ピン芸人のおいでやす小田と、こがけんによるユニットコンビ・おいでやすこが。2人は大会ルールの変更により、今年『R-1グランプリ(以下、R-1)』の出場資格を突如失ってしまった。背水の陣で挑んだ『M-1グランプリ(以下、M-1)』で見事準優勝に輝き、一躍有名に。ピン芸人同士のコンビが決勝に進出したのが史上初だったことから、お笑い界の新風として話題となり、まさに絶望の淵から大躍進を遂げた。R-1という舞台を失い、漫才でブレイクしたことに対して複雑な思いもあったという2人に、お笑いへの想いと今後の野望について聞いた。

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■ピン芸を持つ2人がそのままマイクの前に立っただけ 「12年間、心持ちもスタイルも変えていない」

「本当に突然、忙しくなって、えらいことになったなって思っています」(こがけん)

 昨年12月20日、漫才日本一を決めるM-1で準優勝に輝いて以来、バラエティ出演等の仕事依頼が後を絶たず、「ピンのときとは生活が一変した」と語る2人。とくに昨年はコロナ禍でライブが軒並み中止となり、仕事がまったくなかっただけに、「1年の間の落差が凄すぎる!!」と動揺を隠せない。

「しかも40歳超えてこんなことってある?って思ってます。小田さんとも言っているんですけど、こうなるんだったら、もうちょっと早くきてほしかった。忙しいのはうれしいし、ありがたいんですけど、やっぱり夜は眠たくなるし、膝も痛いし、腰も痛いし(笑)」(こがけん)

 こがけんがこう語るのも納得の理由がある。M-1で2人が披露した漫才は、こがけんが得意な歌、小田が得意なパワフルなツッコミという互いにピン芸人として築き上げてきた武器の合わせ技。つまり、コンビとはいえ、ピン芸人であるいつもの自分のまま、マイクの前に立っただけだったのだ。

「心持ちもスタイルもピン芸人になって12年間、ずっと変わっていませんからね。まわりから面白いって言われて、何も変えずに、ただ信じて同じことを繰り返して、いつかいつかって信じて貫いてきて、今、こうなったわけだけど、正直、何も変えていない分、僕のピン芸人の12年の人生ってなんやったんやって。10年前、なんで拾ってくれなかったの? 今までとどうちゃうねん?って、恨み言じゃなく、疑問なのも事実なんです。まぁ、おじさんになって、やっといい感じになったという意見ももらいますけど(笑)」(おいでやす小田)

■やめたいと思ったのは100回以上 「ウケることは延命措置だった」

 芸歴20年目のおいでやす小田と19年目のこがけんが「ピン芸人とピン芸人の融合」をコンセプトにコンビ活動を始めたのは、2019年。イベントにて即席でコンビを組んだところ手応えがよく、小田が「M-1に一緒に出よう」と誘ったことがきっかけだった。

「小田さんに誘われたとき、単純に自分の幅が広がるかな、この活動が芸人としての自分の何かの芽になればいいなと思って、あまり重く考えることなくお受けしました。芸人として全然忙しくなかったので、お笑いの仕事が増えることは単純に精神衛生上も良かったですからね」(こがけん)

 誘った小田はというと、コンビを組む目的は、「とにかくM-1に出たい!」という一心だった。

「’17年、’18年はゆりやんレトリィバァとコンビを組んでM-1に出たんですけど、僕は、とにかく賞レースが好きすぎるんです。賞レースは予選の緊張感とか独特の空気があって、普段の舞台の数十倍ためになるし、ハートが鍛えられる。よく準決勝には魔物がいるって言いますけど、準々決勝でバカウケした人ほど、準決勝では肩に力が入って、自分の本来のパフォーマンスが発揮できずにコケるんです。そうならないために、とにかく出られる賞レースには全部出て、経験を積んで、R-1に還元したいと考えていたんです」(おいでやす小田)

 ピン芸人日本一を決めるR-1での優勝は、2人にとって最も身近な「叶えなければならない」目標だったという。

「そこからしか売れる扉は開かないと思っていましたから」(こがけん)
「R-1で優勝して、テレビに場を移すことを目指していました」(おいでやす小田)

