⑦被災地を歩く 宮古市田老地区 「地域守る」信念強く

   

【写真=2011年3月12日、11年6月20日、14年6月13日、19年2月18日】


【写真=2011年3月12日、19年2月18日】

 盛岡市から岩泉町経由で宮古市田老地区に車で向かった。昨年3月開通した三陸沿岸道路の岩泉・小本-田老間を通ると、所要10分ほど。上り下りとカーブが連続するかつての道中とは環境が一変した。

 津波で更地と化した田老中心部。国道45号西側のかさ上げエリアには「売地」の看板が立ち、枯れた雑草が覆う。再び住家や商店が立ち並ぶ-。そんな将来像を描いた復興着手時との「理想と現実」のギャップは埋まっていなかった。

 一角にある田老一中(中屋豊校長)の震災資料室で、用務員の琴畑喜美雄さん(63)と会った。震災当時を知る唯一の同校職員で、自宅を流された被災者。その教訓を地区内外の子どもたちに伝える活動を自発的に続けている。

 「在校生の感覚が変わってきた」と琴畑さん。聞けば、震災直後は「命を守る仕事」「復興を支える」と進路希望が明確だったが、そんな意識が徐々に薄れてきた。生徒数も震災の年(12月)の131人から80人に減少。「地元を思い、将来を担う人材を育てたい」と風化と闘う。

 国道東側では昨年春、道の駅エリアの残る施設が全てオープンした。核施設の産直とれたろうを明るく盛り上げる政屋真理さん(35)=同市田老新田=は地元育ちで、2児の母。看護師の仕事を中断し、自家栽培のハーブ商品を売り出して2年目になる。

 「居心地の良いまち。なのに若い人が減っている」。基幹産業である漁業の担い手不足を憂えて「私たちの世代が『やろう』と盛り上げなければ」と自身も参入を決意した。

 田老地区の人口は震災直前の4434人から2990人(2月)まで減り、住民の危機感は強い。半面で「何としても地域を守る」という信念も一段と強まっている気がした。