③被災地を歩く 釜石市東部地区 「新しい街」課題残る

   

【写真=2011年3月13日、11年12月19日、14年6月18日、20年2月7日】


【写真=2011年3月13日、20年2月7日】

 釜石市東部地区の商店街周辺には「新しい街」の光景が広がる。津波到達点を示す看板のほかに、震災の痕跡はほとんど見当たらない。小雪が舞う中、昨秋にラグビーワールドカップ(W杯)のファンゾーンが設置された商店街周辺を歩いた。

 市民ホール・テット近くの共同店舗タウンポート大町。お好み焼きなどを提供する「なにわや」の富田広和店長(33)は「にぎわい、盛り上がり。まさにお祭りだった。レガシー(遺産)として残すのは難しいかもしれないが、できることで協力したい」と前向きに語ってくれた。

 建物2階に及ぶ高さの津波が襲来した東部地区。2014年にイオンタウン釜石が開業し、周辺店舗の再建が進み、テットも完成するなど大きく変貌する中、市内で開催されたW杯。約5カ月が経過した中心商店街周辺は「変わらぬ日常」を刻んでいる印象だった。

 東部地区にあった商店街振興組合など4組織のうち、唯一残る市大町商店街振興組合はW杯に合わせて道沿いに歓迎のぼりを掲げた。今後も三陸鉄道全線再開時などの活用を想定し、「ワンチーム」の活動を続ける。新里耕司理事長(63)は「人の流れをつくるためには自助努力が欠かせない」と強調する。

 商店街の一角にある佐野酒店へ。代替わり後も売り場に立つ2代目佐野健司さん(88)とは、仮設店舗の時に話を聞いて以来の8年ぶりとなる再会だ。

 「人口が減り、災害公営住宅は高齢の入居者が多い。復興工事業者も徐々に引き揚げ、購買力は減退の一途だ。みんな悲鳴を上げている」。商店街やにぎわいへの思いは不変だったが、絞り出す一言一言は重く、胸に響いた。