創 刊 | 1876年7月 |
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資本金 | 2億円 |
代表者 | 代表取締役社長 東根 千万億 |
従業員数 | 316名 |
事業内容 | 日刊新聞の印刷、発行、販売等 |
本社
■住所
〒020-8622
盛岡市内丸3-7
■ダイヤルイン 共通019(653)
▽広告 4118
▽事業 4121
▽販売 4117
▽総務 4116
■編集、NIE・読者部
(平日9~17時)
▽TEL 019(654)1208
▽ファクス 019(653)8206
〒020-8622
盛岡市内丸3-7
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▽総務 4116
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(平日9~17時)
▽TEL 019(654)1208
▽ファクス 019(653)8206

制作センター
〒028-3621
紫波郡矢巾町広宮沢4-350
紫波郡矢巾町広宮沢4-350


東京支社 | 〒104-0061 東京都中央区銀座7丁目12-14 大栄会館 TEL:03(3541)4346 |
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大阪支社 | 〒541-0041 大阪市中央区北浜3-1-12 萬成ビル TEL:06(6231)4301 |
仙台支社 | 〒980-0014 仙台市青葉区本町2丁目10-33 第2日本オフィスビル3階 TEL:022(222)9672 |
一関支社 | 〒021-0884 一関市大手町3-40 TEL:0191(23)4124 |
岩手支局 | 〒028-4307 岩手郡岩手町五日市12-81-10 TEL:0195(62)3249 |
花巻支局 | 〒025-0092 花巻市大通り2丁目1-16 TEL:0198(24)7744 |
北上支局 | 〒024-0061 北上市大通り2丁目3-3 TEL:0197(63)4265 |
奥州支局 | 〒023-0814 奥州市水沢袋町4-3 TEL:0197(23)3751 |
一関東支局 | 〒029-0803 一関市千厩町千厩字町75-2 TEL:0191(53)2131 |
大船渡支局 | 〒022-0002 大船渡市大船渡町字赤沢8-10 TEL:0192(27)3070 |
陸前高田支局 | 〒029-2205 陸前高田市高田町鳴石48-4 TEL:0192(55)2590 |
釜石支局 | 〒026-0034 釜石市中妻町2丁目11-7 TEL:0193(23)5107 |
遠野支局 | 〒028-0513 遠野市東穀町1-8 TEL:0198(62)3329 |
宮古支局 | 〒027-0061 宮古市西町1丁目5-38 TEL:0193(62)1771 |
久慈支局 | 〒028-0061 久慈市中央1丁目26 TEL:0194(53)3030 |
二戸支局 | 〒028-6101 二戸市福岡字八幡下18-8 TEL:0195(23)8080 |
八幡平支局 | 〒028-7405 八幡平市平舘26-145-1D TEL:0195(78)8100 |
1876(明治9)年 7月21日 |
盛岡市呉服町の活版業、川越勘兵衛の「日進社」から岩手県で初めての新聞として「巖手新聞誌」が発行された。 |
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1897(明治30)年 3月2日 |
経営者の交代などを経て、この日「巖手日報」が生まれる。 |
1923(大正12)年 9月18日 |
初めて夕刊を発行。 |
1938(昭和13)年 6月29日 |
新岩手社を創立。 |
1944(昭和19)年 3月6日 |
用紙不足のため夕刊を休止。 (昭和27年6月29日に復刊) |
1944(昭和19)年 4月21日 |
本県での新聞が新岩手日報のみとなる。 |
1948(昭和23)年 11月3日 |
第1回岩手日報文化賞・体育賞を贈呈。 |
1961(昭和36)年 3月31日 |
岩手日報社と同居の旧県物産館から出火、社屋を全焼。 全社員の努力で一日も休まず新聞発行が続けられた。 |
