作詞家の松本隆氏が、フジテレビ系『石橋、薪を焚べる』に2週にわたって出演する(25日 深0:35、9月1日 深0:25 ※関東ローカル)。かつて、同局で放送されていた『石橋貴明のたいむとんねる』で特集を組んだほど、松本氏の詞が大好きな石橋貴明が熱いラブコールを送ったことで、今回の初対面が実現した。

【番組カット】石橋貴明と初対面で語り合う松本隆

 東京・南青山に生まれ、西麻布で育った松本氏は、中学時代にビートルズを聞いたことがきっかけで、音楽の世界観が変わったという。大学時代、日本語の歌詞をロックに乗せた先駆的なバンド・はっぴいえんどが誕生するも、活動期間わずか3年ほどで解散し、あることがきっかけで作詞家の道へと進む。

 作詞家への転向後、「夏色のおもいで」(チューリップ)、「ポケットいっぱいの秘密」(アグネス・チャン)、1975年には「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)と続けざまにヒットを飛ばす。「(解散は)はっぴいえんどじゃなかったけど、作詞家のスタートは、はっぴいスタートだったわけですね?」と言う石橋に、松本は、当時はそうでもなかったと答える。

 以降、次々とミリオンセラーを世に送り出した松本氏は「スニーカーぶる〜す」(近藤真彦)、「ルビーの指環」(寺尾聰)、「ハイスクールララバイ」(イモ欽トリオ)など、バリエーション豊かな楽曲を担当。石橋は「松本さんの脳の中は、どういう引き出しになっているんですか?」と問いかける中、松本氏は「(ずっと)この人と戦うんだろうな」と意識したライバルについても語る。

 1970年代、80年代と駆け抜けてきた松本氏だが、90年代に入ると突如、詞を書くことを辞めてしまう。7年のブランクの後に書いたのがKinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」で、自身最大のヒット曲となる。「81年のキャリアハイを、97年に(自ら)またキャリアハイにするっていう!」と驚く石橋に、松本氏は「そう」とさらっと答える。自ら電源をオフにした理由、そして7年間のブランクの時の生活、さらには今までで一番うれしかったことを語る。

 ある時期から、松本氏は作詞の依頼を受ける時点で、常に「条件はミリオン」だった。そのプレッシャーの日々も語る中、石橋が本当につらかったことを聞くと意外な答えが。そして、元はっぴいえんどのメンバーでもあり、数々のヒット曲をともに生み出した大滝詠一さんとの思い出や、“天才”だと尊敬する筒美京平氏との楽曲作りの秘話を語る。