羽根つきや福笑いなどと並び、いわゆる“正月あそび”の一つとして、古くから親しまれてきた「かるた」。昨今では、人気キャラクターや人物を冠したものから変わり種まで、数多くのかるたが発売されているが、なかでも特に地域に根差して遊ばれてきたのが「郷土かるた」だ。地域の自然、名産や歴史、人物などを詠んだもので、地域の人々に親しまれ、これまで誕生したものは、1700種以上といわれている。「かるたを使って郷土への愛着の意識を高める」ために全国各地で作られてきたが、その多くは、自治体のお金を消化するだけで、十分に普及することなく存在しているという。NPO法人日本郷土かるた協会の理事長・山口幸男氏に、その実態と成功例を挙げてもらいながら、「郷土かるた」について話を聞いた。

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■確認できる古い「郷土かるた」は関東大震災が起きた大正末期頃の作品

 そもそも、「郷土かるた」のルーツは、百人一首、いろはかるたの系譜にあると山口氏は言う。

「百人一首など、貴族とか武士など上層階級の人たちが遊んでいたものを、『庶民も遊べるものに』ということで、江戸時代頃に考えられたのが『いろはかるた』なんです。ことわざを詠んで絵と合わせていくというもの。その後、ことわざ以外にも広がっていき、身近な地域に存在しているものを取り上げてみようということでできたのが『郷土かるた』です」

 「郷土かるた」の成立時期は定かではないが、現在確認できる古い「郷土かるた」は、関東大震災が起きた大正末期頃のものである。

「『横浜歴史イロハカルタ』というものです。また、昭和初期には国が地域の活性化のために予算を出したこともあり、全国各地で郷土意識を高めるということでたくさんの『郷土かるた』がどんどん作られたようです」

 今でこそ、インターネットをはじめ、テレビ、ラジオなどたくさんの娯楽があるが、当時はテレビもない時代。人々の遊びゴコロをくすぐりながら、郷土のへの愛着を持ってもらうきっかけとして、「郷土かるた」がうってつけだった。

■“競技大会”が子どもたちにうまく作用し普及の要因に

 その流れは第二次世界大戦後も続き、戦後最初に生まれたのが、今、全国で一番知られている「郷土かるた」である群馬県の「上毛かるた」。群馬県の歴史・自然・人物・産業などを詠んだもので、昭和22(1947)年に発行された。

「終戦直後の食べる物も着る物も住むところも十分ではないという、みんなが苦しんでいる状態。そんななか郷土の復興を目指し、特に子どもたちに夢と希望を与えたいという強い思いがありました。県民全体もそのためにがんばろうという意識が強かったので大きく発展しました」

 群馬県は、日本一の“郷土かるた県”。全国で1700種類以上とも推測される「郷土かるた」のなかで、約130種類と全国一の数を誇る。この数の源が、「上毛かるた」の存在。「上毛かるた」がモデルケースとなって各自治体などが「郷土かるた」を作り、群馬県全体で「郷土かるた」が発展する要因になった。

「広めるために競技大会を取り入れたことで、みんなが一生懸命に夢中になって遊んだことで大きく普及しました。地区の予選大会から始まり、そこで優勝すると市郡の予選大会へ、そしてその優勝者が最後の県大会へと進む。そういった形で、自然と上毛かるたが普及していきました」

 「この競技大会が重要だった」と山口氏は言う。

「郷土の復興・愛着のためにどうするかと考えたとき、かるたの他に、紙芝居などの話もありましたが、郷土かるたが最も効果的ということで、『上毛かるた』を制作することになりました。競技大会があると、子どもたちが積極的に札を覚え、進んで遊ぶというところも考えられたようです」

 上毛かるたの競技大会は、現在第73回を数え、累計発行部数は150万部を超えており、共に日本一の記録となっている。この結果、群馬県民の多くが幼少期に「上毛かるた」に触れ合うことができ、多くの人が大人になっても諳んじれるというほど、県民に広まった。
 この成功に刺激を受けた埼玉県の子ども会育成会は、上毛かるた競技大会を視察、研究して、昭和57(1982)年に「さいたま郷土かるた」を制作し、大会を開催。その結果、埼玉県内各地で広まっていったという。ちなみに現在、埼玉県の「郷土かるた」の数は、群馬県に次いで全国2位だ。

