~東日本大震災2800日~

2018.11.09

 東日本大震災から、きょうで2800日。8年間の県復興計画は大詰めを迎えており、来年のラグビーワールドカップや2020年の東京五輪・パラリンピックでは世界に復興をアピールする。土木工事は終わっていく。だが、そこに暮らす人々の心は、生活は―。岩手日報社が12年3月11日から続ける連載「忘れない」で取材したご遺族一人一人の復興の足跡を、宮沢賢治の言葉と共に白黒写真で記録する。

(随時掲載)

 国内写真フィルム製造大手の富士フイルムイメージングシステムズは4月、1934年から続く白黒フィルムと印画紙の販売終了を発表した。銀が織りなす陰影のみで昭和、平成の報道を支えてきた白黒写真。デジタル技術で疑似表現はできるが、本物の白黒写真が撮れるのはあとわずかだ。被災地へレンズを向ける。
 ◇主な使用資機材▽カメラ ニコンF3P、FM2▽フィルム ネオパン400プレスト、TRY―X▽フィルム現像液 ミクロファイン▽印画紙 イルフォードMGⅣ▽印画紙現像液 コレクトール

①小林 一人さん(陸前高田)

ササをはみ、縦横無尽に舞う仲町虎舞。元住民たちが立ち上がり、前を向き続けるための、唯一のつながりだ=陸前高田市高田町・キャピタルホテル1000

地域の絆つなぐ虎舞

 笑顔が集うのではなく、集うから笑顔になる。東日本大震災で母富子さん=当時(78)=が行方不明になった陸前高田市竹駒町の介護福祉士小林一人(かずんど)さん(60)は、同市気仙町にあった仲町町内会の元住民たちと「なかまち『絆』の会」(岩渕達夫会長)を結成し、郷土芸能の仲町虎舞を舞い続けている。

なかまち「絆」の会の会員たち。離れ離れになっても、心は一つ=キャピタルホテル1000

 10月末には同市高田町のキャピタルホテル1000で開かれた陸前高田ライオンズクラブ45周年式典で13人が縦横無尽の舞を披露し、地域の絆を示した。

 調子の良いおはやしで盛り上げた小林さんは「俺なんかまだいい方だけれど、みんなそれぞれ心の中に抱えているものがある。痛みを分け合い、支え合って、なんとか前を向いている仲間をただ一つつないでいるのが虎舞だ」と熱を込める。

 30世帯ほどの仲町町内会は、震災で全戸が流失した。絆の会によると25人ほどが亡くなり、11人が行方不明のまま。家を失った35人は市内外へばらばらになり、町内会は解散した。

 小さいながらも一つにまとまり、活発な町内会だった。秋には老若男女が運動会に熱を上げ、男性が虎舞、女性は七福神の舞に地域を挙げて取り組んだ。同市初の自主防災組織を結成し、5月の津波避難訓練には住民の大半が参加。仲町公民館が避難場所だった。

 想定を超す大津波は同公民館を襲い、ちゃんと避難していた住民をのみ込んだ。妻と娘を失った者、跡継ぎ息子を奪われた者―。メンバーは皆、どうしようもない思いを抱えている。

職場では笑顔のムードメーカー。震災時は当時の職場が避難所となり、被災者支援のため母を探しに行けなかった。夜は心が痛む=大船渡市大船渡町・典人会気仙デイサービスセンター

 がれきの中から小太鼓が一つ見つかっていた。12年に町内会が解散し、報告のため岩渕会長らが元住民を訪ね歩いた際、その話をすると、皆が「また虎舞やりてえなあ」と口をそろえた。心の支えとなり得たのは、住民の半数を失い、皆が同じ闇の中でもがく地域の絆だった。

 翌年絆の会を結成し、結婚式や祝いの場で舞を披露している。1週間で再会できる時もあれば、半年空く時もある。既に多くの会員が市内外で生活を再建しており、町内会が復活する望みはない。虎舞も、後継者確保が問題になるだろう。

 小林さんは「もし仲町がなくなっても、団結している限り、亡くなった仲間が一緒にいる気がする。心の中にいる気がする。忘れない。絶対に」と誓う。

(文・写真 報道部・太田代剛)

賢治の言葉

わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは/わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ/ああそんなに/かなしく眼をそらしてはいけない

春と修羅 無声慟哭(どうこく)より抜粋