地震後の「用心」刻む

大船渡市赤崎町・合足地区


 大船渡湾の湾口東側に位置する、大船渡市赤崎町の合足(あったり)地区。稲作や畑作の傍ら、ウニやアワビ、ワカメ漁などを営む半農半漁の集落だ。合足漁港から約400メートル離れた道路脇に、1896(明治29)年の明治三陸大津波と1933(昭和8)年の昭和三陸大津波を伝える石碑が並んで立っている。
 18メートルの波が襲ってきた明治の大津波を伝える「海嘯(かいしょう)横死者諸精霊塔」には、80人が亡くなったことが刻まれ、津波の被害の甚大さを伝えてきた。
 昭和の大津波を伝える「津波記念碑」は発生から2年後に当時の赤崎村によって建てられた。県昭和震災誌によると、高さ約15メートルの津波が住宅8戸を押し流し、当時104人いた同地区内で13人が死亡、7人が行方不明になった。集落の2割が亡くなった事実を繰り返さないためか、石碑には「地震があったら津波の用心」の言葉が刻まれる。
 同地区では73年に海抜9メートルの防潮堤が建設され、津波に備えてきた。だが、東日本大震災で襲ってきた高さ17・4メートルの津波は防潮堤を越え、石碑も波をかぶった。赤崎町全体で52人が亡くなり、6人が行方不明になる大きな被害が出た。

通年学習 教えを共有

東日本大震災で高さ17・4メートルの津波が襲った大船渡市赤崎町の合足地区(岩手日報社小型無人機から撮影)
 「昔から石碑があるのは知っていたが、改めて授業で調べ、この場所でこれだけの被害が起きたんだと、より鮮明に感じた」。大船渡市の赤崎中(松村敦子校長、生徒69人)の防災学習で、合足地区の石碑について調べた上野遥夢さん(3年)は調査の意義をかみしめる。
 同校は東日本大震災の津波で校舎2階まで浸水。大船渡中を間借りしたり仮設の校舎を利用し、県内外の支援を受けながら震災を乗り越えてきた。2017年に旧校舎裏手の高台に再建された新校舎は、非常用電源設備やトイレへの雨水利用システムも整備。地域の防災拠点としての役割も担うため、赤崎中は通年での防災学習に力を入れる。
 学習の一環で生徒は自分の住む地区の津波に関する石碑計10基について調査した。いつ建てられ、何を伝えているのかなどをそれぞれ調べて発表し、先人の教えを共有。上野さんは「調べた内容は後輩たちにも伝えて、同じ悲劇を起こさないために役立ててほしい」と願う。
 授業では震災当時の避難経路を実際に歩いて地域の人に話を聞いたり、救命救急処置も学習。避難所運営体験は生徒が避難者と運営側に分かれて行うなど、内容を実践的にしてきた。
 松村校長(60)は「いざというときに自分の命を守り、人の命を救い得る力を子どもたちにつけることが、これまで受けた支援への恩返しになる」と力を込める。
 同校では現在、3年生がデザインした震災を伝える石碑を制作中だ。支援への感謝や震災を後世に伝承する内容で、18日に除幕式を行う。「知る」「考える」「体験する」を柱に防災を学んできた生徒が「伝える」側に回り、地域に長く残る教えが生まれようとしている。
地域に残る石碑を調査する赤崎中の生徒=2018年7月
【2011年4月】 津波で道路上に大型船が流れ着いた大船渡市赤崎町

2019年11月01日 公開
[2019年03月13日 岩手日報掲載]

碑の場所を確認する

大船渡市赤崎町・合足地区の津波記念碑の石碑

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