節を付け津波伝える

釜石市唐丹町・小白浜


 釜石市南東部に位置する唐丹(とうに)町は唐丹湾に面して太平洋を望む。1896(明治29)年、1933(昭和8)年と三陸大津波で被災。同町小白浜の盛岩寺(三宅俊禅(しゅんぜん)住職)境内に立つ碑の一つが、昭和の津波襲来時の状況などを記した「津浪記念碑」だ。
 釜石市誌などによると、昭和の津波で小白浜地区では158戸のうち96戸が流失し、6人が犠牲になった。碑は被災1年後の34年3月3日に建立。市教委によると、市内の津波記念碑で最も大きく高さ約4・3メートルで、石碑としては珍しい探照灯が付いていた。現在はないが、地元に残る完成時の写真で確認できる。
 災禍を忘れず、後世に伝えていく。その思いが込められた碑の完成後、毎年3月3日には碑の前に子どもたちが集まり、正面に記された碑文に節を付けた歌を合唱する姿があった。
 「まいのぼらまし、まいのぼらましって声を合わせて歌って。節が付いて覚えやすく、津波にめげずに立ち上がろうという思いだった」。同市唐丹町の鈴木登美子さん(89)は振り返る。だが、いつしか歌う機会はなくなり、今その事実を知る住民はわずかだ。
 昭和の津波後、小白浜地区は高台に住宅地を造成し、移転。しかし、東日本大震災の津波は高さ12・5メートルの防潮堤を越えて、再び多くの家屋を破壊した。

高台避難の教え継ぐ

災害公営住宅が整備され、防潮堤の復旧工事が進む小白浜地区(岩手日報社小型無人機で撮影)
 東日本大震災の津波は、従来高台とされていた小白浜地区の中央を通る旧国道45号にも上がった。昭和の記念碑が立つ盛岩寺も被災。車が墓に乗り上げ、重さ約1トンの鐘を支える鐘突き堂や山門などは押し流された。本堂も浸水した。
 震災で4人が犠牲になり、住家は256戸中69戸が全壊した。「もっと高い所に逃げるように叫んだ」。高台に自宅がある小白浜町内会の佐々木啓二会長(75)は振り返る。海岸近くの職場の従業員や住民が避難した場所に、12・5メートルの防潮堤を越えた波が迫っていた。逃げ遅れた高齢者は、住民に背負われて高台に避難した。
 明治、昭和の津波で被災した同地区。多くの住民は幼い頃から祖父母や父母らから「地震が来たらすぐに逃げる」「てんでんで逃げる」と教えられ、徹底していたという。災害から得た教訓は各家庭で語り継がれてきた。だが、過去の被災経験から逃げ遅れた住民もいた。
 震災後に唐丹町の任意団体・唐丹の歴史を語る会(河東真澄会長)が発行した記録集には反省がつづられている。「家は昭和8年の復興地なので、ここまで津波は来ないと思っていた」「防波堤、防潮堤など何重にも対策が取られていたので過信があった」
 現在、中心部には災害公営住宅が整備され、津波で破壊された防潮堤は来年3月の完成を目指して高さ14・5メートルで復旧工事が進む。震災の影響で傾いたとみられる盛岩寺の記念碑を直したいとの声が上がり、震災津波の到達位置を示す石柱も地区内に複数並んだ。
 「過去の災害を忘れないことが大切。ただ、過去の経験にとらわれず、高台に逃げることだ」と佐々木会長。碑を建立した先人の思い、各家庭で語り継がれてきた「命を守る教訓」の重要さを再認識している。
震災当時を振り返り「より高い所に逃げる意識が大切だ」と語る佐々木啓二さん
【2011年3月15日】 防潮堤を乗り越えた津波で多くの家屋が破壊された小白浜地区

2020年01月21日 公開
[2019年06月18日 岩手日報掲載]

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釜石市唐丹町・小白浜の津浪記念碑

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