ジェンダーレスアイドルユニット『MM(メイメイ)』として活動する“ぷうたん”。SNSのコメント欄には「姫」「本当に天使」といった称賛の声が並ぶ、“可愛すぎる”トランスジェンダーだ。そんな彼女が15歳でたったひとり、地元・静岡を離れた過去について明かした。LGBTQへの理解が深まる近年においても、当事者にとって「カミングアウト」は簡単なものではない。“ぷうたん”が語る幼少期の苦悩とカミングアウト後の心境の変化とは。

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■物心つく前から、女の子に憧れ「好きな格好をするなら、覚悟を持ってと母に言われた」

――最初にジェンダーについて意識したのはいつ頃ですか?

「幼稚園の年少ぐらいの時に、女の子が髪の毛を結んでいたり、可愛いヘアゴムを付けているのを見て、いいなぁと思っていました。でも、自分の中ではこれは普通と違うんだなってことも分かっていて、周りには言わなかったですね」

――自分の中で思い悩むようになったのは…

「小学生かな。それまでも悩みってほどではなかったですけど、ずっと自分の中にモヤモヤはありました。ちょうど小5ぐらいの時に、きゃりーぱみゅぱみゅちゃんがデビューして、『ファッションモンスター』のMVを見た時に衝撃を受けたんです。好きなことをしていてすごく楽しそうだったし、自分もそうしたいって感動したのを、今でも覚えています。「やりたいこと」「なりたい自分」を明確に意識してから“できない現実”に悩み始めました」

――女の子のファッションやメイクをするようになったのもその頃ですか?

「中1ぐらいからファッションに興味が出てきました。当時原宿で、ジェンダーレス男子が流行っていたんですよ。男の子だけど厚底を履いたり、ネイルやカラコンをするのが流行って。自分は女の子になりたかったけど、周りには『ジェンダーレス男子』って言ってごまかしてました」

――ご両親には何か言われていましたか?

「お母さんには『そういう格好をしてもいいけど、もし周りから陰口を言われて、傷ついたりへこんだり、自分の感情が左右されるようならやめなさい』って言われました。それぐらい強い気持ちで、覚悟を持って好きな格好をするなら応援するって」

――後押しを…

「はい。その時否定されなかったことが第一歩だと思うので、本当に感謝しています。お父さんも5つ上のお兄ちゃんも何も言わなかったし、好きなようにすればいいって応援してくれました」

中学時代、日に日に大きくなるモヤモヤ…「死んじゃいたいって思ってた」

――中学校での生活はいかがでしたか?

「友だちはいたけど、ずっと本当の自分を知ってもらっていないモヤモヤがあって、学校に行きたくないと思うことが多かったですね。浮いているけど自分なりにみんなに合わせて、やり過ごしていた感じがします」

――特につらかったことは…

「身体測定や部活で男女に分かれる時間は、結構つらかったです。男の子として扱われること、本当の自分を見せられないこと…小さいモヤモヤがたまっていくのがストレスで、よく家に帰って泣くこともあって。辛かったから、あんまり当時のことは覚えていないんです」

――ご両親はその様子には気づかれていなかった?

「後から聞いた話なんですけど、家庭訪問の時、先生に『笑顔で話しているけど、心の中ではいろいろ考えていて、辛いのを隠しているから、見てあげて欲しいです』って言ってくれていたみたいです。でも当時は知らなかったし、親にも女の子になりたいっていう本当の気持ちを言えなくて、死んじゃいたい、消えたいって思っていました」

――ご両親はファッションとしての“ジェンダーレス男子”じゃないと気付いていたんですね。当時支えになっていたものは…

「東京で一人暮らしをしていたお兄ちゃんが、いろいろ相談にのってくれました。地元にいる時はケンカばっかりだったけど、はなれてからはいつも心配してくれて。『東京の高校に行きたい』っていう気持ちも応援してくれました」

――高校からは、東京に行きたい気持ちがあったんですね。

「そうですね。もう地元にいるのが辛かったし、芸能のお仕事をしたかったから東京に行きたかった。お兄ちゃんには、『ちゃんと覚悟はあるのか? 東京には、何千倍もかわいい子がいっぱいいるんだからな』って言われて。でも覚悟があるなら、オレが親にも言ってやるって気持ちを代弁してくれたんです」

――ご両親の反応はいかがでしたか?

「絶対に反対されると思ったら、許してくれて。たぶん、私が辛かったのを分かってくれていたんだと思います。ネットや雑誌で、一生懸命東京の高校を調べてくれました」

――高校生から東京に行かせるのは、きっと心配でしたよね。

「そう思います。『ちゃんと卒業する』『赤点は取らない』『毎日連絡をする』ってルールを決めて、必ず守るって約束して、東京の高校に行くことになりました」

冷やかしの言葉に傷ついた高校時代「認めてくれた友だちの存在で、一歩踏み出せた」

――15歳で東京での一人暮らし。生活はいかがでしたか?

「初めて自分の居場所ができた気がしました。周りの子もみんな多種多様な考え方を持っていて、高校でもすぐ友達ができたし、家事や掃除など身の回りのことも全然苦じゃなかったです」

―――高校に入ってすぐ、女性的な外見に?

「最初は、男の子の制服のブレザーを着ていました。東京に来た時に、今までの自分を捨ててすぐに女の子になりたいって気持ちはあったけど、なかなかその一歩が踏み出せなかったんです。友達にもやっぱり、まだ本音は言えなくて。でも、東京で毎日好きなことに触れているうちに、今まで抑えていた気持ちが爆発してしまったんですよね。覚えていないんですけど、仲のよかった女友だちに、泣きながら電話したらしいです」

――どんなことを話したのでしょうか?

「もう無理、死んじゃいたいって。本当は女の子になりたいっていう自分の気持ちを全部話したみたいです。そこからは覚えているんですけど、友だちが『いいじゃん、じゃあ自分らしくいなよ』って言ってくれたんですよね」

――全部受け止めてくれたんですね。

「はい。否定される前提だったので、ビックリして。『明日から女の子の制服で来なよ』って言って、何個もあるからあげるって、リボンやスカートをくれたんです。そこで本当に “大丈夫なんだ、自分は自分でいいんだ”っていうことに気づけました」

――これまでは“ジェンダーレス男子”とごまかしていたのを、はじめて女の子になりたいとカミングアウトした…。翌日、登校した時の周りの反応はどうでしたか?

「『いいじゃん、かわいいじゃん!』『好きなようにしたらいいんだよ』って、たくさんの友だちが言ってくれました。でも、少数でしたけど、『がんばって女の子になろうとしてる、ウケるー』みたいな冷やかしや、バカにする言葉もあって。それが悔しくて、トイレで泣いたりもしました。好きなことはできているけど、まだ“未完成”な自分に腹が立ってもいました」

――でもそこで落ち込んだり、女の子になるのを諦めたりしなかった。

「そうですね。変わりたいって思えたんですよね。かわいい女の子を見て、どこが自分と違うか研究して、毎晩お化粧の練習をしました。化粧品や髪質改善のヘアケア商品もいろいろ試して、自分に合う物を見つけていった感じです。そうやって1年半ぐらいやり続けたら、だんだん冷やかす人もいなくなっていきました」

――かわいくなるための努力をすることが、いい方向に進んでいったんですね。

「それまでは人を見返すためだったけど、だんだんかわいくなることがモチベになって。そうしたらちょっとずつ仕事が来るようになって、SNSも順調に伸びていった感じです。だから今は、逆境にあっても前向きに努力することが一番大切なんだなって思って生きてます」

(取材・文/辻内史佳)