新型コロナウイルス感染拡大が国内の文化芸術・エンターテインメント界に影を落として、早1年が経過しようとしている。昨年2月26日、政府からイベントの中止または延期要請が行われて以降、数多くのライブハウスが閉店に追い込まれたことは記憶に新しい。その余波は、地域に根付いた文化的財産にまで及ぼうとしている。今年2月6日に開場90周年を迎えた芝居小屋「嘉穂劇場(福岡県飯塚市)」も、その1つだ。

【写真】畳敷きの枡席、桟敷席とで最大1200人を収容する嘉穂劇場

■筑豊・飯塚市のランドマーク 芝居小屋「嘉穂劇場」の苦境

 嘉穂劇場は、福岡県の中央に位置する筑豊地方にある、江戸時代の歌舞伎様式を伝える木造の芝居小屋である。1922年、当時栄えた炭鉱で働く人々の娯楽施設として、前身となる中座劇場がオープンしたが、火災による焼失や台風による倒壊があり、31年、嘉穂劇場として再々建された。ステージには、今も人力で動かされている廻り舞台や迫り(セリ)を備え、畳敷きの枡席、桟敷席とで最大1200人を収容する。その歴史的価値から、06年には国の登録有形文化財、07年には近代化産業遺産に認定されているのだが、ここで特筆すべき点は、文化遺産として残っているだけではなく、現役の生きた劇場であり続けているという点である。

 一昨年まで毎年開催されていた全国座長大会をはじめとする大衆演劇や歌謡ショーのほか、吹奏楽部など学校部活の発表会や地域イベント、さらに結婚式まで行われるなど、まさに筑豊・飯塚市のランドマーク的な存在となっている。同会場が、ロック・ポップスシーンで大きな注目を集めるきっかけとなったのは、00年に椎名林檎がこの会場で行った一夜限りのライブ「座禅エクスタシー」だ。同公演は映像作品化され、海外からも彼女のファンが“聖地巡礼”に訪れており、以降、クラムボンやthe HIATUS、コムアイ(水曜日のカンパネラ)らも公演を行っている。

 そういった状況に変化が訪れたのは、昨年2月。新型コロナ感染拡大のニュースが出始めた頃に、まずインバウンド向けイベントの予約が一斉になくなり、次いで国内イベントがあっという間にキャンセルされていった。19年度事業報告書を見ると、毎年2~3月にかけて開催される春のイベント「いいづか雛祭り」の入場者は、まだ緊急事態宣言前であったにも関わらず、前年の8862人から約6割減となり、その後、4月いっぱいは休館せざるを得ない状況となった。

 嘉穂劇場は、03年7月の豪雨水害でも1階内部が水没し、使用不能となる被害を受けるなど、幾度となく大きな試練に見舞われてきた。それでも、地元有志の支えと同劇場に縁のある俳優・芸能人らの支援により苦難を乗り越えてきた。昨年7月に嘉穂劇場エグゼクティブマネージャー・伊藤真奈美氏へ取材したところ、「今回は、もうダメかと思った」と、その理由を話してくれた。

「戦後、日本人は「リンゴの唄」を歌って立ち上がり、東日本大震災の時も「上を向いて歩こう」を歌って支え合いました。でも今回ばかりは、歌うこともできず、エンターテインメントは不要不急だと言われた。それがものすごくショックでした。でも、ここで演者やスタッフ、劇場が無くなってしまったら、コロナ終息後にエンターテインメントが求められても、もう手遅れになる。そうなる前に、『ここでやってるよ!』と拳を突き上げなければならないと思いました。古来、芸能は神様に奉納するためのものでした。それを庶民が芝生の上で観始めて、“芝居”という言葉が生まれたんです。その歴史を考えても、大変な時期こそ、芸能の火を絶やさず、守らねばならないと思ったんです」(伊藤氏)

■ハレの日を演出 コロナ禍に好評を博した「夢舞台プロジェクト」

 
 そうした時に、同地域をはじめ、九州全域でコンサートやイベントの音響・照明を手がける東洋アミューズの代表・毛内將文氏から、1つのアイデアがもたらされた。それが、同社と嘉穂劇場のコラボレーション企画「夢舞台プロジェクト」だった。嘉穂劇場の舞台を背景に音響や照明を使って映像撮影ができる内容で、希望者はバンド演奏やカラオケ、舞踊、学校部活の発表会など好きなパフォーマンスを行い、その映像を収録する。それを10万円という、通常費用の10分の1に抑えた破格プランであった。

