本州最高の波高記録

大船渡市三陸町・綾里


 大船渡市三陸町綾里の高台に立つ明治三陸大津波伝承碑。「被害戸数296戸溺死1350人を数え、この地にて本州津波史上最高の38・2m(メートル)の波高を記録する」と1896(明治29)年に旧綾里村を襲った大津波の惨状を刻む。
 碑は1998年、自主防災組織である綾里地区消防の100周年記念事業で建立。隣には「惨状を永く後世に伝え、地域住民の戒めとする」と趣意をボードに記した。
 碑が位置するのは白浜海岸と港湾方面を結ぶ小さな峠。津波は双方向から押し寄せ、峠で合流したとされる。趣意文には興味深い考察がある。
 〈この辺は昔から「みちあい」と呼ばれ、「道合」と書いていたが、本当は「みずあい」すなわち「水合」なのかも知れない〉
 峠は海抜30メートル以上。長い歴史の中で、津波の脅威はさまざまな形で地域に刻み込まれる。
 地区消防の前身に当たる綾里壮年効成会は明治の津波から2年後の1898(明治31)年に設立。自治体消防の発足より半世紀先駆け、はるかに早い組織誕生だった。災害から地域を守らんとする当時の住民の決意がうかがわれる。

有形無形で津波伝承

明治三陸大津波で大きな被害を受けた綾里地区。道路が交差する写真手前の峠で2方向の津波が合流したとされる
 綾里地区消防100年の歩みを収めた記念誌「金馬簾(きんばれん)」は明治三陸大津波伝承碑が除幕された1998年6月当時の模様を刻んでいる。除幕式では綾里が地元の津波研究家・故山下文男さんが碑文の解説を務めた。「本州津波最高到達地点に碑建立」「悲惨な記憶を後世に」と当時の新聞も大々的に報じた。
 地域を挙げた建立から20年。住民に碑の存在を聞くと意外にも「意識したことはない」という声が多く聞かれた。綾里地区の消防後援会長を務めた経験がある佐々木昭夫さん(82)も「当時は他地域から見に来る人もいたが、それも少なくなった。年月とともに忘れられてしまっているのではないか」と明かす。
 佐々木さんは東日本大震災綾里地区復興委の初代委員長を務め、住民や行政との折衝に奔走、市への復興提言をまとめ上げた。復興委は震災の被災状況も調べ上げ「死者28名 行方不明者3名」などと記した津波記憶石を三陸鉄道リアス線綾里駅前に建立した。
 復興委はその後「復興ワークショップ」と題して、綾里小近くの被災跡地の緑地広場整備へ協議を重ねてきた。県外の大学がオブザーバーとなり、地元の若者も積極的に広場を生かした震災後のまちづくりについて議論する。
 佐藤栄委員長(79)は「震災でまちの形は変わったが、再び綾里の心が一つに連帯する場になってほしい」と願いを込める。
 綾里には昭和の大津波後に高台移転した住宅地が「復興地」として残る。これにより、津波被害は明治期と比べ大きく軽減した。伝承碑建立などハードによる啓発に加え、山下さんが世に広めた「津波てんでんこ」の教えも住民に刻まれる。有形無形の伝承、そしてまちづくり。津波と向き合う重層的な地域の一面を見た思いがした。
被災跡地に整備する緑地広場に住民連帯の期待を込める佐藤栄委員長
【2011年3月13日】被災直後、がれきが散乱する綾里地区(大船渡市提供)

2020年04月21日 公開
[2019年08月21日 岩手日報掲載]

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大船渡市三陸町・綾里の明治三陸大津波伝承碑

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