先人の教え4面刻む

陸前高田市広田町・中沢浜地区


 陸前高田市広田町の中沢浜貝塚歴史防災公園の一角に、1933(昭和8)年の大津波の記念碑が立っている。中沢浜地区は隣接する泊地区と共に町内最大の広田漁港を有し、幾度も津波に襲われてきた。東日本大震災の津波もまた、石碑の目の前まで押し寄せた。
 故山下文男さんの「哀史三陸大津波」によると、1896(明治29)年の大津波における同地区の被害は流失17戸、犠牲48人。昭和の大津波では18戸が流失し、3人が亡くなった。津波の高さは明治が13・6メートル、昭和が8・5メートルだった。
 石碑は1934(昭和9)年に、広田町内の昭和の大津波の到達点に7基整備されたものの一つ。昭和の大津波で被災し、高台に移転した家々に続く緩やかな坂を、海岸から約200メートル上がったところに立っている。「低いところに住家を建てるな」などの簡潔な教訓が、4面に一つずつ刻まれている。
 広田漁業史編集委員会が76(昭和51)年に編集した「広田漁業史」によると、昭和の大津波の被害を受けた当時の広田村民から沖に防波堤を建設しようと声が上がり、34年に着工した。県道38号沿いには海抜6・3メートルの防潮堤も建設され、安心した住民は徐々に石碑より下に家を建てた。しかし、震災の大津波は防潮堤を越え、広田町全体で59人が犠牲となる大きな被害が出た。

教訓、歴史学ぶ公園に

陸前高田市広田町の中沢浜地区。東日本大震災の津波は広田漁港をのみ込み、防潮堤を越えて地区を襲った(岩手日報社小型無人機で撮影)
 中沢浜地区を襲った東日本大震災の津波は、第1波は漁港内を洗って沖の防波堤まで引き、続けて来た第2波が防潮堤を越えた。波は県道沿いの家を次々とのみ込み、広田コミュニティセンターによると162戸中48戸が全半壊した。
 自宅裏の中沢浜貝塚に登った吉田貞子さん(83)は、津波襲来を住民約10人と共に見た。「先に逃げろ」と貞子さんを送り出した夫の三四雄(みしお)さん=当時(80)=は自宅で犠牲になった。「津波は恐ろしいんだぞと、嫁いだ時に石碑の存在を教えられた。何も構わず高台に上がれとはその通り」と先人の教えをかみしめる。
 市は2017年、震災の津波でも浸水しなかった中沢浜貝塚一帯を歴史防災公園として整備。13年からワークショップを開き、公園のデザインについて住民の意見を募った。
 区長の菅野昌男さん(80)は「貝塚へはぐるっと迂回(うかい)して坂を上るので、漁港の入り口正面に避難階段を作ろうと意見が出た」と振り返る。意見を受け、市は手すり付きのゆるやかな避難階段を設置し、過去の津波の高さを示すプレートも取り付けた。
 公園内にはテントを張って風雨を防げる防災あずまやや、かまどを併設したベンチを整備。昨年からは秋に広田漁港で開かれる広田大漁まつりに合わせ、公園内設備の説明や出土品の展示も行っている。
 ワークショップに参加した長野昭文さん(68)は「21年度には広田町に野外活動センターができる予定で、市外から訪れる人も増えるだろう」と期待する。住民が利用するだけでなく、多くの人に津波の教訓と貝塚の歴史を学んでもらえるよう、「避難階段や公園全体をもっと活用していく方法を考えなければならない」と力を込める。
中沢浜貝塚歴史防災公園に続く避難階段から建設中の海抜12・5メートルの防潮堤を見つめる菅野昌男さん
【2011年9月】 東日本大震災の津波で被災した中沢浜地区(いわて震災津波アーカイブ・県沿岸広域振興局大船渡土木センター提供)

2019年12月20日 公開
[2019年05月20日 岩手日報掲載]

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陸前高田市広田町・中沢浜地区の大津波記念碑

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