避難促す六つの教え

陸前高田市・気仙町湊地区


 東日本大震災の防災集団移転に伴い、陸前高田市気仙町長部の高台に形成された湊地区の月山団地(約50戸)。真新しい公民館前に、1933(昭和8)年の大津波の記念碑が立つ。
 かつては海岸から約350メートルに位置する公民館近くで集落を見守っていたが、一帯は震災津波にのみこまれ、新団地に移された。
 長部漁港周辺の湊地区の歴史は、津波を抜きにしては語れない。1896(明治29)年の大津波で旧気仙村全体の被害は流失・全半壊38戸、死者42人。昭和の大津波では流失・倒壊50戸、死者32人を出し、陸前高田市史によると被害の大部分が湊地区だった。
 津波高は明治が3・4メートル、昭和が3・2メートル。1934年に建てられた記念碑の表には「大津波三四十年後に又(また)来る」など津波への備えや迅速な避難を促す六つの教えを刻む。裏側には気仙町の被害状況や復興の様子を詳細に伝えている。
 碑文などによると住民は湊地区にとどまり、高さ約3メートルの石垣を築き、その上に家を建てた。しかし、1960年のチリ地震津波ではかさ上げした宅地も浸水。防波堤や防潮堤などの設備を充実させたが、平成の震災津波は地域の経験則をはるかに上回り、9割の103戸が被災した。

防災会が意識つなぐ

震災後、防災集団移転で高台に形成された月山団地。奥には長部漁港と湊地区がある(岩手日報社小型無人機で撮影)
 陸前高田市気仙町の湊地区は住民の間で地震発生時、速やかに高台に逃げる意識が高かった。記念碑移設の中心となった菅野泰夫さん(85)も東日本大震災の直後、習慣で体が動き、すぐに避難した。
 「幼い頃は石碑の周りで遊び、友達と碑文を読み上げたものだ」と振り返る菅野さん。「恐ろしげな、きつい言葉で書かれているが、だからこそ記憶に残る」と存在意義を語る。
 湊地区を含む7支部で組織する長部地区自主防災会は2014年から、毎年3月の第1日曜に避難訓練を行う。会長に12年就任した菅野征一さん(74)が震災前から地元の福伏(ふっぷし)支部で行っていた訓練を広める形で始めた。
 「自主防災会をペーパー組織にしてはいけない」。菅野会長が震災で得た教訓だ。日頃から各支部で情報連絡班・避難救助班・炊出給食班・救急救護班を整えておき「要救護者は誰が迎えに行くのかを決めて毎年見直す。避難方法を一人一人が体で覚えなければいけない」と、万一の際に機能するよう念を入れる。
 避難訓練が始まった当時の湊地区長、吉田忠男さん(69)は内陸の住田町世田米出身。「来たばかりの頃は、皆が普段から津波に備えていることに驚いた」と振り返る。その言葉が表すように湊地区だけで約100人、長部地区全体では500〜600人が毎年訓練に参加している。
 約50戸が再建した月山団地は湊地区の背後にある国道45号のさらに高台にあり、津波被害の恐れは小さい。だが、全国各地で相次ぐ災害は津波だけにとどまらない。訓練には、部活動などで子どもたちの参加が少ないのが現状。吉田さんは「防災意識を若い世代につないでいかなければいけない」と重要な役目を再認識する。
長部地区自主防災会主催の避難訓練に参加する住民=3月
【2011年4月】震災津波で一帯がのみこまれ、がれきが散らばる湊地区(市提供)

2020年04月01日 公開
[2019年08月20日 岩手日報掲載]

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陸前高田市・気仙町湊地区の大津波記念碑

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