100年超続く命日供養

釜石市平田・佐須地区


 釜石市平田(へいた)の尾崎半島南部に位置する佐須地区。集落を抜けて佐須漁港方面に向かう道路の脇に、1896(明治29)年の三陸大津波の惨状を伝える海嘯罹災(かいしょうりさい)者之墓が立つ。
 石碑は明治の津波の翌年に大槌町の住民3人が建立。佐須湾でマグロの定置網漁をしていて犠牲になった同郷の仲間を供養するために建てたとみられる。
 碑には漁に従事していて亡くなった二十数人の名前が刻まれている。犠牲者名に続く漢文には「この出来事を顧みることはいつか必ず益を成す」との趣旨も。慰霊とともに、後世に津波の恐ろしさを語り継ごうとした先人の思いが見受けられる。
 釜石市誌によると、明治の津波で平田(釜石町平田)では人口1255人のうち718人が亡くなった。佐須でも多くの住民が帰らぬ人となり、100年以上を経た今も命日には地域で犠牲者を供養する。
 そんな地区を再び襲った東日本大震災。27世帯のうち15世帯が全半壊するなど大きな物的被害が出たが、住民は山あいの集落の強みを生かし、近くの高台に逃げて全員が助かった。先人が残した教訓は確かに生きた。

教訓生かし住民連携

釜石市平田の佐須地区。東日本大震災では、山に囲まれた地形を生かし、住民が高台に避難した(岩手日報社小型無人機で撮影)
 釜石市平田の佐須地区は近年、相次ぐ自然災害に見舞われてきた。東日本大震災、尾崎半島の山林火災、昨年の台風19号。その都度被害を受けてきたが、集落から犠牲者を出していない。明治の津波の記念碑が説くように、住民は過去の災害の出来事を心に刻んでいる。
 同地区の漁業佐々木孝明さん(70)は震災発生時、自宅で翌日の漁の準備をしていた。尋常ではない長くて大きな揺れ。海の様子を知りたい一心で浜へ車を走らせたが道中で思いとどまり、とっさの判断で歩いて高台に避難した。
 「海に向かったのは、気象庁が発表した3メートルの津波予測が念頭にあった」と振り返る孝明さん。「あの行動はまずかった。いち早く高台に逃げなければいけない。それは14・5メートルの防潮堤が完成した今も変わらない」と戒める。
 明治の津波で大勢が亡くなった同地区では、震災前から命日の6月15日に住民が集まり、犠牲者供養を行ってきた。石碑の前で黙とうをささげ、津波の歴史を思い起こす。こうした集いや毎年の避難訓練は、震災時の連携に役立った。
 当時、佐須町内会副会長だった佐々木勇一さん(70)はハンドマイクを手に取り、訓練と同じように高い場所にある佐須トンネル付近に住民を誘導した。「みんな顔が分かるし、一体となって避難できた」と強調する。
 相次ぐ困難を乗り越えてきた同地区だが、今改めて災害への備えが問われている。震災時に避難所の役割を果たした近くの旧尾崎小は取り壊され、現在は山中を抜けて市街地方面へ避難せねばならない。
 昨年の台風19号では、道路の寸断で地区が一時孤立した。勇一さんは「避難所が遠くなったことが気がかり。以前よりも早めの行動が欠かせない」と気を引き締める。
昨年9月に完成した防潮堤から佐須漁港を眺める佐々木孝明さん。「防潮堤が高くなっても油断してはいけない」と戒める
【2011年3月】 津波に襲われ、がれきが散乱する佐須地区(釜石市提供)

2020年12月01日 公開
[2020年04月10日 岩手日報掲載]

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釜石市平田・佐須地区の海嘯罹災(かいしょうりさい)者之墓

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