津波の2年後の98(同31)年に建立。表面の「丙申海嘯(かいしょう)之記」は漢文で、曹洞宗の大本山福井・永平寺貫首と当時の大蔵大臣が寄せた。判読できない文字もあるが、同町を襲った津波の概要を記し、犠牲者や被害を受けた町民を見舞う内容となっている。
裏面には「被害調査」として町内の人的・物的被害を記し、840人が犠牲となり386戸が流失したとされている。
表面には「爛死者(らんししゃ)亦(また)五十余人」の記述があり、津波後の火災で約50人が亡くなったと伝える。町ユネスコ協会が1973年に発行した「山田の津波」によると、当時の川向町、仲町で津波後に火災が起こったという証言が残っている。
町中心部で起きた火災の被害に言及した石碑は町内でも珍しいが、碑の存在や内容を知る人は少ない。龍昌寺は、内容の注釈を付けた案内板の設置を計画し、教訓の継承を模索している。
裏面には「被害調査」として町内の人的・物的被害を記し、840人が犠牲となり386戸が流失したとされている。
表面には「爛死者(らんししゃ)亦(また)五十余人」の記述があり、津波後の火災で約50人が亡くなったと伝える。町ユネスコ協会が1973年に発行した「山田の津波」によると、当時の川向町、仲町で津波後に火災が起こったという証言が残っている。
町中心部で起きた火災の被害に言及した石碑は町内でも珍しいが、碑の存在や内容を知る人は少ない。龍昌寺は、内容の注釈を付けた案内板の設置を計画し、教訓の継承を模索している。
消火活動の教訓継承

渦を巻く黒い波にのまれる人、家畜、がれきとなって炎上する家屋。山田町の龍昌寺の清水誠勝住職(76)は、明治三陸津波を記録した「大津波海嘯画報」を見つめる。清水住職が昨年、都内の古書店で偶然見つけて購入した。
東日本大震災でも火災が発生し、火の手は一時寺のすぐそばに迫った。出火は津波が引いて間もない午後3時20分ごろ、同町八幡町地内のがれきから生じた小さな火だった。道路がふさがれたため消防車が使えず、火元近くの消火栓はがれきの下に埋まっていた。
町消防団第7分団はがれきを乗り越えて数百メートル離れた消火栓や防火水槽から取水し放水したが、既に出火から1時間ほど経過し炎が広がっていた。
火災はプロパンガスや自動車を爆発させながら一晩中延焼し、消火用の水が尽きた団員らは近寄れなかった。甲斐谷定貴(さだたか)部長(47)は「手が付けられなくなり、住民を避難させるか、見ていることしかできなかった」と振り返る。
翌朝、自衛隊ヘリの消火活動で火勢は弱まったが、小規模な火がくすぶり続けた。甲斐谷さんら団員は被災した屯所の2階に寝泊まりして日夜対応に当たり、3日後の14日にようやく鎮火した。
町がまとめた震災記録誌「3・11残し、語り、伝える 岩手県山田町東日本大震災の記録」によると、同町心部の火災の焼失面積は約17ヘクタール。がれきが山側の斜面に集積したため被害が拡大したとされる。
津波による被災で消防設備が十分に機能しなかった教訓を生かし、態勢を整える。山田消防署は2018年2月に同町飯岡の高台に移転し、浸水域を通らない町道細浦・柳沢線を整備した。佐藤吉孝分団長(58)は「町内は消火栓が増えたが、震災時のように使えない可能性もある。川や貯水槽などから取水する訓練も下の世代に引き継ぎたい」と強調する。
東日本大震災でも火災が発生し、火の手は一時寺のすぐそばに迫った。出火は津波が引いて間もない午後3時20分ごろ、同町八幡町地内のがれきから生じた小さな火だった。道路がふさがれたため消防車が使えず、火元近くの消火栓はがれきの下に埋まっていた。
町消防団第7分団はがれきを乗り越えて数百メートル離れた消火栓や防火水槽から取水し放水したが、既に出火から1時間ほど経過し炎が広がっていた。
火災はプロパンガスや自動車を爆発させながら一晩中延焼し、消火用の水が尽きた団員らは近寄れなかった。甲斐谷定貴(さだたか)部長(47)は「手が付けられなくなり、住民を避難させるか、見ていることしかできなかった」と振り返る。
翌朝、自衛隊ヘリの消火活動で火勢は弱まったが、小規模な火がくすぶり続けた。甲斐谷さんら団員は被災した屯所の2階に寝泊まりして日夜対応に当たり、3日後の14日にようやく鎮火した。
町がまとめた震災記録誌「3・11残し、語り、伝える 岩手県山田町東日本大震災の記録」によると、同町心部の火災の焼失面積は約17ヘクタール。がれきが山側の斜面に集積したため被害が拡大したとされる。
津波による被災で消防設備が十分に機能しなかった教訓を生かし、態勢を整える。山田消防署は2018年2月に同町飯岡の高台に移転し、浸水域を通らない町道細浦・柳沢線を整備した。佐藤吉孝分団長(58)は「町内は消火栓が増えたが、震災時のように使えない可能性もある。川や貯水槽などから取水する訓練も下の世代に引き継ぎたい」と強調する。


2021年02月01日 公開
[2020年07月17日 岩手日報掲載]