大位牌と伝える惨状

大船渡市盛町


 大船渡市の内陸部、盛町の高台に立つ洞雲(とううん)寺(清水瑞邦(ずいほう)住職)。その門前には、1896(明治29)年の三陸大津波の記憶や気仙郡内の被害を伝える「大海嘯紀念碑」がある。明治の大津波から6年後の1902(明治35)年に、郡内の有志によって建てられた。
 当時、同郡管内にあった自治体は盛町を含め22町村。碑には12町村で、約2730戸の家屋が津波で流され、5670人ほどが溺死したと記されている。
 同郡の各町村では命は助かったものの負傷した人も多く、被災を免れた同寺が臨時病院となった。碑には治療の場として役割を果たし、その様子を国の役人たちが視察に訪れたことなども刻まれている。
 同寺の本堂には碑とほぼ同時期に同じく有志によってつくられたとされる高さ2・7メートルの位牌(いはい)がある。気仙郡を中心に犠牲になった人々の名前が刻まれており、こうした大位牌は全国的にも珍しいという。
 後世を生きる人たちが当時の惨状に思いをはせながら、心穏やかに暮らすことができるように—。寺に静かにたたずむ碑と位牌には、先人の強い思いが込められている。

観音像に安穏を祈る

東日本大震災からの復興に向かう大船渡市の内陸部に位置する盛町。教訓を伝える観音像は写真左下に立つ(岩手日報社小型無人機で撮影)
 東日本大震災では、大船渡湾から北西3キロほどの地点を中心に広がる盛町でも大きな被害が出た。海から押し寄せた津波と、盛川を逆流し堤防からあふれた津波が一つになり、多くの家屋が浸水。15人ほどが犠牲になった。
 洞雲寺の清水瑞邦住職(80)は「過去の津波で海から離れた盛町でこんなにも被害が出ることはなかったと聞いている。今回はそれだけ大きかった」とあの日を振り返る。
 清水住職は震災発生から1年後、妻を津波で亡くした檀家(だんか)の「犠牲者を供養したい」との思いを受け、同寺駐車場に観音像を建立。高さは約8メートルで、台座には犠牲になった檀家約80人の名前を刻んだ。
 「わが郷土の力強い復興と永久に安穏ならんことを祈念するものなり(一部抜粋)」。像に合わせて建てられた碑には、清水住職から依頼を受けた同市盛町の菊池喜清さん(84)による碑文が刻まれている。
 檀家だけでなく、震災犠牲者全員の冥福と地域の復興への祈りを観音像に託した菊池さん。「今年は台風19号の被害も大きかった。災害がなくなることはないのだから、地域で互いに力を合わせ、手を取り合って生きていかなければならない。観音様はまさにそうした考え方の象徴だ」とうなずく。
 震災以降、盛町でも地区ごとに避難訓練などが実施され、多くの住民が参加している。清水住職は「盛町のように内陸に住む人たちも津波を自分事として考え、被害に遭った人たちに寄り添うことが何より大事」と力を込める。
 今を生きる人々が未来に残したいと考える、震災の事実と災害と向き合う心。盛町、そして大船渡市内全域を見守っている観音像が、いつまでも伝え続けていくに違いない。
「教訓として後世に伝えることが残された者の責任」と観音像を建てた経緯を語る清水瑞邦住職
【2011年4月11日】 内陸部の盛町でも多くの住家で浸水するなどの被害が出た

2020年07月31日 公開
[2019年11月21日 岩手日報掲載]

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大船渡市盛町の大海嘯紀念碑

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