 それだけに、昨年末、R-1の出場資格が「芸歴10年以内」に変更されたことは2人にとって衝撃だった。しかし、R-1の発表記者会見で得意のキレ芸で怒りの抗議をし、会場を沸かせた小田は、M-1準優勝に輝いた今、心の底のホンネをこう語る。

「R-1には感謝しかありません。R-1に出場することで、年々、芸人として強くなっていったと思うし、M-1で決勝に進めたのもR-1の経験があってこそ。R-1は僕を育ててくれた恩人ですし、僕の人生はR-1なしで語れません」(おいでやす小田)

 R-1を主戦場にピンネタを極めてきた2人だが、長い道のりの途中、「芸人をやめたいと思ったことは100回以上」。それでも続けられたのは、やはり「お笑いが好き」という気持ちだった。

「ライブでめちゃくちゃ爆笑をとっても、ランキングは下で、テレビに引っかからないことも多かったので、ウケた瞬間はめちゃくちゃ嬉しくても、次の瞬間、やめたくなることはしょっちゅうでした。でも、好きだから続けたくて。コロナ禍で仕事が完全にゼロになったときも、お笑いが好きだから、お金にならなくても、とりあえずモノマネの映像を撮ってネットにアップして。で、いいねがもらえたり、視聴回数が取れたりすることが自分にとって延命措置というか、AEDみたいな感じでした」(こがけん)

「僕は2016年にほんまに終わりにしようと思いました。でも、その年、初めてR-1の決勝にいけて、もう少しやってみようかと。ライブでは、コンビやトリオの間にピン芸人が入れられるんですが、ピン芸人は単純に人間の数が違うというハンデがありますから、しんどい戦いなんです。でも、その分、やりがいがあるし、コンビやトリオより自分がウケたときはやっぱり一番うれしい瞬間です」(おいでやす小田)

■正式なコンビを組まない理由とは「息を合わせないから僕らの漫才は成立している」

 おいでやす小田はM-1準優勝に輝き、おいでやすこがとしての仕事が増えている今も、「ピン芸人は軸としてやめない」と公言している。その理由は、ピン芸人になった12年前、「コンビは向いていないということをハッキリ自覚したから」。一方のこがけんも、コンビでの漫才からスタートし、紆余曲折を経て、「自分の得意なものに特化するしかない」という思いから、ピン芸人としてネタを磨いてきた。そんな2人だからこそのこだわりが、おいでやすこがの唯一無二の色になっている。

「正直な話、息を合わせないから僕らの漫才は成立しているんです。それがピン芸人とピン芸人である僕らの色だし、強み。交わって息が合うと色を消してしまうので、今後も交わる必要はないと思っています。仲良くならない方がいいんじゃないですかね(笑)」(おいでやす小田)

 おいでやすこがとしては’19年からライブ出演や、YouTubeチャンネルでコントを配信。ブレイクを果たし、さらなる活躍が期待されている今、最後においでやすこがとしての野望を聞いてみた。

「地方でもいいから自分たちの冠番組を持ちたいなという憧れはありますね」(こがけん)
「おいでやすこがでキングオブコントに出場したいです。2005年くらいからユニット組んで、エントリー用紙は送ってたんですけど、ピン芸人の即席ユニットの出場は不可らしくて全部はじき返されましたね。でも我々はYouTubeで約1年活動している実績もありますし、いけるんじゃないかと思ってます」(おいでやす小田)

「1分1秒でもお笑いをやっていたい。そして、お笑い界の歴史を変える存在になりたい」と語る2人からは、お笑いに貪欲で、そして何よりもお笑いが心から好きだという思いが伝わってきた。

「今後、ピン芸人ユニットがM-1の決勝に出たら、第2のおいでやすこがって言われるでしょうからね。そういうふうに僕らが出てきたことで何かが変わっていけばいいなって思います」(おいでやす小田)

 初の決勝に進出したピン芸人ユニットとして、間違いなくM-1の歴史を変えたおいでやすこが。ピン芸人同士のユニットというスタイルを貫き、新しいお笑い芸人の形を世に示した2人が、キングオブコントでも新たな歴史を作る日も近いのではないだろうか。


(取材・文/河上いつ子)