昨年、デビュー50周年を迎えたのが湘南サウンドの立役者で兄弟デュオとして活躍するブレッド&バターだ。「あの頃のまま」や「ピンク・シャドウ」など、たくさんのミュージシャンがカバーする名曲も数多く、“ブレバタ”の音楽を愛する人は多い。今でも現役として“湘南の風”を日本中に届けているブレバタだが、実はアメリカの大御所ミュージシャンのスティービー・ワンダーとの意外な絆があり、友情の証として楽曲の提供まで受けていた事実はあまり知られてない。先日テレビでも話題になったこの話を含め、この5月にDVDが発売になる50周年記念ライブの模様や今後の展望まで岩沢幸矢・二弓の2人に聞いた。

【写真】ブレッド&バター、松任谷正隆ら錚々たるミュージシャンが並んだ貴重カット

■1stアルバム『IMAGES』にスティービーが参加、それからの縁

――先日のテレビで話題になったスティービー・ワンダーさんとのエピソードをお聞きします。幸矢さんがスティービーの「心の愛」著作権裁判勝訴に大きな貢献をされたということですが、まずは幸矢さんとスティービーさんが仲良くなったきっかけは何だったんですか?

【幸矢】僕たちがファーストアルバム『IMAGES』(1973年発売)でロンドンレコーディングを行った時のプロデューサーがスティービーと知り合いで、僕たちの歌を彼に聞かせてくれたんです。そしたら、声を気に入ってくれたらしくて、ちょうどロンドンにプロモーションできていた彼がレコーディングに参加してくれてからの付き合いですね。その後、連絡もとりあっていたんです。向こうもサチ、サチと言って、僕のことを気に入ってくれていて、1975年の来日公演の時に武道館の楽屋に遊びに行ってステージの袖でライブを観ていたら、スティービーのステージに呼ばれたんですよ。いきなりエレキを持たされて、お前弾いてみろって感じで。で、エレキは弾けないからってシェイカーをもらって振ってたんだけど。その時に彼が歌った曲が「ゴールデン・レディ」って曲で、この曲は日本語で何て言うんだって聞くから「金の女」って言ったんですよ。そしたら、彼が喜んでね。「金の女、金の女」って日本語で歌ったんですよ。そこからより親しくなりましたね。

――曲を作ってもらったきっかけは?

【幸矢】ブレッド&バターは76年から79年までほとんど活動をしていなくて、カフェを湘南でやったりしてました。僕はその頃、友人と般若レコードっていう小さなレコード会社をロスで作っていて、しょっちゅうロスには行ってたんですね。ですから、スティービーのホテルやスタジオにも良く遊びに行ったりして、一緒に食事したり。
 で、そろそろ社会復帰したいねってなった時に、最初はソロアルバムを作ろうか、という話になったんです。二弓は二弓で自分のアルバム制作を始めてて。それで、確か二弓が「さっちゃんはどうせならスティービーに曲を作ってもらえば」って言ったんですね。深く考えずに、それで、じゃ頼んでみようということになって、僕がアメリカまでスティービーにお願いしにいったんですよ。

――その時のスティービーの反応は?

【幸矢】あの人は基本的にノーって言わないんですよ。イエスって言ってくれるんだけど、そう言ってくれてからすごく時間がかかるんです。だから、僕も、実際に曲をもらうまでの間、時間がかかりましたね。ほぼ毎日スタジオに通ってね。実際に1ヵ月近くかかったかな。

――その曲が「I Just Called to Say I Love You」という訳ですね。

【幸矢】そうなんです。その頃、彼のスタジオには毎日有名なミュージシャンが遊びに来てましてね。スティービーはマルチで管楽器以外の演奏をすべて一人で録音してたんですね。それを、みんながどうやっているんだと見に来る訳ですよ。で、その後は毎晩パーティーになるんですけど。
 彼が僕に曲をくれた日も、実はスティーブン・スティルス(CSN & Y)がたまたま来ていて。で、その時にスティービーとスティーブンと僕が一緒に歌ったこの曲をカセットに録音したんです。僕は当時メモ代わりに、いつもカセットレコーダーを持っていたんですよ。それで録音したことを彼が覚えていたんですね。

――で、帰国後、新曲としてレコーディングに入るんですね。

【幸矢】そうですね。その時には、この曲はブレッド&バターの再チャレンジにふさわしいんじゃないかということになって、僕のソロではなく、やっぱりブレッド&バターでやろうということになったんです。

――幸矢さんがスティービーに曲をもらって帰ってきた時、二弓さんはどう感じました。

【二弓】僕はその頃、毎日茅ヶ崎で飲んだくれてまして、曲をもらって帰ってきた時は、それこそみんなで大拍手ですよ。まさか、本当に曲を書いてもらって帰ってくるとは思わないですから。よくやった!、って。で、曲もいいしね。

■「リメンバー・マイ・ラブ」は友情の証だった

――で、レコーディングは、やったんですか?

