漁港集落の意志刻む

久慈市・侍浜町


 久慈市侍浜町の横沼、白前の両地区はそれぞれ漁港があり、住宅は高台に点在する。津波が到達しそうにない両地区の境の県道付近の茂みに、1933(昭和8)年の三陸大津波の碑がひっそりとたたずむ。
 碑には、津波をくぐり抜け、めげない心で進もうという住民の意志が読み取れる。近隣住民らによると、白前と横沼のちょうど境の道路であるため、この地に設置したと推測される。
 現在の集落は海から離れた高台にあるが、住民らによると、過去には横沼漁港付近に集落があった。
 県昭和震災史を参考とした同市史によると、1896(明治29)年の三陸大津波では、旧侍浜村の人口1397人のうち、100人が命を落とした。昭和の大津波では村に10・6メートルの津波が押し寄せ、2人が犠牲になり不明者も1人出ている。また173隻の船が流失や破損の被害に遭った。
 同漁港周辺に集落があったとされる場所は現在、廃水処理場になり、住宅は立っていない。過去の大津波での犠牲を教訓に、住民たちが高台移転を進めたとみられる。
 人々の記憶から災禍が薄れてきた2011年。海が侍浜に牙をむいた。

よそごと、人ごと脱却

「津波からは絶対に逃げなきゃ駄目だ」。横沼漁港で東日本大震災当時の風景を思い出す小向石蔵さん
 「本当におっかながった」。久慈市侍浜町の小向石蔵さん(82)はあの日の記憶を振り返る。
 東日本大震災の地震発生時、小向さんは車を運転していた。収まらない揺れ、今にも折れそうな目の前の電柱。「津波が来る」。言いようのない恐怖を感じた。
 自宅近くの横沼漁港付近まで坂を下りると、はるか沖まで引いた波と巻き込まれた船が遠くに見えた。きびすを返し、高台の自宅に大急ぎで戻る。「絶対に近づいてはいけない」。培った経験がそう告げていた。
 侍浜で生まれ育った小向さんは、中学を出てすぐ漁師になった。23歳の若さで船頭になり、全国の海を回った。「もう駄目だ、と何度も思った」と荒れる海の恐怖も味わってきた。海に生きてきたからこそ、恩恵とともにその怖さは身に染みて分かっていた。
 震災では久慈港に置いていた小型漁船2隻を流された。「船も大切だったが、命がなければどうにもならない。津波からは絶対に逃げなきゃ駄目だ」と静かな口調ながら強く訴える。
 市によると、震災で同市侍浜町では死者2人、行方不明者1人。侍浜町老人クラブ連合会長の桑田和雄さん(78)は「友人や知人も命を落とした。市内の他地域と比べても、侍浜は人的被害が大きかった」と肩を落とす。
 桑田さんは昨年3月、市老人クラブ連合会の事業として、震災の記録誌を発刊した。地域住民への取材を進め、当時の記憶や思いをまとめた。手弁当で60ページを完成させ、被災時に世話になった人々へ配った。
 「伝えたいのは『よそごと、人ごと』ではないということだ」と桑田さん。身に迫る災害を「わがごと」として捉え、とにかく逃げる−。決して揺るがない教訓は、令和の時代へと受け継がれる。
久慈市の北に位置する侍浜町。石碑は写真中央の白いビニールハウス付近にある(岩手日報社小型無人機から撮影)
【2011年3月】 東日本大震災で被災した久慈市侍浜町の横沼漁港(同市提供)

2020年10月21日 公開
[2020年01月21日 岩手日報掲載]

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久慈市侍浜町の昭和八年津浪記念碑

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