~東日本大震災3045日~

2019.7.12

 東日本大震災から、きょうで3045日。8年間の県復興計画は大詰めを迎えており、今年のラグビーワールドカップや2020年の東京五輪・パラリンピックでは世界に復興をアピールする。土木工事は終わっていく。だが、そこに暮らす人々の心は、生活は―。岩手日報社が12年3月11日から続ける連載「忘れない」で取材したご遺族一人一人の復興の足跡を、宮沢賢治の言葉と共に白黒写真で記録する。

(随時掲載)

 ◇主な使用資機材▽カメラ ニコンF3P▽フィルム ネオパン100アクロス▽フィルム現像液 D-76▽印画紙 ルフォードMGⅣ、フジブロWPFM2▽印画紙現像液 デクトール

⑱上林 みさえさん(盛岡)

夏の木漏れ日の中で心地よい風に吹かれ、茂さんの存在をかすかに感じる上林みさえさん=盛岡市本宮

亡き夫の気配が支え

 東日本大震災で亡くなった夫の茂さん=当時(59)=が、今もそばにいる気がする。あの日から、ずっと守ってくれている。山田町北浜町で被災し、盛岡市本宮のみなし仮設住宅で暮らす上林(うえばやし)みさえさん(65)は、目には見えない夫の存在を信じている。

今秋、待望の新居を建てる高台団地=山田町

 茂さんの遺体が見つかったのは、震災の2カ月後。消防団などが捜し尽くしてくれていた海域だったが、新たに捜索に加わった漁業者が「何か感じる」とこだわり、奇跡的に発見した。礼をしたかったが、どうしても連絡がつかなかった。

 ある日、乳酸菌飲料の販売員たちが避難所を訪れ、ハンドマッサージをしてくれた。毎日がつらく、同様の支援は断っていたが、その日はなぜか「私はいいです」と言いだせなかった。

 そこで自分を担当した女性が、夫を見つけてくれた漁業者の妻だった。「ありがとう」。逆に手を握りしめて感謝を伝えると、心のしこりが一つ消えた。

 震災から8年4カ月。偶然といえば偶然のような、運命といえばそんな気もする出来事がたまに起きては、折れそうな心を支えてくれた。

 震災の1カ月前、兄の高雄さんが脳梗塞で倒れ、失明した。被災した同町ではとても暮らせず、盛岡市内の高齢者施設に入った。看病などのため同市内のみなし仮設住宅に入り、母ヨシさんを残してきた同町との往復を重ねてきた。

 早く自宅を再建して家族一緒に暮らしたかったが、土地が高騰しとても手が出ない。高台団地の完成を待っている間に、月日ばかりが過ぎ去った。

 高雄さんは一昨年亡くなった。職員らは一生懸命尽くしてくれたが、胃に直接栄養剤を入れる胃ろうの設置や向精神薬の投与など、「やらなければよかったかも」と思うこともある。

 同町の家族らが面倒を見てくれていたヨシさんも、昨年93歳で亡くなった。新居は間に合わなかった。

 心身の負担からか、自らもメニエール病が進行し、時折激しいめまいに襲われる。

 「何もかも、じっくり考える暇もゆとりもなかった。私なりに一生懸命やったけれど、後悔しかない」とうつむく。

 思わず涙がこぼれる。茂さんが「よく頑張った」と肩を抱いてくれたのかもしれない。思えば、最近やっと泣けるようになった。

 新居は今秋やっと着工し、来春完成する。「亡くなったお父さん(茂さん)たちを一日も早く家に招き、安心させたい。それまで、もう少し頑張らないと」と、茂さんの気配にほほ笑む。

(文・写真 報道部・太田代剛)

賢治の言葉

野原へ来れば/また風の中に立てば/きっとおまへをおもひだす/おまへはその巨きな木星のうへに/居るのか/鋼青壮麗のそらのむかふ

春と修羅 風林より抜粋