【幸矢】歌詞はサビの「I Just Called~」の部分しかなかったんで、ユーミンが日本語詞を書いてくれて、無事レコーディングも終えたんですね。で、発売の1ヵ月か2ヵ月くらい前だったかな、いよいよ発売するということを彼に連絡したんですね。そうしたら、ちょっと待ってくれ、と言われたんです。
 彼が『ウーマン・イン・レッド』という映画の主題歌を書くことになって、まずは他の曲を渡したらしいんだけど、それではOKが出なくて、別の曲が必要となった時に、この曲を思い出したらしいんです。実は彼が僕にこの曲をくれた時に、チラチラとスタッフの言葉が聞こえてたんです。「この曲本当にあげてしまうのか。絶対ヒットするから自分で歌った方がいいんじゃないの」って。で、僕たちも事情を理解して、ブレッド&バター盤は発売中止にしました。

――で、この曲はスティービーの代表曲となって世界中で大ヒットして、その後、スティービーと彼のパートナーだった人間で曲の権利に関する訴訟問題が出てくるんですね。

【幸矢】ある日、スティービーから自宅に電話があったんですよ。僕は外出中で娘が出たのかな。で、折り返し電話をしたら、あの曲の著作権が訴訟問題になっているんで、自分が作ったという証拠になるものがないかって話だったんです。あの時のテープがあるからって言って、即送ったんですよ。

――コピーしたものではなく、オリジナルのテープそのものですか?

【幸矢】そうだったんです。あの頃はダビングも簡単にはできなかったですからね。持っていれば宝だったんですけどね。で、結局、そのカセットが決め手になって、スティービーが勝ったんですね。その報告はスティービーの通訳スタッフからあったのかな。まずは良かったって話でしたね。

――その後、「リメンバー・マイ・ラブ」をスティービーがプレゼントしてくれるんですね。

【幸矢】いつの来日だったかな。日本公演に彼が来た時に、彼のホテルに呼ばれて行ったんですよ。そこで、彼は一人で曲を作っていてね。「リメンバー・マイ・ラブ」っていう曲だっていうんですよ。その時僕は、いい曲だな、くらいにしか思っていなかったんですけど。また次の日に行ったのかな、そこで彼にスタジオを取ってくれって言われたんですね。で、当時新宿にあったテイクワンスタジオを取ってあげてね。レコーディングの様子を見に行ったら、「実は今録音しているこの曲は君のために作った曲なんだ、僕の友情を忘れないで欲しい」って言われたんですね。

――素敵なエピソードですね。こうやって今、改めて話題になったこのエピソードをどう思いますか。

【幸矢】スティービーという人間の素晴らしさを改めて感じますね。最初に曲提供のお願いをした時、スタッフの人たちは「日本のよくわからないミュージシャンに、曲をあげることはないじゃないか」って言ってた訳で、それを振り切って僕たちに曲を提供してくれた訳ですから。「リメンバー・マイ・ラブ」も曲そのものが友情の証ということをはっきりとわからせてくれる作品ですし。

■僕たちはさざ波、夕方になって輝いている

――ところで昨年50周年を迎えましたが、兄弟でグループを結成するきっかけは?

【二弓】もともとアマチュアで別々にやってたんですね。兄貴は六文銭で、僕は僕で別のバンドでした。で、僕はバンドで東芝のオーディションを受けたりしてたんですね。その頃、サイモン&ガーファンクルのような男性デュオを作ろうという話が持ち上がって、それじゃ兄弟2人でやろうかという話になったんです。後から聞いたら、東芝のオーディションも受かっていたらしく、そっちを先に知っていたら、ブレッド&バターはなかったかもしれないですね。

――グループ名の由来は?