「当社もコンサートやイベントがすべてキャンセルとなり、技術スタッフが仕事をする場所も、機材を活用する場面も失いました。でも、何かできることはないかと考えた時に、自分たちの技術と、嘉穂劇場という最高の場所があるのだから、あとは演者さんをどう迎え入れたらよいかだと考えたんです。そこで、感染リスクの低い無観客、短時間という条件でステージを映像収録し、みなさんの想い出に残してもらおうと、このプランを思いついたんです」(毛内氏)

一見すると、この地域で活動するプロやアマチュア・ミュージシャンたちが、いわゆる無観客ライブの収録目的で利用するためのプランのように感じるかもしれない。もちろん、そうした側面の強い企画ではあったが、「夢舞台プロジェクト」の応募に条件を一切設けなかったこともあり、申し込み第1号は、意外にもこの地域に長く暮らす高齢の一般市民であった。

「ずっと地元で暮らしてきた方が、『この舞台で歌うのが夢だった。一生の想い出にします』と、すごくキラキラした目で歌いに来てくれたんです。それ以降、ステージに立ってくれた方が、みなさん“夢”という言葉を使って喜んでくれました」(伊藤氏)

 トップ・アーティストの大規模なコンサートは、観る者を非日常の夢の世界へと誘ってくれる一大エンターテインメントだ。ただそれと同じくらい、いわゆる“普通”の生活を送る大多数の人たちにとっても、夢を見ることができ、日々の暮らしでは味わえない感情を抱ける場所や空間、時間は、大切なハレの日(エンターテインメント)と言えるだろう。そしてその蓄積が、文化や芸術を育んでいくのではないだろうか。

 同プランは好評を博し、昨年7月以降には、映像収録だけでなくライブ配信もプランに加え、さらには収容人数を6分の1程度の200人に抑えた有観客公演も同時開催するなど、内容をアップデートさせていった。しかし、そういった取り組みも集客の激減に歯止めをかけることはできなかった。加えて、木造建築である劇場の改修工事や機器入れ替えの必要性も差し迫ったことで、昨年11月30日、劇場を運営する特定NPO法人嘉穂劇場(伊藤英昭理事長)は、NPO法人の解散と、残余財産を飯塚市へ無償譲渡することを同理事会で可決した。

■市への無償譲渡が決まった嘉穂劇場 問われる地域文化のあり方

 これを受け、昨年12月12日の市議会で片峯誠・飯塚市長は、「嘉穂劇場は、飯塚市、そして地域にとって残すべき財産。ただ残せばいいというだけでなく、今の時代の中での運用や活用の方法について、最大限の努力をしていく」と答弁。嘉穂劇場の無償譲渡を受ける考えを示した。

 また、現状の本件担当部署である市商工観光課も、取材に対し、「市長の言葉通り、地域、そして後世に残さなければならない文化財だと認識しています。そのために市としてどのようなことが出来るのか、まさに検討を重ねているところです」との回答であった。ただ、今後の法的手続きなどを考えると、市への譲渡にはまだ時間がかかるとみられ、譲渡後の運営方針についても、現状では白紙に近い状態のようだ。

 市側のコメントから、嘉穂劇場が今後も存続することは間違いないだろう。これは大きな安心材料だが、公共施設となれば、「夢舞台プロジェクト」のようなチャレンジングな企画の実施は今後、難しくなるかもしれない。そこで、例えば公共施設の管理を民間に委ねる指定管理者制度を活用するなどの柔軟な対応で、今まで以上に、市のシンボル、そしてエンターテインメントの発信拠点として全国にアピールできないものだろうか。それができれば、コロナ禍における地域文化のピンチを、新しいチャンスへと転換するきっかけになり得るだろう。前出の毛内氏もコロナ禍で地域文化のあり方が問われている、と語る。

「(新型コロナウイルス感染拡大の影響として)当初は、地域伝統文化の存続や、それに関連する観光、町おこしへの影響に危機感がありました。でも今は、“祭り(祀り)とは何のためにやっていたのか?”を改めて考え、未来に必要とされる“ホンモノ”のエンターテインメントや芸能を作ることこそが大事だと考えています。嘉穂劇場も、今後の運営が市へ譲渡されたとしても、市民目線で愛される場所であり続けて欲しいと願っています」(毛内氏)

 今回取り上げた話題は、決して嘉穂劇場という特定の施設に限定した話ではなく、コロナ禍が長引くほど、全国各地の自治体・民間のホールや劇場運営でも起こり得る、実はとても身近な問題だ。また視点を変えれば、毛内氏が言うように、本当に価値があるものだけが残る時代が既に到来しているとも捉えることができる。これはエンターテインメントを発信する側も、改めて一考すべき大きな課題だろう。そのうえで、地域住民に受け入れられ、残すべきエンターテインメントとして継承されていった時、それがポスト・コロナ時代の新しい文化となっていくはずである。
(文・布施雄一郎)