住民ら避難の目印に

久慈市宇部町・小袖地区


 「北限の海女」で広く知られる久慈市宇部町小袖地区。久慈湾の南東部にある小袖海岸は多くの観光客が訪れる景勝地で、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台にもなった。その海岸を見下ろす海抜約60メートルの高台に1933(昭和8)年の大津波の記念碑がひっそりとたたずむ。
 市史によると、1896(明治29)年の大津波で、旧宇部村では人口2244人のうち160人を超す犠牲が出た。小袖部落の近代史(大向直三著)によると小袖地区では30人が亡くなり、住家8戸が流失した。昭和の大津波でも死者6人、住家流失4戸などの被害に見舞われた。
 記念碑は昭和の大津波からちょうど1年後の1934(昭和9)年3月3日に建立された。小袖漁港周辺の下村地区と高台に民家が集まる上村地区を結ぶ生活道沿いにある。かつては両地区を結ぶ唯一の坂道で、多くの住民が往来するたびに目にする場所だった。
 2011年3月11日。古くから「強い地震は津浪の報(しら)せ」の教訓を静かに伝え続けた石碑のもとに多くの住民が避難した。その眼下には再び集落を襲った黒い波が一面に広がっていた。

「ここまで逃げれば」

小袖海岸近くの高台にある記念碑の前で「ここまで逃げれば必ず助かる」と語る村塚繁好さん
 「間違いなく大きな津波が来る。一目散に高台に逃げろ。船の片付けなんかいいから。すぐに逃げろ」。久慈市宇部町の漁業中川勝行さん(66)は妻リサ子さん(60)にこう言い残し、自身所有の「第16福丸」(5トン)で沖に向かった。
 本格的なタコかご漁が始まろうとしていたあの日。船上で作業していると、2人の携帯電話が「ギュッ、ギュッ、ギュッ」と鳴った。程なく海面から伝わる大きな揺れが2人を襲った。
 「尋常じゃない」。勝行さんは血相を変えて小袖漁港に戻り、妻を丘に残して沖出しの準備に取りかかった。出港して約15分後に第1波が来た。間一髪だった。頻発する大きな余震も船の上で感じつつ、沖から古里を眺めると、岸にぶつかる波しぶきは数十メートルにも見えた。
 そのころ。リサ子さんは約50人の住民と1933(昭和8)年の津波記念碑近くの高台にいた。「第1波の不気味で表現できない大きな音にびっくりした。今いる場所も崩れてしまうと思った」。悪夢は繰り返し、2010年に新築したばかりの海女センターが全壊。住民1人が犠牲となり、大小約100隻の漁船も被災した。
 同じ場所に避難した小袖地区行政連絡区長の村塚繁好さん(73)は「この場所まで逃げれば必ず助かる。今はあまり人が通らず、何でこんな場所にあるんだと不思議がっている人もいた」と語る。約50年前に村塚さんら住民有志が台座を補強し、今の姿になったという。
 4月から市漁協小袖漁業生産部長を務める勝行さん。「石碑は大津波を忘れてはいけないというメッセージ。今まで大丈夫だった、という安易な考えでは命を捨てることになる。災害は必ず来るんだという気持ちを持って避難しなければ」と表情を引き締める。
久慈市宇部町の小袖地区。左上の高台にある集落に昭和八年津浪記念碑がある(岩手日報社小型無人機で撮影)
【2011年3月】 東日本大震災で被災した小袖漁港周辺。ほとんどの漁船が被災した

2020年08月21日 公開
[2019年11月22日 岩手日報掲載]

碑の場所を確認する

久慈市宇部町・小袖地区の昭和八年津浪記念碑

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