【幸矢】ポール・バターフィールドとか、その辺のイメージがいいんじゃないの的な軽いノリで付けた名前ですね。でも、後からよくよく調べてみると、“素晴らしい”とか“ありきたり”とかいろいろな意味があるんです。これはいいんじゃないかってなりましたけどね。スティービーは初めてこの名前を聞いた時、笑ってましたね。

【二弓】僕たち兄弟は幸矢と二弓で弓矢で一体。バタ付きパンもそれで一体ですから、ちょうどよかったですね。

――デビュー曲が橋本淳作詞、筒美京平作曲の「傷だらけの軽井沢」でした。

【二弓】自分たちで曲が作れるミュージシャンでも先生方の曲でスタートするっていうのは当時のやり方でしたね。この曲は大きなヒットにはなりませんでしたけど、自分たちとしては、これで売れちゃっても違うのかなという思いはありましたから、良かったのかもしれませんね。

――その後も大ヒットには恵まれずに、でも「あの頃のまま」や「ピンク・シャドゥ」などの誰もが知る多数カバーされている名曲をいくつも抱えるアーティストとして独自の存在感を発揮し続けている訳ですが。

【幸矢】今になってみると、僕たちはさざ波で、大波になることもなくここまでやってきて、でも時間が経って夕方になるとさざ波ってきれいじゃないですか。そういう存在なのかなって思いますね。

【二弓】大ヒットがないから、登ってないから、落ちることもないし、楽にやってこられたんじゃないかなと、最近は思いますね。

――2人には湘南のイメージが切っても切れないと思いますが。そこはどう感じていますか。

【幸矢】これは父親が僕たちに与えてくれたものですね。彼が海が好きで、自然とともに過ごしたいということで湘南を選んで移り住んで、僕たちを自由奔放に育ててくれたことが、その後の僕たち人生に大きな影響を与えた訳ですから。

【二弓】やっぱり海ですよね。僕たちに大きな影響を与えてくれたのは。僕は今でも湘南に住んでるんですが生活のリズムが違うんですよね。それが音楽にも大きな影響を与えていると思いますね。どっか波に漂っているようなね。あんまり難しいことは考えないで生きてますから。お金がなくても平気ですから。占い師にも、お金なくても大丈夫な人生だって言われたことがあるんですよ。

■気心しれた仲間との50周年ライブは5月に東京・大阪で再演

――ところで、昨年のデビュー50周年に際して、新生SKYE(林立夫、小原礼、鈴木茂、松任谷正隆)をバックに記念ライブを行ったところ、すごく評判をよびましたが。

【二弓】もともとSKYEのメンバーは昔からレコーディングで付き合ってもらっていた気心しれたミュージシャンばかりなんです。

【幸矢】トークの流れで、林君からデビュー曲の「傷だらけの軽井沢」を歌ってよって声がかかり、ワンコーラスだけですけど突然歌わさせられたりね。バックのメンバーが遠慮なく話をしてたのもお客さんは嬉しかったんじゃないかな。演奏はもちろん素晴らしいんで、歌っていて楽しいし、ゆったりとした気持ちでステージができましたね。

【二弓】林君が当時のレコーディングのドラムほとんど叩いているしね。(鈴木)茂君もほとんど入っていたしね。懐かしくて新鮮でしたね。ステージ上でバックのメンバーと遠慮のないトークができたというのは確かに面白かったですね。

【幸矢】彼たちとデビューから50年経って、またこうやってステージができたという感激もありました。WOWOWでの放送も好評だったようですし、5月には東京と大阪で再演しますし、ライブDVDとして発売決定してますので、ファンの人にも再度楽しんでもらえるといいなと思います。

――さて、50年周年を超えて、今後のブレッド&バターはどうなっていくんでしょうか?

【幸矢】とりあえず、声が出なくなるまでやっていこうかと。加山(雄三)さんの言葉を借りれば“死ぬまで現役“ってことでしょうかね。今や外国でもそういう人が多いですし。

【二弓】僕もこれからもずっと歌っていたいですね。南正人さんのようにステージで倒れたら本望ですね。たまたま最近、彼が倒れて亡くなった横浜のライブハウスで僕のライブがあったんです。ステージに立っていて、より強くそれを思いましたね。

――最後に、50年の活動歴をもつお二人に若いミュージシャンへのアドバイスをいただけないかと思います。

【二弓】もっとポピュラーな音楽をやってほしいですね。最近は曲の魅力だけじゃなくて、ダンスやビジュアルなど視覚に訴える作品が多いじゃないですか。そういうものではなく、曲だけで勝負できるようなものを若い人がもっと作ってほしいですね。

【幸矢】僕たちはきちんとした音楽理論を学ばないで始めてしまったんで、スジミチがないんですよ。坂本(龍一)なんかは、ちゃんと理論を学んで来たので、いろいろなアプローチができますよね。僕たちはそうはいかなかった。そんな反省もこめて、若い人、未来の可能性がある人は音楽をちょこっとやるんじゃなく、しっかりとスジミチを立てて音楽に取り組んでもらいたいと思います。