1962(昭和37)年 10月15日 |
現在地に新社屋が完成。 |
1969(昭和44)年 12月9日 |
社屋を地上5階建てに増築。 |
1976(昭和51)年 7月21日 |
創刊100周年記念祝賀会がホテルロイヤル盛岡で開かれる。 |
1981(昭和56)年 9月7日 |
3ヶ年計画で進めてきた写植化が完成。 コンピュータによる組版写植化は製作現場から鉛を追放。 |
1988(昭和63)年 7月4日 |
オフセットカラー輪転機を導入。 |
1990(平成2)年 10月16日 |
日本新聞協会賞・編集部門で企画部門「いわて農業 市場開放に挑む」が受賞。 |
1991(平成3)年 6月18日 |
新聞製作の主要部分をオンライン処理する電算編集システム、愛称「銀河」が稼働。コンピュータによる新聞製作が本格化。 |
1994(平成6)年 12月9日 |
盛岡市みたけに建設を進めていたタワー式キーレス輪転機8台を設置する制作センターが完成。平成7年新年号の印刷から稼働した。 |
1997(平成9)年 7月21日 |
ホームページを開設。 |
2006(平成18)年 7月21日 |
創刊130周年記念日。 |
2007(平成19)年 10月19日 |
日本新聞協会の第27回新聞広告賞・新聞社企画部門で「あなたが作るミステリー パ・ズ・ル」が受賞。 |
2010(平成22)年 7月1日 |
夕刊を統合した新朝刊を発行。 |
2011(平成23)年 3月11日 |
東日本大震災・大津波(M9.0、盛岡市=震度5強)で全県のライフラインが寸断の中、東奥日報社の協力で特別紙面の朝刊を2日間発行し読者・県民に届ける。 |
2011(平成23)年 4月7日 |
東日本大震災の最大余震時(M7.1、盛岡市=震度5強)にも秋田魁新報社の協力で特別紙面の朝刊を翌日に発行。 |
2011(平成23)年 6月21日 |
フランスの「カンヌライオンズ 国際クリエイティブティ・フェスティバル」で6月21日、本社と博報堂DYメディアパートナーズが共同運営する個人向け記念号外発行サービス「IWATTE(イワッテ)」がメディア部門金賞を受賞。 |
2011(平成23)年 10月18日 |
日本新聞協会賞・編集部門で写真・映像部門「平成三陸大津波 記者の証言」、企画部門「東日本大震災一連の報道~31世紀への証言~」が同時受賞。 |
2011(平成23)年 10月20日 |
日本新聞協会の第31回新聞広告賞・新聞社企画部門本賞で「いわてのテとテ」が受賞。 |
2012(平成24)年 3月11日 |
東日本大震災から1年に合わせ、本県への復興支援に感謝を込め、東京都内と名古屋市内で特別号外を配布。 |
2012(平成24)年 10月19日 |
日本新聞協会の第32回新聞広告賞新聞社企画部門で、本社と河北新報社、福島民報社、福島民友新聞社の「3・11東日本大震災3県4紙合同プロジェクト」が受賞。 |
2016(平成28)年 4月15日 |
矢巾町広宮沢に最新鋭輪転機2セットを備える新たな制作センターが完成。最大40ページ中24ページのカラー印刷が可能に。 |
2016(平成28)年 6月1日 |
創刊140周年並びに制作センター完成祝賀会を盛岡市内のホテルで開催。 |
2016(平成28)年 10月18日 |
本紙「命の軌跡~東日本大震災5年 一連の報道」が日本新聞協会の2016年度新聞協会賞編集部門・企画部門を受賞。 |
2017(平成29)年 7月3日 |
同年3月11日に本紙掲載の広告企画「最後だとわかっていたなら」が新聞広告の最高賞「新聞広告電通賞」を受賞。同企画は10月20日、日本新聞協会の新聞広告賞・新聞社企画部門新聞広告賞も受賞。 |
2018(平成30)年 7月26日 |
第23回「NIE全国大会盛岡大会」が被災3県で初めて開催された。 |
2019(令和元)年 5月16日 |
広告企画「3月11日を、全ての人が『大切な人を想う日』に」が第13回全日本広告連盟 鈴木三郎助地域キャンペーン大賞選考委員会特別賞を受賞。 |
2019(令和元)年 9月25日 |
アジア初となるラグビーワールドカップ日本大会の1次リーグが釜石鵜住居復興スタジアムで行われた。 |
2020(令和2)年 5月21日 |
広告地域連携企画『#Thank You From KAMAISHI 』が第14回全日本広告連盟 鈴木三郎助地域キャンペーン大賞を受賞。 |