生の上旬である。三月九日。「レミオロメンの歌だよ」と言えばたいていの人には通じるその日に大学の友人がくれたのは、白いドライフラワーのイヤリングだった。白を選んだのは、どんな服にも合わせやすいようにという優しい彼女の配慮だろう。

「イヤリングとかあんまり着けないかなって思ったんだけど」

「着けるよ!

 それに、ちょうど春に向けて新しいのがほしかったんだ」

「それならよかった!

 実はこれ、紗季ちゃんをイメージして選んだから」

 その言葉に思わず顔を上げる。「私のイメージ」。私は人から見るとこういうイメージなのか。この白い花の、光も透過してしまいそうな、かぎりなく透明に近い花弁のような。

 彼女がくれたささやかな贈り物が、私はこれまで自分を記号でしか認識していなかったことに気付かせてくれた。「女」とか「岩大生」、「猫好き」、だとか、そして「大人」か、「子供」かということも。それは他の誰かにも当てはまる記号。しかし彼女は、彼女がくれた小さなイヤリングは、彼女がそんな記号ではなく私自身を見てくれている証のようだった。

 そうか、定義などされないのだ。私は私という一人の人間で、大人か子供かなどはっきり区別できやしない。誰かと同じ記号で定義などできない。いや、されてたまるか。私は私。大人にも子供にもなりきれないが、たった一人しかいないのだから。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 プレゼントへの礼だと思ったのだろう。にこにこと笑う友人に、心の中で「私自身を見ていてくれて」と付け加えておく。

「あ、言い忘れてた」

「何を?」

「二十歳の誕生日、おめでとう!」

 心の底からの笑みが浮かんできて、もう一度ありがとうと言った。大人にはなりきれないけど、私は私として目先じゃない未来を掴んでみようと思うよ。胸の内に響いたヒップホップに、そう返事をしてみた。

《横顔》 「自分らしさ」つづる

 題の英単語は「定義されていない」の意味。「大人とか子どもとかの定義も、文章も、何者にも縛られず自分らしくいたいという気持ちが根底にいつもある」との思いを込めた。

 前々回は奨励賞、前回は佳作に入った。今年は何を書いても納得のいかない状態だったという。複数の作品を書き、何度も修正して最後に選んだ。締め切り当日にやっと完成させて応募した。「賞をいただけるとは思っていなかった。驚いたが、努力が報われた気がしてうれしかった」

 高校時代は文学研究部で部長を務めた。「口に出して話すことが苦手なので、文字にして表現できる随筆に心をひかれた」と自分の思いや感情を文章に託す。

 岩手大学人文社会科学部3年に在学中。フランス語や中国語を学ぶ。「いろいろな国の文学を研究したい。外国の文学の特色を吸収して、日本という国に縛られない作品を書けたらいい」と夢を膨らませる。

 矢巾町南矢幅。同町出身、20歳。


優秀賞

やさしい人

土屋 恵子

 夜の新幹線で泣く22歳の私。

 5月の仙台、好きなバンドのライブで隣り合わせた女の子とたわいもないことでケンカして、勝ったでもなく負けたでもなく、しまいにはアルバイトの警備員に「外でやれ」と言われ、続ける程の熱もなく、うなだれて駅まで歩き、東京行きの新幹線に乗ったのだ。

 席についた途端、涙が溢(あふ)れた。同時に嗚咽(おえつ)が漏れた。

 夜遅くの列車で乗客も多くはなかったが、人目も憚(はばか)らずに泣く小娘はさぞ迷惑だったことだろう。私の嗚咽だけが静かな車内に響く。

 どうしてあんなに泣いたのか。

 4月から東京で始めた染色の仕事。望んだ職場だったが、混乱し不安と戦っていた。何もかも想像とは違っていて、思い描いていた自分の姿は初日に吹っ飛んだ。それまでゆるゆると学生生活を送っていた怠け者に突きつけられた現実は甘くなかった。

 ライブで気分転換し、また頑張ろう。そう思っていたのに。仕事はまともに出来ないくせに馬鹿(ばか)なケンカはする。私はなんて情けない奴(やつ)なんだ……。

 それで決壊。

 