「上毛かるたの競技大会は、群馬県子ども会育成連合会が主として運営しているのですが、そういった運営組織があるからこそうまくいくんです。埼玉は群馬をモデルにして広まったと言えます」

■多くが作って終わり「国や自治体からのお金を消化するために作っているように見える」

 「上毛かるた」の成功により、その後、「郷土愛を高める=郷土かるたを作る」という図式が全国各地で広まった。だが、そのほとんどは「作っただけで終わってしまっている」と山口氏は言う。

「全国の『郷土かるた』のうち、競技大会などを長年継続して開催しているのはわずか。多くの場合、『郷土かるた』を作ること自体が目的になってしまっているのは残念です。言い方が悪いですが、『国や自治体からのお金を消化するためだけに作っている』ように見え、作り手の自己満足に終わっているケースがほとんど。それではなかなか地域に根付きません。郷土意識や郷土愛の育成には、十分につながっていきにくいと思います」

 東京都葛飾区の「かつしか郷土かるた」(葛飾区教育委員会制作発行、平成24年)は、成功を収めている事例。山口氏も普及活用委員会に名を連ねているが、数多くの事例見てきているだけに、「発展させるためには競技大会を運営する組織が必要だ」と言い続けたという。

 競技大会の開催は決して容易ではない。最初はなかなか人が集まらず、参加者もわずか。区教育委員会の担当者の血のにじむような大変な努力により、青少年地区委員会の協力を少しずつ取り付け、熱意ある人々の地道な草の根活動が実を結び、徐々に参加者が増え、当初、2、3地区だった参加区も、第6回大会で19地区すべてが出揃うまでになった。

「『かつしか郷土かるた全区競技大会』は、大会場に700人もの観客が集まる大イベントになりました。そうやって『郷土かるた』を広めていくと、読み札を覚えるだけではなく、その出来事が自分の郷土でどのように根付いたのかも理解できる。かるたの札を持って区内巡りをしている子どもだっているんです。数十年経ってその子たちが大人になったとき、上毛かるたのように昔を懐かしんで大人として楽しむようになるでしょう。そこまでの見通しを持って制作できると素晴らしいですね」

■「郷土かるた」を通じて失われた人間同士のつながりを回復させたい

 群馬大学で「郷土かるた」について長年研究を続けてきた山口氏。全国各地から「郷土かるた」を作りたいという相談が多く、問い合わせや講演依頼などもたくさん来たことから、2013年にNPO法人「日本郷土かるた協会」を設立。さまざまな地域を見てきて、「郷土かるた」が普及するのは、普及させようとする人たちの強い熱意と郷土愛、子ども会育成会や青少年地区委員会などといった地域の人々の下支えがあるからこそだと実感した。

「ここ2~30年の間に、人々の地域離れ、人間離れが進みました。『郷土かるた』は、郷土愛の育成、地域・土地とのつながりの回復、人間同士の連帯やコミュニケーションの回復といった重要な価値を持っています」

 山口氏は今後の「郷土かるた」について、「競技大会を継続し得る確実な組織がどの程度できていくか」、「少子化による子どもの数の減少、都市化の中で子ども会などに入らない人たちが増えてきている」などの課題があるという。

「熱意ある方々のボランティアで成り立っているだけに、『郷土かるた』を発展させていくのはそう簡単なことではありませんが、『郷土かるた』が持つ重要な価値に共感し、大きな期待を持っている人たちは、今日ますます多くなってきているように感じています。ぜひがんばってもらいたいです」

 また、次のような将来への展望も描いている。

「かるたは日本独特のものなので、『郷土かるた』の国際化を目指しています。『日本の地域コミュニティにはこういったものがあるんだよと広めていきたい』。日本郷土かるた協会副理事長の原口美貴子氏らは、既にイギリスで郷土かるたを作り、子どもたちを集めて大会をやったりと国際化を進めています。日本独特のかるた文化を海外で普及することはとても素晴らしいことだと思っています」

文/山田周平