今年でデビュー35周年を迎える斉藤由貴。21日には、1stシングル「卒業」から10thシングル「さよなら」まで全10曲をリアレンジで収録したセルフカバーアルバム『水響曲』をリリースする。セーラー服とポニーテールが似合う清純派アイドルとしてデビュー年にたちまちブレイク、その後も歌手、女優、執筆など幅広く活動し続けてきた。同期アイドルの多くが結婚を機に芸能界を引退していく中、「実生活では周囲に馴染めなかった」と振り返る彼女が芸能界で生き続けてきた理由とは。

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■訳も分からず家に帰って泣いていたアイドル時代、それでも「辛いと思ったことはない」

──35年前のご自身の曲を改めてレコーディングしてみていかがでしたか?

【斉藤由貴】本作のプロデューサーである武部聡志さんは「由貴ちゃんのボーカルは究極の不安定だよね」とおっしゃっていますが、歌手を自称するのもおこがましいほど、私には歌の技量がないんです。それは当時も今も変わらず。武部さんはデビューから11作連続でシングルの編曲を手がけてくださったのですが、おそらく「僕がきちんと形にしないと」という気持ちに駆られたところもあったと思うんですね。本作も「僕がやらなければ誰がやる」と、武部さんの素晴らしいリアレンジに守られて歌うことができました。

――それぞれの曲がリズムから声色、曲調まで、デビュー時とはまた違った印象でした。

【斉藤由貴】『スケバン刑事』の主題歌「白い炎」も、今の私を投影した今の「白い炎」にアレンジしていただきました。終盤に収録されている「MAY」と「さよなら」は、涙ぐんで歌えなくなってしまうほど、いろんな思いが溢れてきました。最初から最後まで聞いていただくと、どんどん感情移入していくのがわかっていただけるかもしれません。

──浮遊感のある心地よい歌声は当時のままです。歌手デビューした85年にはシングル4枚、アルバム1枚というハイペースなリリースをされていましたよね。

【斉藤由貴】デビュー当時のことはあまり憶えていないんです。何しろほんの少し前まで普通の高校生でしたから、自分が置かれた状況もわからず。周りはものすごい勢いで回っているけれど、その真ん中の台風の目の中にいた私は、どこかぼんやりと冷静なところがありましたね。

──それでも多忙さは感じていたのでは?

【斉藤由貴】辛いと思ったことはなかったんです。投げ込まれるボールを打ち返すのに無我夢中で。ただ、家に帰って1人になると涙が溢れてきましたね。自分でもなぜ泣いているのか、よくわからなかったんですけれど。

──80年代のアイドルは「イメージを作って売る」ところがありましたが、斉藤さんはどうだったのでしょうか?

【斉藤由貴】私は周りの方々に恵まれていて、何かしらの偶像に押し込められることはなかったんですね。むしろ私という人間を見極めて、閉鎖的な側面をディレクターさんやマネージャーさんが早いうちから感じて、その世界観を表現していくという発想ありきで作品を用意してくださっていたので、その点では“やらされている”という違和感や息苦しさを感じたことはありませんでした。

──これはやりたくない、と思った仕事はなかったですか?

【斉藤由貴】始まってみて「これは私じゃない」と思った仕事はありました。たとえば『スケバン刑事』とか(笑)。それまで教室の隅っこで1人で本を読んでいるような子で、スケバン言葉でヨーヨーを振り回して悪者をやっつけるなんて要素は、私には1つもありませんでしたから。だけど今となっては生涯の宝物ですね。あの作品が、その先の演じる仕事の架け橋になってくれました。自分の“向いてない”とか”嫌い”とかいう感情と、生涯支えになる仕事は必ずしも一致しないと、『スケバン刑事』に学びました。

■人気絶頂期に結婚を決めた理由とは「あの頃はいろいろとやんちゃをしていた(苦笑)」

──デビュー10年目、女優として脂が乗り切っていた頃に結婚を決められたことも驚かされました。

【斉藤由貴】あの頃はいろいろとやんちゃをしていまして(苦笑)。たぶんマネージャーさんも「由貴ちゃんはそろそろ結婚してもいいんじゃないか」と思っていたんじゃないでしょうか。「今は大事なときだから結婚はダメ」と言われたこともなかったですし、「あなたの人生を尊重する」というスタンスの事務所だから35年ずっといられたんだと思います。

──35年の芸能活動の中で、恩人のような方はいますか?

【斉藤由貴】NHK朝ドラの『はね駒』(1986年)で母親役を演じられた樹木希林さんからは、女優である以上に人間としての生き方を学びました。ある日のリハーサルで、彼女がアンティークのジャケットをお召しになってたんですね。その背中に大きなシミが。それを見て私が「希林さん、シミがあります」と言ったら、「そうなのよ。カッコいいでしょ」とおっしゃられて。そうか、シミは汚れではなくて世界にたった1つの希林さんだけのものなんだって、ハッとしたんです。

──世間の常識に縛られないものの見方や考え方をされる方なんですね。

【斉藤由貴】そうなんです。当時の彼女は40歳そこそこだったと思うんですが、そうした揺るぎない価値観や世界観をお持ちで。なんて素敵なんだろう、私もこんな人間になりたいと、以来ずっと憧れ続けています。

──80年代の女性アイドルの多くは結婚を機に芸能界を引退しましたが、斉藤さんはやめようと思ったことはなかったですか?

【斉藤由貴】この仕事が合ってるとか合ってない以前に、ほかに行き場が思い付かなかったんです。もともと私は子どもの頃からクラスでも浮いている存在で、周囲とうまく馴染めない自分というものをいつも感じていたんですね。だから、自分の意見や感情を発することを臆することが多かったので、表現することが純粋にすごく楽しかったんです。ずっといじめられっ子だったからこそ、自分が認めてもらえる場があることがうれしくて、どんなに忙しくても続けられたのかもしれないですね。でも本来は、アイドルという明るくきらびやか肩書きからは最も程遠いような人間なので、認めてもらえる喜びと注目されたくない思いとのせめぎ合いはずっとあったような気がします。

──そんな引っ込み思案だった女の子が、芸能界という世間の目にさらされる世界に馴染めたのはなぜだったのでしょうか。

【斉藤由貴】私にとって役を演じるという作業は、息を吸って吐くのと同じくらい生きていく上で必要なものなんです。役を演じることで、ようやくぼんやりしていた自分の輪郭がくっきりするような感覚があるんです。しばらくお芝居をしていない時期が続くと、自分の実体がなくなりそうで困るんです。だから、たぶん私は死ぬまでお芝居を続けるんだろうなと思います。


(取材・文=児玉澄子)