追悼の思い文化財に

陸前高田市・根岬地区


 陸前高田市広田町の広田半島南端に位置する根岬(ねさき)地区。鶴樹神社は漁港から集落につながる坂道の途中にあり、境内に1896(明治29)年の大津波の犠牲者を悼む供養塔が立つ。
 地元の故・臼井源之進さんが1966(昭和41)年に発行した「根岬の郷土史」によると、大津波で家屋22戸が流失し、死者は100人余に上った。「津波の言い伝えも経験もなく油断し、そのため人命の被害は大きかったと思う」と記す。
 明治の大津波に続き、33(昭和8)年にも再び波高11・2メートルの大津波が襲来。家屋24戸が流失し、15人が死亡した。
 住民によると、これらの災禍を経て住家の高台移転が進められた。東日本大震災での家屋被害は2棟にとどまり、発生時に地区内にいた人は一人も犠牲にならなかった。
 市は震災後の2016年、「津波の記憶を残す貴重な資料」として供養塔を有形文化財に指定した。
 「元朝参りで毎年手を合わせていたが、何の碑かは分からなかった」。住民の大半は供養塔の由来を知らなかったが、指定を機に守り伝えていく動きが出始めている。

建立由来 地域で共有

陸前高田市広田町の根岬地区。鶴樹神社は写真中央付近にあり、石段の途中まで津波が押し寄せた(岩手日報社小型無人機で撮影)
 陸前高田市広田町の根岬地区には多くの漁業従事者が生活する。「浜の人間は津波への意識が高い」。震災発生後、高台に家がある人も含めて大半の住民が、より高い場所や公民館に避難した。
 漁業鈴木初男さん(65)は同町泊地区で激しい揺れに襲われた。すぐ根岬地区に戻り、元消防団員として漁港の水門を閉鎖。自宅へ逃げ、「ここも危ない」とさらに高台へ。船の沖出しに向かおうとした近所の漁業者を「あきらめろ」と制止した。
 「ついに宮城県沖地震が来たと思った」と当時を振り返る鈴木さん。自宅は1・5メートル浸水し、修繕して生活を続ける。「津波はまた絶対に来る。海と生きるからには、覚悟しなければならない」と言い聞かせる。
 根岬地区は高台に約110戸が並び、津波被害は鈴木さん方を含む2棟。地区内での犠牲者はいなかったが、市中心部で津波に巻き込まれるなどした住民がいたのも事実だ。
 「過去のことをしっかり伝えたい」。明治の大津波の供養塔がある鶴樹神社の別当の一人、漁業菅野源司さん(70)は思いを強くする。
 高台の商店脇にある昭和の大津波記念碑は存在も文言もよく知っていた。ただ、供養塔は2016年に市の文化財に指定されるまでよく分からなかった。
 指定を受け、供養塔の由来などを地域内の会合で紹介した。「みんなに知ってほしい」と願い、今夏には塗料が薄れかかっていた文言を赤く塗り直した。
 親戚の小学校教諭菅野敏(さとし)さん(58)と協力し、地域の歩みや過去の津波に関する記述がある「根岬の郷土史」の復刻も目指す。
 菅野源司さんは「地域の歴史、昔の津波のことを子や孫の世代に知ってもらいたい」と力を込める。
「根岬の郷土史」を手にする菅野源司さん。復刻版の作成を目指している
【2011年3月11日】 根岬地区を襲った津波(刈谷詩奈子さん提供)

2020年09月18日 公開
[2019年12月18日 岩手日報掲載]

碑の場所を確認する

陸前高田市・根岬地区の海嘯溺死霊供養塔

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