 その時、震えながら泣く私の背中に温かい手がそっと置かれた。

 隣の席の知らないおばさんの手だ。運悪く私の隣を予約してしまった気の毒なおばさん。おばさんは窓側、私は通路側。おばさんは逃げられない。

 でもおばさんには逃げる気などなかった。隣で泣く小娘の面倒をみると決めたのだ。

「何したって? そっただに泣いて……」

 やさしく聞いてくれるが、私の嗚咽は止まらない。注射は終わっているのに、いつまでもしゃくりあげる子供のようだ。大人なのにみっともないと分かっているがどうにもならない。

 おばさんはしばらく何も言わずに、私の背中をさすってくれた。

 それでも泣き続ける私におばさんは、

「何があったか分かんないけども、嫌なことはぜーんぶ電車の中に置いていきな」と言った。おばさんがそう言うと、風呂敷か何かに包んでひょいと棚の上に置いていけそうな気がする。「おばさんいいこと言う、そうする」と言いたいが、まだうんうんと頷(うなず)くことしか出来ない。どれだけの時間そうしていてくれたのだろう。私の背中をさすりながらおばさんは自分のことも少し話してくれた。

 その頃には私も落ち着いてきて、泣いている訳をぽつぽつ話してみるが、話せば話したで他人を煩わせる程のこととも思えない。そしてまた情けなくなって泣けてくる。

 そうしているうちにも新幹線は進み、おばさんは宇都宮か大宮で降りた。降りるまでずっと、あれこれ面倒をみてくれた。

 

 今はあんなには泣けない。感情は平坦(へいたん)になり、何事も「こんなものだろう」と思ってしまう。

 いつだったかカラオケ店で若い女の子が部屋から転がるように飛び出して来るのを見たことがある。彼女は出て来るなり廊下に突っ伏して激しく泣いた。何があったんだろう。感情を迸(ほとばし)らせて泣く彼女を私は眩(まぶ)しく眺めていたが、あの時のおばさんのように寄りそい、なぐさめることは出来なかった。自分はそんな器ではないと思った。拒絶されるのも怖かった。

 おばさんは自分がどうかなんて考えない。ただただ心配して世話を焼いてくれたのだと思う。

 

 おばさんの顔も声も覚えていない。

 夢だったのかな、と思うこともある。泣き疲れて眠り、見た夢……。

 でも、確かおばさんは秋田でドライブインをやっていて、息子さんの好きなバンドは、BUCK-TICKだ。リアル過ぎる。やっぱりおばさんは本当にいた。

 こんな私にあんなにやさしくしてくれた人がいる。温かい思い出。

 おばさんの手は本当に私を癒した。

 

 後日、友人が私に尋ねた。

「まさかとは思うけど、これ恵子ちゃんじゃないよね?」

 件(くだん)のケンカが音楽雑誌の投書欄に載っているという。

 さすが我が友、鋭い。

「ケンカ? うーんそういえば前の方でなんかやってたかもしれないなー」

 私の前はいない。最前列だから。

 笑って嘘(うそ)をつける程回復した。元通りだ。

 おばさんのおかげで。

《横顔》 若き日の恩人に感謝

 初めての応募で優秀作に選ばれた。賞の存在は知っていたが、今回は締め切り前に気づいたので書いてみようと挑戦した。自分には文章にする力がないと考え「もっと深刻な題材もあったが、読む人に分かりやすいもの」を選んだ。泣いていた22歳の自分に寄り添ってくれた「おばさん」への感謝が作品ににじむ。

 3月に書き始め、構成や分量を考えずに書いたら原稿用紙3枚で終わった。当時の情景を思い出しながら丁寧に書き直すと、どこを削れば収まるか分からなくなり、締め切り間際に「書けたか書けていないか、見切り発車のような感じでポストにねじ込んだ」。

 小説を読むのは好き。若い頃と違って好きな作家はいないので「新聞の読書欄で気になったものを読む程度」という。執筆を通して「自分は瞬発力のある方だと思っていたが、もう一度書いたり直したりできることに気づいた」と新しい面を発見した。

