命守った「職住分離」

大船渡市三陸町・吉浜地区


 大船渡市三陸町の吉浜(よしはま)地区は、1896(明治29)年の三陸大津波で被災した。旧三陸町の町史によると犠牲者は204人。地元の郷土史家木村正継さん(71)は約220人に上るとみる。
 旧吉浜村の初代村長だった新沼武右衛門は高台移転を断行。さらに8代村長の柏崎丑太郎らが現在の県道250号より海側で開田事業=1926(大正15)〜31(昭和6)年=を行い、低地を農漁業の産業用地、高台を住宅とする「職住分離」が進んだ。この事業は「昭和3年」の揮毫(きごう)がある開墾碑に刻まれた。
 事業完了から間もない33(同8)年の三陸大津波では17人が犠牲となったが、明治からは激減した。柏崎村長は住宅の高台移転を一層徹底した。
 津波常襲地帯の沿岸部では高台移転が昔から提唱されてきたが、吉浜地区ほど徹底された例は少ない。木村さんによると▷全戸移転の功績▷漁港周辺施設の不具合を含め漁業に不向きな地域性▷開田事業の成功—などが有象無象の形で住民の行動を律した。開墾碑はその証しと言える。
 低地にあった開墾碑は東日本大震災で被災し、2015年に県道沿いに移設された。

一線を画した「英断」

高台移転を成し遂げた先人を顕彰する「吉浜津波記憶石 奇跡の集落」。住民が津波減災の教えを受け継ぐ
 大船渡市三陸町の吉浜(よしはま)地区は東日本大震災で低地の水田が大きく被災したが、住宅被害は4戸、犠牲者1人と、他地域とは一線を画した。高台移転を遂げた先人の決断が住民の命と財産を守った。
 地元自治会や小中学校、有志、吉浜地区公民館は、移転を推し進めた新沼武右衛門と柏崎丑太郎を顕彰するため実行委を結成。2014年3月に「吉浜津波記憶石」を建立し、「吉浜 奇跡の集落」と刻んだ。
 震災前、高台移転の歴史は地域内の口伝が中心だったとされるが、震災後は被害が軽微だった同地区が全国的な脚光を浴びたこともあり、建立の機運が高まった。防災意識を高め、伝えていく願いも込められた。
 当時の同地区公民館長で、建立の実行委員長を務めた東堅市(あずまけんいち)さん(71)は「吉浜の先人が残した偉業を形としたかった。次世代の人は油断せず、津波に対して構えてほしい」と話す。
 高台移転を徹底した同地区だが、その歴史を知らぬまま就業などで新たに地域で暮らす住民も生じる。そこで、地元に住む気仙地区交通安全協会吉浜分会長の菊地正人さん(74)は10年ほど前から毎年、地域に着任したばかりの教職員らを連れ歩き、津波に関する石碑や吉浜の名所旧跡を紹介する「まち巡り」を行っている。
 「津波から命を守ってくれたのは先人。吉浜は小さい集落ながら偉人が多く、地域の歴史を伝え続けたい」。菊地さんは記憶石を見つめ、力を込める。
 記憶石が建立されたのは、移設された開墾碑がある場所からすぐ近く。祖先から未来へ—。時を超えて建立された二つの碑が、静かに地域を見守る。
住家が高台に移転し、海岸沿いの低地に水田が広がる大船渡市三陸町の吉浜地区(岩手日報社小型無人機から撮影)
【2011年4月】低地は津波にのまれたが、高台の住宅などは被害が少なかった吉浜地区

2019年04月01日 公開
[2018年10月17日 岩手日報掲載]

碑の場所を確認する

大船渡市三陸町・吉浜地区の開墾碑

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