浜の支援へ感謝示す

久慈市・長内町


 久慈市の東に位置し、久慈湾に面する長内町。海沿いから市中心部方面に入る県道の脇、諏訪神社へ上がる道の入り口に津波記念碑がたたずむ。
 同地区は久慈港や海水浴場、水産加工施設などを備えた浜が身近な土地。水揚げ作業に励む漁業者らで、港や魚市場は早朝から活気にあふれる。かつて同地区の沿岸部には広大な砂浜が広がっていた。
 石碑は1933(昭和8)年の大津波の惨状を伝えており、発生から3年後に建てられた。当時の長内村長らが義援金を活用し建立したとみられ、支援への感謝と復興への誓いが記されている。
 久慈市史によると、1896(明治29)年の大津波では、約2700人の住民のうち130人近くが命を落とした。昭和の大津波では、死者・行方不明者合わせて10人。家屋は2軒の流失にとどまったが、船は汽船と小舟計約130隻が流失・破損した。
 海とともに暮らし、幾度も津波の被害に遭ってきた長内町。そして平成の時代、まちを東日本大震災が襲った。

災禍伝承 思いを塔に

久慈港や諏訪緑地を備えた久慈市長内町。ケルン・鎮魂の鐘と光(中央)が存在感を放つ(岩手日報社小型無人機で撮影)
 津波記念碑の立つ諏訪神社ふもとから約200メートル。久慈港に隣接する公園「諏訪緑地」に、標高14・5メートルの円すい形のモニュメントがある。名は「ケルン・鎮魂の鐘と光」。東日本大震災を忘れないよう、地域住民が力を合わせて建てた「思い」の塔だ。
 あの日、港の町はがれきの山と化した。黒い波が久慈港を囲む壁を乗り越え、船や付近の工場の木材を巻き込み町中に流れ込んだ。「あんなに大きな津波が来るとは。船も丸太も全て流れていった」。会社役員の一沢明男さん(77)はつぶやく。「津波は、沿岸の宿命だ」
 同地区で犠牲者は出なかったが、住家の被害は全壊18軒を含め191軒に上った。
 大災害を後世に伝える—。震災から数カ月後、一沢さんら住民有志が立ち上がる。「思いを積み上げる」との意味を込め、石積みのモニュメントを構想。登山道に道しるべで置かれる積み石から「ケルン」と命名し、NPO法人岩手・久慈ケルンの会を組織した。
 事業費は約2千万円。1人500円という「ワンコイン寄付」を掲げ、町内会や各職場で地道に呼び掛けた。2012年度から14年度までに目標額近くを集金。15年には鐘台が設置され、除幕式が行われた。
 中央には内部を斜めに貫く穴が開いており、震災発生時の3月11日午後2時46分には、その穴を太陽光が突き抜ける。毎年3月11日には市民が集い、祈りをささげる。
 同法人の西村秀雄事務局長(71)は「まずは語り継ぐことが大切。多くの人に足を運んでもらい、自分の目でケルンを見てほしい」と願う。
 普段から多くの親子連れらが訪れる諏訪緑地。住民の憩いの場にたたずむ碑は、災禍と教訓を静かに訴え続ける。
諏訪緑地に立つ東日本大震災モニュメント、ケルン・鎮魂の鐘と光。付近には遊具やベンチがあり、子どもや市民の憩いの場として親しまれる
【2011年3月】 東日本大震災で被災した久慈市長内町・久慈港付近(市提供)

2020年02月21日 公開
[2019年06月21日 岩手日報掲載]

碑の場所を確認する

久慈市・長内町の津波記念碑

Google News Initiative(グーグル ニュース イニシアティブ) は Google がジャーナリズムの未来を切り開くため、報道業界とのコラボレーションを推進する取り組みです。世界各地で記者・編集者向けにデジタル技術の活用に関するワークショップやパートナーシッププログラムを展開しており、テクノロジーを最大限に活用して現代のジャーナリズムを巡る課題に取り組んでいます。