①被災地を歩く 大槌町赤浜地区 前向く力と不安交錯

   

【写真=2011年3月16日、13年4月5日、17年4月17日、19年2月13日】


【写真=2011年3月16日と19年2月13日】

 大槌町赤浜の動脈、県道吉里吉里釜石線。高台団地「北側斜面団地」(18戸)は山を削り、細いこの県道沿いに整備された。3月下旬にも、住民への引き渡しが始まる。

 赤浜は移転計画の見直しで、住民の〝仮設脱出〟が遅れた。最後の造成地となったのが、同団地だった。

 ここに自宅を建てる阿部ハナさん(80)は「年も年だし、今年中に(仮設から)移れれば」。これまでの道のりを思うのか、表情を変えずに言った。

 区画整理区域や高台に新しい住宅が並ぶ。被災し移転・新築された東京大国際沿岸海洋研究センターは、3階建ての威容。住民待望の公民館も建設が進む。

 印象的だったのが、住民が昨年建てた震災記念碑。地区人口の1割に及ぶ98人(関連死含む)が犠牲になった災禍の教訓を伝えるだけではない。町のシンボル蓬莱(ほうらい)島の灯台を模した愛らしいデザインが、明るく前に歩もうという住民の決意を代弁するようだった。

 震災後に結成された自治会の活動で若手を引っ張る、会社員阿辺(あべ)孝雄さん(47)は「ひょうたん島祭など、先輩たちが続けてきたことを次につないでいきたい。今後は隣の安渡(あんど)地区とも協力し、町を盛り上げたい」と意欲を高める。

 前向きな動きの傍ら、約30世帯は仮設生活が続く。仮設を出た住民も、移転先でコミュニティーのつくり直しを迫られている。

 「区画整理区域に家を再建したが、以前のような近所付き合いがなくなっている」(30代女性)、「昨年4月に高台団地に移ったものの、住民同士の集まりはまだない」(50代女性)。

 震災で必然的に高まった助け合いや地域づくりの機運。「平時」が近づく今、地区には、それを強めようとする力と、弱める無意識の力が交錯していた。