②被災地を歩く 田野畑村羅賀地区 復興、実感と不安交錯

   

【写真=2011年3月13日、14年6月、17年4月、20年2月2日】


【写真=2011年3月13日、20年2月2日】

 今月上旬に田野畑村羅賀地区に入った。昨年10月に台風19号で被災した村内を取材したが、羅賀地区をじっくりと取材するのは約3年ぶり。島越からホテル羅賀荘方面に向かう海沿いの道は数カ所で崩落の跡があり、災害の爪痕が残る。

 羅賀荘近くの定点撮影ポイントに到着。かつて更地だった場所は羅賀ふれあい公園へと生まれ変わり、県道のかさ上げも終わって風景が様変わりした。

 東日本大震災が起きた時は、同村机で旧岩泉高田野畑校の海岸清掃を取材中。清掃に参加した畠山史也さん(26)=同村姫松=が当時を振り返る。

 崖崩れが起きる中での高台避難、母が勤め先だった羅賀荘を津波が襲い、身を案じたあの日から間もなく9年がたつ。「仮設住宅が建って、これがずっと続くかと思っていた。だけど、村はほとんど元通りか、それ以上になった」と復興の実感を口にする。

 地元の建設会社に勤め、今は2016年の台風10号災害の復旧工事に尽力しているという、かつての少年の成長にうれしくなった。

 現地は数年前まで工事車両が目立ったが、この日は日曜日ということもあって行き交う車が少ない。車で数分の場所にあるマルワ鮮魚店を訪ねると、店主の畠山ヒサヨさん(73)が笑顔で迎えてくれた。

 津波による店舗流失から現在のプレハブ店舗に移ったのが11年11月。復興支援で訪れた客との出会いは今でも宝物だが、主要顧客の住民が遠くの高台移転団地に移ってしまった。「今は工事の人も少なくなって静かになりました。だんだん店を閉めなきゃなんないかね」。復興需要の縮小が店を直面する。

 「昔は2階にある倉庫に跳ね上がるように行ったけど、今は一段一段。時間を感じますがね」。9年の重みを感じる一日だった。