局地的被害語る土塀【愛知・幸田町】

愛知・幸田町
三河地震で崩れた本光寺の土塀。当時の被害をそのまま保存している=愛知県幸田町
 愛知県幸田町の本光寺(鶴田悦章住職)には1945(昭和20)年の三河地震で崩れた土塀がそのままの状態で残されている。土塀は松平家6代目から19代目までの島原城主をまつる東御廟所にあり、この地震で崩れた時以来、他の部分が壊れていないことから、災害の大きさを静かに物語っている。
 内閣府などによると、同地震は同年1月13日午前3時38分に発生。戦時の報道管制によりあまり報道されなかったが局地的な大被害をもたらし、最大震度は震度7相当とみられる。死者は約2300人、全壊住家は約7200戸に上った。
 本光寺は1523(大永3)年、深溝松平忠定が菩提(ぼだい)所として建立した由緒ある寺院。アジサイ、梅、ツバキの名所として有名で、花の時季には多くの人が訪れる。同地震で近隣の小学校が被災し、同寺で授業を行っていた時期もあったという。
 鶴田悟裕(ごゆう)住職(45)は「被害を実際に感じ、語れる資料が残っていることは災禍を忘れず伝えていく上で大切だ」と強調する。

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