半鐘と共に教訓伝え

陸前高田市広田町・長洞地区


陸前高田市広田町・長洞地区
 
 東日本大震災後も従来からのコミュニティーを維持している陸前高田市広田町の長洞地区には、1933(昭和8)年の大津波の記念碑が立つ。住民は教えを忘れることなく高台へ避難し、震災では犠牲者を出さなかった。
 同地区は広田半島の付け根に位置し、同年の大津波で75戸587人のうち、7戸の家屋が流失倒壊、4人が犠牲となった。
 1896(明治29)年の津波では、旧広田村全体で342戸2093人のうち166戸の家屋が被災。518人が亡くなった。
 記念碑は昭和津波の到達点に建てられ、近くには津波や火事などを知らせていた半鐘も残る。建立以降は記念碑よりも高い位置に住宅が建てられた。
 しかし、東日本大震災の津波はさらに7、8メートル高く、半農半漁で暮らしていた約60世帯のうち28世帯と公民館が流失。記念碑も付近の沼に押し流されたが、住民が沼から引き上げほぼ同じ位置に復旧した。
 住民は「長洞元気村」の名称で26戸の仮設住宅を形成し、そのまま地域を離れることなく高台へ住宅を再建。全国の学生やボランティアが訪れる機会が多くなっている。

昼食会で「防災」継承

月2回の昼食会。冬休みには児童を招き、津波の恐ろしさや震災後の活動を伝えようと企画している=陸前高田市広田町
 陸前高田市の長洞地区では今年夏から月2回、昼食会を開き、住民同士が顔を合わせる機会を増やしている。同居家族がいても、日中には1人になる高齢者が多く、長洞元気村(戸羽貢代表理事)が企画。冬休みには子どもたちを招き、津波の怖さや復興活動を教え、防災意識を継承することも検討している。
 12日の昼食会には12人が参加。元気村の女性グループ「なでしこ会」が弁当を作り、高齢者が会話を弾ませた。外出できない住民には弁当を届け、様子の確認も行っている。
 同会の村上とよみさん(69)は「毎回約50食弁当を作り、皆さんと食べたり配ったりしている。いろいろな話もできるし、交流機会が増えるのはいい」と歓迎している。
 被災世帯も地域内の高台に再建し、東日本大震災クラスの津波には被災しない環境になった。しかし、不測の災害時、どんな場所にいるかは分からない。震災から7年9カ月が経過し、児童の関心低下を危惧するようにもなった。
 長洞地区には全国の児童らも防災学習で訪れる。震災を首都圏で経験している小学生でも高学年は停電などの記憶があり、真剣に住民の話を聞くが、記憶がない低学年はまるで社会科の歴史を学ぶかのような、実感の薄い雰囲気だという。
 これは全国の児童だけでなく、被災地域の児童にも当てはまる。元気村は昼食会に児童を招き、津波の恐ろしさ、みんなで助け合った被災後の活動を写真を交えながら伝えようと模索している。
 事務局長を務める同地区の村上誠二さん(62)は「語り継いでいかないと再び悲劇を招くことになる。今でも震災を話せない人、映像を見られない人もいる。高齢者と話し合える時間を設けたい」と効果的な取り組みを探る。
被災住民が地区を離れることなく高台に再建し、コミュニティーを維持している長洞地区周辺(岩手日報社小型無人機から撮影)
【2011年3月】堤防を越えて長洞地区を襲う津波(村上誠二さん提供)

2019年09月11日 公開
[2018年12月20日 岩手日報掲載]

碑の場所を確認する

陸前高田市広田町・長洞地区の記念碑

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