津波への心構え共有

久慈・麦生地区


 海岸から約1キロ離れた高台にある、久慈市侍浜町の麦生(むぎょう)地区農村センターに1933(昭和8)年の大津波被害を伝える石碑がある。地元の住民によると、昔は浜の近くに建立されていたが、79年に同センターが完成した際に移築されたという。
 県昭和震災史や旧種市町歴史民俗資料館の資料などによると、当時の侍浜村は約10メートルの津波が襲い、3人が死亡し、1人が行方不明になった。住家の被害は出なかったが、船曳場11カ所、納屋47棟、漁船169隻が流されたほか、漁具などが多大な被害を受け、被害の見積額は、現在の価格に換算して推定1億9千万円にも上った。
 石碑のある麦生町内会では同センター付近を災害時の避難所として活用している。舛森(ますもり)利之会長(72)は「津波に関する石碑だ、という認識はあっても、内容まで知る人は少ないと思う。だが、地震が起きれば津波が来る、というのが地域の認識だ」と力を込める。町内会は約100世帯が所属しているが「地区内の高齢化も進んでいるので、町内会としても有事の際の対応を決めておかなければならない」と過去の教訓を胸に有事へ備える。

「復興の歌」願い乗せ

東日本大震災で1人が死亡し、1人が行方不明となった久慈市侍浜町(岩手日報社小型無人機から撮影)
 石碑の表面には「大津波くぐ里(り)て/めげぬ雄心(こころ)もて/以左(いざ)追ひ進み/参ゐ上らまし 英彦」と刻まれている。この詩は1933(昭和8)年の三陸大津波当時の石黒英彦知事を中心に作られ、岩手師範学校の教官だった津田昌業(まさのり)さんが作曲し、津波の翌年に「復興の歌」として世に出た。
 力強く復興へ向かう気持ちが込められたこの歌は、沿岸部を中心に慰霊祭などで歌い継がれてきたが、第2次世界大戦を境に歌われなくなっていったという。
 東日本大震災後、県内で「復興の歌」を後世に伝えようとする動きが出ている。盛岡市の合唱クラブ「ポピー歌の会」(久保肜(ゆう)会長、会員25人)は毎月第2、第4水曜日に行う練習のうち、月命日に近い日にこの歌を練習し、発表会などで披露している。
 「復興の歌」は同会の創設者、佐々木正太郎さん(88)=盛岡市緑が丘=が普代村で楽譜を発見し編曲。発表会のほか、CD500枚を製作して県内官公庁や希望者に無償配布するなどして津波の恐ろしさや心構えを伝えてきた。
 久慈市などによると、石碑のある久慈市侍浜町は東日本大震災の津波で1人が死亡、1人が行方不明になり、久慈地下水族科学館もぐらんぴあが全壊するなど、多大な被害が発生した。久保会長(75)は「何度も津波を受けてきた被災地の人を支えてきた歌だと思う。少しでも早く復興できるように、と願いを込めて歌っている」と練習に熱を入れる。
 同会は「復興の歌」のほか、同時期に作られた「慰霊の歌」や県公立学校退職校長会員が作詞作曲した東日本大震災犠牲者にささげる「鎮魂の歌」も披露している。ピアノ担当の小水内邦子さん(79)は「これまで起きた地震や津波を風化させないで、次の犠牲を生まないように歌い継いでいかなければならない」と伝承を誓う。
「復興の歌」を歌い継ぐ盛岡市のポピー歌の会
【2011年3月13日】震災の津波で被災した久慈市侍浜町の久慈地下水族科学館もぐらんぴあ(同館提供)

2019年09月20日 公開
[2019年01月18日 岩手日報掲載]

※『久保肜(ゆう)』の肜は、「月へん」に「彡」。

碑の場所を確認する

久慈市・麦生地区の昭和八年津波記念碑

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