 二戸市浄法寺町合名沢。同市出身、54歳。

第14回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 遠藤カオルさん(奥州) 「五月のふる里」

  優秀賞 川辺 学さん(北上)  「手紙」
      古川 寛子さん(紫波) 「さんさ踊りの夏が来る」
      本田 香織さん(矢巾) 「もりおか」

第13回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 国崎 萌子さん(盛岡) 「サイダー」

  優秀賞 熊谷千佳子さん(盛岡) 「消灯私邸」
      菅原 弘行さん(花巻) 「母ちゃんのリヤカー」
      圃田 百恵さん(一戸) 「たったひとつの恩返し」

第12回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 石川 啓子さん(奥州) 「父の作品」

  優秀賞 多田 有希さん(盛岡) 「痛みと生きていく」
      熊谷千佳子さん(盛岡) 「魔法のことば」
      山口トヨ子さん(花巻) 「のんべぇたちの攻防」

第11回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 吉田 澄江さん(盛岡) 「ワレモコウ」

  優秀賞 羽柴 香子さん(一関) 「父」
      熊谷 奈南さん(盛岡) 「石割桜」
      松本 幸子さん(金ケ崎) 「ねぎの花のように」

第10回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 高橋 久美さん(花巻) 「四月にツイート」

  優秀賞 高橋 政彦さん(盛岡) 「吸殻エレジー」
      上山 明美さん(田野畑) 「母が残してくれた、一枚の写真」
      武田 穂佳さん(滝沢) 「しるし」

第9回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 小川 クニさん(雫石) 「ゆりかごごっこ」

  優秀賞 佐藤 洋子さん(奥州) 「アゲハチョウ」
      高橋 久美さん(花巻) 「素敵な板挟み」
      山口トヨ子さん(花巻) 「おもかげ」

第8回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 田辺るり子さん(盛岡) 「たいせつな場所」

  優秀賞 稗貫 イサさん(花巻) 「結びの宿」
      太田代 公さん(北上) 「輪の中へ」
      武田 洋子さん(奥州) 「伝える喜び」

第7回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 工藤 玲音さん(盛岡三高) 「春の雨」

  優秀賞 伊藤由紀子さん(盛岡) 「川岸」
      吉田 澄江さん(盛岡) 「雲よ」
      中村キヨ子さん(宮古) 「父の講義」

第6回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 太田 崇さん(久慈) 「父の行程表」

  優秀賞 石川 啓子さん(奥州) 「引き継ぐ」
      大沼 勝雄さん(盛岡) 「津軽山唄」
      稗貫 イサさん(花巻) 「父の匂(にお)い」

第5回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 渡辺 治さん(雫石) 「一本の古クギ」

  優秀賞 鈴木 紀子さん(花巻) 「おやすみ、大好きなお母さん」
      沢内 建志さん(宮古) 「命の誕生」
      平松真紀子さん(釜石) 「熊さんの杉」

第4回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 小野まり子さん(金ケ崎) 「牛飼い、再び」

  優秀賞 神田由美子さん(奥州・水沢) 「花の町にて」
      佐藤 明美さん(盛岡) 「アルバム」
      吉田 真人さん(盛岡) 「ロレッタ」

第3回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 野中 康行さん(盛岡) 「リッチモンドの風」

  優秀賞 井手 厚子さん(盛岡) 「妹」
      上柿 早苗さん(盛岡) 「祈るとき」
      佐藤 勇子さん(金ケ崎) 「母の置土産(おきみやげ)」

第2回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 今野 紀昭さん(奥州・水沢区) 「ひつじ雲」

  優秀賞 野中 康行さん(盛岡) 「山王海」
      白金 英美さん(釜石) 「ミヤコワスレ」
      大木戸浩子さん(盛岡) 「『父の指』」

第1回岩手日報随筆賞

 最優秀賞 三田地信一さん(宮古) 「母を恋(こ)うる歌」

  優秀賞 上田 敏雄さん(一戸) 「よみがえる化石」
      大木戸浩子さん(盛岡) 「遠い嫁ぎ先」
      野中 康行さん(盛岡) 「旅立ち」