生死を分けた幻灯会

宮古市・鍬ケ崎地区


 藩制時代から交易で栄え、サンマ漁船の集結基地や遊郭がありにぎわった宮古市の鍬ケ崎(くわがさき)地区。戊辰戦争(1868〜69年)では宮古港海戦の舞台になった同地区は宮古湾に面し、幾度も津波に襲われてきた。
 「東日本大震災 宮古市の記憶」(同市刊)によると、1896(明治29)年の大津波では100人が死亡し、701戸中350戸の家屋が流失、半壊した。
 心公院の敷地にある明治の津波の記念碑は、同地区の有志が1908(明治41)年に建立。碑文は風化し判読できないが、鍬ケ崎小教員だった花坂徹さん(58)らが2014年に標柱を建て、存在を伝えている。
 石碑には地震発生時、同校で幻灯機を使った鑑賞会を開いており、大勢が助かったと記されている。この出来事は「鍬ケ崎ものがたり」や絵本「幻燈会(げんとうかい)の夜」でも紹介されている。
 1933(昭和8)年の大津波では24人が犠牲になり、住居21戸が壊された。その後も海の町として繁栄を続け、昭和30年代にはサンマ棒受け網や北洋サケ・マス漁の拠点として全国に知られた。映画館や銭湯、ホテルもあり、まちは大いににぎわった。

防災教育いかに継続

震災伝承室で、今までの取り組みや展示資料を説明する坂下正義前校長(右)
 東日本大震災で鍬ケ崎地区は南北から津波が押し寄せた。防潮堤がないため、平たん部の家屋がほぼすべてなぎ倒され、がれきに覆われた。犠牲者は57人、住家と非住家計1112戸が被災した。
 宮古市熊野町の鍬ケ崎小(林一広校長、児童147人)は、2006年に防災かるたを製作。13年に震災伝承室を設置し、これまでの津波防災学習や復興するまち並みを紹介している。
 しかし、震災時と伝承室設立時の教諭らは転勤し、今後の防災教育を再検討する時期に来ている。
 前校長の坂下正義・現重茂小校長は18日、鍬ケ崎小を訪れ、教師らにこれまでの取り組みや、自身が考える今後の防災教育の具体例を紹介した。
 坂下校長は「震災後の漁業や災害公営住宅について調べるなど、被災と直接関係ないことでもできることはある。震災伝承室を見て課題意識を持ったことに、児童と共に取り組んでほしい」とアドバイスした。
 震災から8年1カ月余。区画整理事業も完了し、住民の心配は今後の町のにぎわいだ。震災前に銭湯を営んでいた同市鍬ケ崎仲町の袰岩政子さん(79)は「戻ってこない人も多く、空き地も目立つ。今後どうなっていくのか」と憂う。
 市によると、区画整理事業で引き渡した土地の約2割で利用の見通しがたっていない(18年2月時点)。市は、空き地と利用希望者のマッチングを行うなど空き地解消に取り組む。
 津波のたびに形を変え、復興を遂げてきた鍬ケ崎地区。今回の大災害を乗り越え、本当の意味で復興する日まで歩みを続ける。
宮古湾に面し山に囲まれた鍬ケ崎地区。区画整理事業で引き渡したエリアで空き地が目立つ(岩手日報社小型無人機から撮影)
【2011年3月13日】 津波で平たん部の家屋の大半が流され、がれきで埋め尽くされた鍬ケ崎地区

2019年11月29日 公開
[2019年04月19日 岩手日報掲載]

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宮古市・鍬ケ崎地区の明治三陸大津波記念碑

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