津波への恨み遺戒に

釜石市・両石町


釜石市・両石町
 
 釜石市街地の北部に位置する同市両石町の国道45号沿いに津波記念碑が3基並ぶ。その一つが「両石海嘯(かいしょう)記念碑」。漢文で「此碑可滅矣此恨不可滅也」と刻み、「碑は滅するが、恨みは消えない」と訴える。そして「子孫伝之」と続き、津波を言い伝えとして子孫に伝えるよう訴えている。
 同町は1896(明治29)年の大津波で甚大な被害を受けた。三陸のリアス海岸の形状により高さ14・6メートルの津波が集落を襲い、釜石市誌によると住民958人のうち824人が犠牲に。住家141戸が被災し、残ったのは3戸だけだった。
 明治の大津波後、両石では高台への宅地造成は行われず、元の場所に住宅を再建。その際に▽率先避難▽共倒れ回避▽家系存続−を遺戒とした「命てんでんこ」の教訓が言い伝えられるようになったという。
 生き残った人々が語り継いだ教訓は、37年後の1933(昭和8)年の大津波で生かされる。再び集落を襲った大津波で約9割の住家が被害を受けたが、両石町の死者・行方不明者は3人だった。
 02(明治35)年に建立した両石海嘯(かいしょう)記念碑などは、東日本大震災の津波を乗り越えて今も教訓を発し続けている。

「意識する力」を共有

日々変化する町並みを見つめ「一人一人の『意識力』が何より大事だ」と語る瀬戸元さん
 2011年3月11日。津波は釜石市両石町の防潮堤を越え、一気に集落をのみ込んだ。市の資料などによると同町(水海地区含む)の犠牲者は46人(関連死含む)で、約290世帯のうち約240世帯が全壊。町の姿は一変した。
 「盛り上がって黒い巨大津波が押し寄せてくる。本当に恐ろしい光景だった」。長年郷土史を研究し、語り部として教訓を発信し続ける瀬戸元(はじめ)さん(73)はこう振り返る。
 町内会で防災活動に取り組んできた同町は、体制整備のため10年12月に自主防災組織を設置。「住民の命を守る」ことを掲げ、避難時に支援が必要な高齢者や歩行困難者などを把握し、避難ルールの周知も進めていた。だが、避難行動の遅れなどで尊い命は失われた。先人の教訓を生かし切れなかった。
 東日本大震災から7年以上がたった18年7月、海を見下ろす高台の市有地に震災の慰霊碑が建った。町民や地元出身者、法人・団体からの寄付を充てた碑にはこう記されている。
 「教訓はひとつ。徒に津波の規模を想定せず、津波警報が出たら自らの命を守るべく、高台目指しとにかく避難すること」
 慰霊碑建立を提案した沢口勇助さん(80)は「明治の津波を生き抜いた祖母から『地震が来たら津波が来る。逃げろ』と言われ続けていた。私たちは震災を忘れてはいけない。一人一人が記憶の中にとどめ、慰霊碑に手を合わせてほしい」と思いを語る。
 復興事業で20メートルにも及ぶ大規模な盛り土工事が行われた両石町は、災害公営住宅や自力再建の住宅が並び、やっと町の姿が見え始めている。
 「震災前は先人が残した碑に対する畏敬の念がなかった」。瀬戸さんはこう語り、「石碑という情報板が私たちに教えてくれている。防災力とは『意識力』だ。ハード整備がいくら進もうとも意識力が何よりも大切だ」と強調する。
大規模な盛り土工事が行われ、中央奥に災害公営住宅や住宅が立ち並ぶ釜石市両石町(岩手日報社小型無人機から撮影)
【2011年3月11日】 防潮堤を越えた津波にのみ込まれた両石町(瀬戸元さん提供)

2019年10月11日 公開
[2019年01月23日 岩手日報掲載]

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釜石市・両石町の両石海嘯(かいしょう)記念碑

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