③被災地を歩く 釜石市東部地区 新しい街、期待と嘆き

   

【写真=2011年3月13日、11年12月19日、14年6月18日、19年2月17日】


【写真=2011年3月13日、19年2月17日】

 東日本大震災で建物2階に達するほどの津波が襲来し、がれきに覆われた釜石市東部地区。現在、津波の痕跡はほとんど残っていない。約2年前に訪れた時は建設中だった同市大町の市民ホールTETTO(テット)も開館し、一帯は真新しい建物が並ぶ。まさに「新しい街」という印象だ。

 「ラグビーのまち釜石が熱くなる!みんなで大会を盛り上げよう!」。市民ホールには、ラグビーワールドカップ(W杯)釜石開催のカウントダウンボードが設置されていた。

 9、10月の本番まで半年余り。同ホール周辺には「ファンゾーン」が設置され、国内外の人たちを迎える。地元の商店主たちにとっても大きな好機だ。

 同市大渡町の中華料理店、喜久舎(きくや)は「釜石ラグビー飯」を約半年前から販売し、外国人向けの英語版メニュー表も準備した。菊田郁夫店主(67)は「せっかく釜石にW杯がくる。みんなで盛り上げたい」と前向きに話してくれた。

 だが、県道沿いの中心商店街は酒店や飲食店などが再建を果たす一方で、会社の事務所や空き地、駐車場も目立つ。この地で長く商売を続ける理容店ヘアーサロンフジの冨谷親雄(ちかお)さん(71)は「昔の商店街のイメージが薄れてしまった」と嘆き、店外を見つめた。

 「市民ホールの虎舞フェスティバルは盛況だったけど、商店街を歩いている人はほとんどいなかった」。ある商店主は厳しい現実を受け止める。大型商業施設イオンタウン釜石や市民ホールとの相乗効果を実感する声を期待して歩いたが、なかなか聞こえてこなかった。

 喜久舎の菊田店主に今後の目標を聞くと、「少しでも長く続けること」との答えが返ってきた。商人としての固い覚悟と思ったが、真意は違った。続いて口にした「後継ぎがいないから」という言葉に胸が痛んだ。