あす27日、NHK・BSプレミアムで放送される『激レア! 藤井フミヤ ギザギザハートから TRUE LOVE〜ベストライブ イン 101 スタジオ〜』(後9:00〜10:30)。歌手の藤井フミヤが、チェッカーズ時代から現在までの代表曲をスタジオライブで披露し、自身の音楽人生をも振り返る特別番組。事前に募集したファンからのメッセージも紹介しながら進めるトークパートには、チェッカーズの“生みの親”ともいえる、初期の楽曲を手掛けた作曲家・芹澤廣明氏と作詞家・売野雅勇氏がそろってゲスト出演。実は、藤井とテレビで対談するのは40年の付き合いがある中で、今回が初めてとのこと。収録後、芹澤・売野両氏に感想を聞いた。

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 収録では、藤井も知らなかったデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」や、社会現象を巻き起こすきっかけとなった2作目のシングル「涙のリクエスト」などの制作秘話を披露。藤井は「チェッカーズにはいろんな“生みの親”がいるけれど、根底にあるのは音楽。その生みの親のお父さんとお父さん」と両氏への親しみを込めた。特にプロデューサーでもあり、演奏面でも指導を受けていた芹澤氏のことはいまだに「先生」と呼んでいる。

 藤井は、7人組バンド・チェッカーズのリードボーカルとして1983年にデビュー。福岡から上京してきた彼らのプロデュースを任された芹澤氏は、当時、藤井たちに「お前達は売れる!」とはっぱをかけていたそう。ところが、「売れるとは思っていなかった。でも、売れると言わないとしょうがないでしょ。売れてびっくりした」と、今だから言える本音(?)も。

 一方、売野氏は藤井について「最初から歌がうまくて声が良くて、心をつかむような響くものを持っていた歌手だった。フミヤくんの場合はもともと持っている“スター性”に磨きがかかっていったと思いますね」と言う。

 芹澤・売野コンビの楽曲でヒット曲を連発。その後、「NANA」(1986年)以降、メンバーのオリジナル曲にシフトし、“生みの親”から巣立っていった。1992年12月31日の『第43回NHK紅白歌合戦』を最後にチェッカーズは解散。翌年、藤井は「TRUE LOVE」でソロデビュー。コンスタントにアルバムをリリースし、コンサートツアーを中心に歌手活動を続けて今に至る。

 売野氏は「振り返ってみると、フミヤくんにとってチェッカーズがアイドルとして売れたのは、すごくプラスだったと思うんです。最初はちょっと抵抗があったかもしれないけど(笑)。でも、それで勢いをつけて、スターになって、そこから80年代を代表する、いや20世紀を代表する大シンガーになった。僕らのところにチェッカーズの楽曲の依頼がきたのも、初めて組んだ中森明菜さんの『少女A』のヒットがあったからで、実は運命はそこから変わっていた。天の配剤のような気もする」と、感慨深げに話していた。

 芹澤氏はチェッカーズと過ごした日々を「隠居の始まり」とユニークに表現した。チェッカーズの楽曲が大ヒットして、今もカラオケなどで歌われていることを思えば…。「当時はそんなにすごいことをしている感覚はなかったですね。それが、生活だったから。でも、40年ちかくなって、こうした番組で改めて振り返ってみると、すごいことだったのかなって、思いますね。今のフミヤくん見ると、昔と変わらずスターだなって思う。デビューした時から売れたし、ヒット曲もいっぱいあって、今も頑張っている。死ぬまで歌っていられるんじゃないかな」と、“息子”の活躍に目を細めていた。