ボートレースの今村豊選手(59)が8日、東京・六本木のBOAT RACE 六本木 SIX WAKE HALで記者会見を行い、引退することを発表した。

【写真】ファンへの感謝で頭を下げる今村豊選手

 山口県出身の今村選手は1981年5月にデビュー。「今村全速ターン」と呼ばれる全速ターンを身に着け、デビューから破竹の勢いを見せて“コーナーではスピードを落とす”という当時のボートレース界の常識を塗り替えた。24年目の2004年には、公営競技選手初の生涯獲得賞金20億円を突破した。39年の現役生活で通算2880勝、通算優勝回数は142回、SG優勝回数は7回、生涯獲得賞金は29億4144万6172円と歴史に残る活躍をした。

 ファンや関係者への感謝を語った後に引退を決めた理由を語る。最低体重が51キロになったことから体調管理に苦しんできたという。11月からは最低体重が52キロになり「限界を感じた。今季限りかなと思った」と明かす。引退レースはデビューの地でもある徳山で9月に行われたGI『ダイヤモンドカップ』だった。「引退を徳山の記念レースでできたのは幸せだったと思います」と振り返る。そして「けがなくやってこれた。本当にいいボートレース人生だったと思います」と感謝した。「初めて勝った平和島のダービー」が印象深い1勝という。感無量の表情で「きょう、こうして引退をしました。肩の荷が下りたようなホッとしている自分がいる。これからはゆっくり、のんびりと生きていきたい」と胸の内を口にした。

 ボートレースファンの坂上忍もメッセージを寄せた。「ずっと今村選手を追いかけ続けてきました。今でも、そうです」と告げると「これまで、ありがとうございました。いい夢もたくさん見させていただきましたし、たくさん損もしました(笑)。ただ、それもこれもすべていい思い出になっております」とねぎらった。親交のある今村選手は「ずっとファンでいてくれたのは、本当にありがたい。時の人ですから私のファンでいいのかと思いますけど…。坂上さんにテレビの方で活躍してもらいたい」と伝えていた。

 元選手である妻に伝えたのは徳山での前検の2日前。「以前から体重で苦労していた。うすうす『体重が変わったらやめるかもな』程度の話をしていた。『次の徳山でやめる』と言いました。女房は二つ返事で『はい』と。あとは何も言いませんでした」と明かした。ラストランは5着。「正直に言いまして、レースにはならないだろうなと思っていた。とにかく正常にスタートして、正常にゴールすることだけを考えていました。ファンの皆様に本当に申し訳ないですけど自分の中では着順度外視。ちゃんとゴールする姿だけは残したいなって思いました」と正直に語った。

 現役で貫き通したものを問われると「人にぶつかっていかないという自分のレース形態は最後まで崩したつもりはありません。操縦ミスでぶつかることは多々ありましたけど、意識的に手段を選ばすにやってきたということはありません。それだけは39年とちょっとは貫き通せたかと思います」と胸を張った。

 40代前半にメニエール症候群を患い、引退もよぎったが発作も収まり、現役を続行。唯一と言っていい取れていないタイトルが賞金王。「取れたら取りたかった。チャンスもいくらでもありましたし…。これも今村豊の人生かな。それで取れていたら何もかも面白くなくなる」と笑いながら「白井英治が代わりに取ると言っていますし、私の夢を英治につないだ」と愛弟子へ宿願を託した。「やり残したことがあったらやめていない。満足感でいっぱい」と晴れやかな表情を見せ、ボートレースとはと問われると今村は「私の人生そのものです」と即答。“ミスター”と呼ばれたボートレース界のレジェンドが水面から去る。

 会見の最後にはボートレース振興会から発表があり、引退したボートレーサーを対象とした「ボートレース殿堂」の第1号に今村選手が内定したことも明かされた。