①被災地を歩く 山田町中心部 垣間見える「空洞化」

   

【写真=2011年12月1日、15年10月23日、20年2月14日、20年2月15日】


【写真=2011年12月1日、20年2月14日】

 復興事業がほぼ完了した山田町中心部。被災の痕跡は消え、陸中山田駅を中心とした徒歩圏内に商店や金融機関が集約されたコンパクトなまちは、新たな日常を刻んでいた。

 土地区画整理事業が導入され、国道45号沿いに整備された中央公園に向かった。親子連れが広大な敷地に置かれた遊具に歓声を上げる。

 「近所に広い公園がないからよく通っています」と小学生の2人の息子を見守る舘洞聖子さん(45)。地元の人と思いきや、宮古市から足を運んでいた。三陸道の開通でエリア間の移動が容易になったことを実感した。

 一方、周辺の住宅地に入ると、黄土色の空き地や駐車場が目に付く。区画整理で引き渡された山田地区の473区画のうち、昨年9月時点で土地の利活用が未定なのは147区画(31・1%)を占める。

 「土地の引き渡しまで時間がかかった。どのくらいの人が戻ってくるか」。1年前に自宅を再建した箱石紅子さん(70)を訪ねると、コミュニティーの先行きを案じていた。

 40歳から民生児童委員を担い、地域事情に精通する。担当する八幡町は高齢独居や高齢夫婦の世帯も目立ち、小学生は2、3人程度。「普段から鍵を掛け、昔のように縁側に回って様子をうかがうことも難しくなった」と、見守りの壁に被災後の生活スタイルの変化を挙げた。

 高台団地や津波を免れた町内の内陸部に自宅を再建した人は多く、駅周辺のにぎわいとは裏腹に居住地が分散したがゆえの「空洞化」が垣間見えた。

 「震災から9年。それくらい年を取って、みんな不安に思っているの」。その先にある地域の姿をどう描くか-。箱石さんの言葉に深く考えさせられた。