各年代の大きな爪痕

大船渡市大船渡町


大船渡市大船渡町
 
 大船渡市中心部の大船渡町にある西光寺(富沢康磨(やすまろ)住職)。境内には明治三陸(1896年)、昭和三陸(1933年)、チリ地震(60年)と各年代で市内に大きな爪痕を残した津波の関連石碑が並び立つ。
 南米チリで発生した地震による津波が同市に到達したのは60年5月24日未明。同市は国内最多53人が犠牲となったが、特にも被害が甚大だったのが大船渡町と赤崎町。市史によると大船渡町は51人が亡くなり、寺は遺体安置所となった。
 災禍の日から丸1年となる61年5月24日、同寺では宗派を超えた「合同慰霊祭」が執り行われ、犠牲者を弔う供養塔が除幕されたことを大船渡災害誌(62年発行)は伝えている。
 供養塔のそばには、当時の市長鈴木房之助の名で刻まれた銘板があり、こう刻まれる。
 「私たちの町の新しい建設は真剣に進められています どうぞ安らかに眠って下さい」
 この日は、同町の加茂神社に津波警報塔も設置された。さらに、66年度には湾口防波堤も完成。大船渡港を含む市沿岸部には海岸堤防も整備された。被災した港町は住宅や商店の再建が見る間に進み、再生の道を歩んだ。
 しかし、2011年の東日本大震災大津波は同町をのみ込み、再び犠牲者が発生してしまう。

逃げることは「宿命」

手前中央の西光寺に立つチリ地震津波の供養塔。海側の市街地は東日本大震災の復興工事が続く(岩手日報社小型無人機から撮影)
 チリ地震津波で大きな被害を受けた大船渡町。東日本大震災でも150人余りが犠牲となり、悪夢がよみがえってしまった。自然の猛威に人間はあらがえないが、犠牲者数を拡大させた一因にチリ地震の「記憶」を指摘する声もある。
 「湾口防波堤を100パーセント信頼していたし、堤防もできて完璧だと信じ切っていた」と語るのは大船渡津波伝承館の斉藤賢治館長(71)。震災当日は勤めていた同町の社屋から逃げた。
 市内にはチリ地震の津波到達点を示す標識も立っていた。「ここまで逃げれば大丈夫」。心の隙を津波が襲い、のまれた人も多くいた。斉藤館長は「人間のつくった物は弱いと考え、逃げるしかない」と強調する。
 震災から7年の2018年3月11日、西光寺では震災の犠牲者を悼む「弔意之(の)碑」が除幕された。過去の津波石碑と並んで建立された弔意の碑。傍らには犠牲となった檀家(だんか)51人の名を刻む芳名碑がある。
 犠牲者が長年暮らした家々は流された。遠方に住む遺族にとって、浸水を免れた寺に立つ碑は家族を思う、もう一つのわが家だ。
 住宅や商店が再建し、まち並みの復興が進む同町。富沢康磨住職(71)は「安心せずに逃げることが海に住む者の宿命。チリの時もすぐに壊れた家や商店を直した。『復興しなくちゃならない』という生命力が大船渡にはある」と当時と今の風景を重ね、人命最優先の行動を訴える。
 弔意之碑隣には建立の趣旨と後世への教訓を三つ記した。
 一、地震が来たら、より高きところへ逃げよ
 二、逃げたら決して戻るな
 三、車を使うな、捨てて逃げよ
 海とともに生きる備えは心の中にこそある。
東日本大震災津波の犠牲者を悼む弔意之碑。富沢康磨住職は人命最優先の行動を訴える
【2011年3月】 東日本大震災で被災した大船渡町

2019年11月11日 公開
[2019年04月17日 岩手日報掲載]

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大船渡市大船渡町の津波供養塔

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