片仮名で五つの教訓

田野畑村・島越地区


 田野畑村島越の海抜約40メートルの高台から太平洋を望む墓地の片隅に、1933(昭和8)年の大津波の教訓を伝える石碑がある。
 上部に大きく「すべて」と記され、「ヂシンガアッタラタカイトコロニアヅマレ」など五つの教訓が片仮名で刻まれている。裏には建立者とみられる熊谷門介(もんかい)と工藤良介の名がある。
 古くから何度も津波の被害を受けてきた島越地区。史料により異なるが、同村史年表資料によると、明治の津波で死者138人、流失・全壊戸数34戸の損害を受けた。昭和の津波では流失倒壊家屋127戸、犠牲者103人とされている。
 そばには当時の石黒英彦知事の昭和三陸津波被災者激励文が刻まれた津浪記念碑と、1896(明治29)年の津波の犠牲者を慰霊する招魂碑も並ぶ。
 建立者熊谷と同名のひ孫で、盛岡市北松園の熊谷門介さん(69)は小学生のころ、島越の祖父母宅に遊びに行くたびに祖父から津波の話を聞かされた。
 島越地区は東日本大震災の津波に続き、台風19号豪雨で土砂災害が発生。現場に立った熊谷さんは「津波の恐ろしさは理解していたつもりだったが−。やはり水は怖い」と声を落とす。
 教訓を残した曽祖父。毎年のように想定を超えて襲い来る現代の水災に、どんな言葉を残すだろうか。

船より命優先と自戒

明治、昭和の両大津波と東日本大震災で被災した田野畑村島越地区(岩手日報社小型無人機で撮影)
 「海は船底が海底に付きそうなほど水が引いていた。防波堤の外側には大きな渦が巻いていた」。東日本大震災で観光船第10陸中丸(77トン、現北山崎断崖クルーズ三陸号)を沖出しした三浦鉄郎さん(65)=田野畑村松前沢=は、津波をこう振り返る。
 田野畑村島越に津波が到達する5分ほど前。車を高台に避難させた三浦さんは海の変わりように驚き、高台を駆け下り、沖合4キロへ全速力で船を走らせた。
 船上で夜を過ごし、翌朝戻った島越漁港は変わり果てていた。1隻しかない観光船を命懸けで守り抜いたが「船長として船を守りたい使命感による行動だった。しかし県内には沖出しで亡くなった人もいるので、船より自分の命を優先するべきだ」と自戒する。
 今も心が痛むのは、沖出し直前に「早く逃げた方がいい」と避難を促した地元漁協職員を津波から救えなかったこと。3月はワカメ養殖が始まる頃。塩蔵ワカメに使う塩を津波から守ろうとフォークリフトで高台へ移動させていたという。
 かけがえのない命の重みをかみしめる三浦さんだが、自身も海の様子を見るまでは「津波が来るとは思わなかった」一人だった。
 「ヂシンガシタラバユダンヲスルナ」「タカイトコロニアヅマレ」。まるで予期していたかのような忠告「すべて」が刻まれた碑文を「昔の人は的確に伝えてくれている」と真摯(しんし)に受け止める。
 この碑には漢字がほとんど使われず、平仮名カタカナが中心。幼い頃から石碑の近くで暮らす漁業斎藤忠一さん(86)は「当時は学のある人ばかりではないので読みやすくしてくれたのだと思う。『多くの人を救いたい』という思いからだろう」。古老は、先人の秘めた思い「すべて」を語ってくれた。
決死の思いで津波から守った観光船を見つめる三浦鉄郎さん
【2011年3月11日】 津波で被災した島越地区。左の赤い鉄骨は漁村センター黎明館(田野畑村提供)

2020年07月01日 公開
[2019年10月30日 岩手日報掲載]

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田野畑村・島越地区の石碑「すべて」

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