救済策への感謝刻む

久慈市・夏井町


 久慈市夏井町の夏井川沿いを走る県道脇にたたずむ、1933(昭和8)年の三陸大津波を後世へ伝える「海嘯(かいしょう)紀念碑」。海岸まで約1キロの地点に建てられたこの碑には、当時、復興支援を受けた地元の人の感謝の思いが刻まれている。
 平山小学校史によると、当時の旧夏井村には391戸、2610人が暮らしていた。石碑によると、昭和の三陸大津波で海岸一帯の漁具や小屋が流失。家の納屋など数十戸が倒壊、流失したが、人家は1戸、死者も1人にとどまり、「不幸中の幸いだった(現代語訳)」と残されている。
 同村は被災後、全国から寄せられた多大な支援で被害を受けた人々に救済措置を講じ、1年足らずで復興への道を歩み始める。津波の翌年の34(昭和9)年に建立された石碑には「ひとえに各位の賜物(たまもの)と本村は感激してもしきれない(現代語訳)」と感謝の念が記されている。
 碑には被害の比較のため、1896(明治29)年の三陸大津波の被害も記載。津波は昭和の時の十数倍の高さ、死傷した人や家畜は付近だけで200余り、家屋は400戸ほぼ全てが流失したと、幾度となく襲い来る津波の恐ろしさを伝えている。

すぐ避難 認識根付く

「この辺りまでがれきが散乱していた」と振り返る大湊清信さん
 石碑の最後にある「地主 大湊 徳太郎 永遠無料」。この一文は石碑を建立する際、徳太郎さん(故人)が旧夏井村に無料で土地を貸したことで刻まれた。徳太郎さんのひ孫にあたる久慈市夏井町の大湊清信さん(67)は「今でも大湊家で石碑の土地を管理している」と話す。
 石碑は元々、大湊さんの家の庭にあったが、国道45号の造成にあたって現在の場所に移築された。土地を貸した理由は分からないというが「地元の人間としての責任感があったのではないか」と思いをはせる。
 大湊さん宅は昭和の大津波で曲がり屋部分が流失した経験から、地震があればすぐ家族総出で逃げる準備をしてきた。石碑が伝える教訓が生かされているのか、町内にも「地震から30分もすれば津波が来る」という認識が根付いており、東日本大震災で住家などの建物は被災したが、人的被害は出なかった。
 東日本大震災後、町内の防災意識は一層高まり、清信さんが町内会長を務める大湊町内会(73世帯)の自主防災会では10月、男性陣が日ごろの感謝を込めておにぎりなどを作り、女性陣に振る舞うユニークな炊き出し訓練を、住民交流を兼ねて初めて実施。約40人が参加し、好評を博した。
 清信さんは「楽しみながらやらなければ参加する人も減ってしまう。1人でも多く炊き出しの方法を身に付けた方がいざというときに役立つ」と力を込める。
 市は復興交付金を活用して2014年、毛布や非常用トイレなどを備えた津波避難施設「ふっこう館」を夏井町に建設し、有事の際に備えた。大湊町内会と共同管理する夏井駅前町内会(82世帯)の小向政信会長(72)は「何も起きないのが一番だが、いざというときには上手に活用したい」と誓う。
東日本大震災で海岸付近の住宅や工場が被災した久慈市夏井町(岩手日報社小型無人機から撮影)
【2011年3月】 東日本大震災の津波を受け、がれきが散乱した久慈市夏井町(市提供)

2019年08月21日 公開
[2018年12月19日 岩手日報掲載]

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久慈市・夏井町の海嘯紀念碑

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