銭湯と聞いて、浴場の壁面に描かれた富士山をイメージする人も多いだろう。ところがそればかりではない。ゴジラとのコラボを手がけたのは、現在日本で3人だけとなってしまった現役の銭湯ペンキ絵師の1人にして最年少、そして唯一の女性職人である田中みずき氏だ。今や喫緊の課題となった後進の育成や、女性の仕事としての環境、そして銭湯および銭湯ペンキ絵という日本文化を再び社会経済のなかに戻す活動について聞いた。

【写真】“その銭湯らしさ”が活かされた寿湯(東京都台東区)の銭湯ペンキ絵

■「広告と深く結びついたメディア」だった銭湯ペンキ絵

 16年夏、東京都大田区にある「大田黒湯温泉 第二日の出湯」の浴場の壁面にゴジラが出現した。これは同年の大ヒット映画『シン・ゴジラ』のロケが大田区の各地で行われたことから、大田区と映画がコラボして展開したキャンペーン事業のひとつ。湯船に浸かりながら、羽田空港や多摩川、池上本門寺といった大田区の名所に襲いかかるゴジラが楽しめるという趣向に、地元の子どもたちから全国のゴジラファンまでが沸き立った。

 この迫力満点の絵を描いたのが田中みずき氏。今や日本で3人しかいない現役銭湯ペンキ絵師のなかで最年少にして、唯一の女性職人だ。これまでに100軒以上の銭湯の壁面を手掛けてきた一方で、近年はイベントでのライブペインティングや、銭湯の壁面を活用した企業PR案件も増えている。なかでも、映画とのコラボは18年に『ジオストーム』、19年に『アベンジャーズ/エンドゲーム』(ともに台東区・寿湯)と相次いでいるように、“銭湯×映画”の相性はいいようだ。

 絵師としての活動のかたわらで、大学在学以来、銭湯文化の歴史を調べ続けている田中氏によると、そもそも銭湯ペンキ絵というのは「広告と深く結びついたメディア」だったという。

「かつて銭湯が日本人の生活の一部だった時代には、近隣の散髪屋さんや飲食店などの広告看板がペンキ絵の下にズラリと並んでいました。その広告費で、ペンキ絵の制作費も賄っていたんです。ペンキ絵師も今のように独立した職人ではなく、広告会社に所属していた方がほとんどだったようです」

 さながら広告代理店のアートディレクターといったところだろうか。しかし、そうした広告としての機能も、内湯の普及に伴う銭湯の減少から徐々に失われていく。

■近年は弟子入り志願者が増加傾向。男性より女性が多い

 大学で近代美術史を専攻していた田中氏が銭湯ペンキ絵と出会ったのは、卒論のテーマを模索していた頃のこと。身近な生活に溶け込んだアートとしての銭湯ペンキ絵に魅せられ、その制作の現場に興味を持ち、後に「現代の名工」の1人に選出されることとなるペンキ絵師の中島盛夫氏のもとを訪ねる。それが、04年のこと。その時点ですでに現役の銭湯ペンキ絵師は3人にまで減っていた(1人はその後に他界)。

「絵画という観点からも、銭湯ペンキ絵は非常に独特です。たとえば使うペンキは赤・青・黄・白の4色だけですべての色を表現します。また基本的に作業できるのは銭湯の休館日で、あれだけの大きな絵を1日で描き上げてしまいます。この技術を途絶えさせてはいけないと思い、描き方だけでも教えてほしいとお願いしました。最初は『仕事の数も減ってきており、今後の生活を保障できないから』と断られたのですが、何度も食い下がったところ『ちゃんと会社に就職するんだったら、見習いに来てもいい』と。やんわり断る口実だったのかもしれませんが(笑)、ひとまず受け入れていただけたことがうれしかったですね」

 師匠の言葉を守り、大学院卒業後は美術系出版社に就職。会社が休みの土日に師匠のもとに通う二足のワラジ生活を送る。ところが、銭湯ペンキ絵の制作が行われる銭湯の休館日は基本的に平日。体調を崩したり、なかなか現場に立ち会えないこともあって、1年半で退職し、アルバイトで生計を立てながら修行に邁進する。それから約10年、2013年に独立する。

「銭湯ペンキ絵という文化を絶やしてはいけない」というモチベーションからこの世界に飛び込んだだけに、自身のブログやメディア取材など情報発信も積極的にしてきた田中氏。そのためか、近年は弟子入り志願者も増えていた。それも「私へ問い合せを下さる方は、どちらかというと女性からの問い合わせが多い」という。とはいえ、銭湯ペンキ絵師の仕事ぶりを聞くと、女性にはなかなかハードな面も多いようだ。

「肉体労働の側面は大きいですね。湯船の上に組んだ足場やハシゴの上など高所での作業も多いので、足腰がしっかりしてないと危険なんです。また、空や海といった広い面を塗るときには腕を大きく動かすので、慣れるまではいつも腕が筋肉痛になりました」

■銭湯ペンキ絵師という“肩書き”への注目度の高さ

 弟子入り志願者には、志望動機を確認した上でそうした仕事の厳しい面も丁寧に説明する。とくに女性志願者との面談の際には、どのようなライフプランを描いているかを確認するという。

「女性に関わるものとしては、結婚や出産への希望があります。状況によってどのように仕事のプランを立てて経済的な準備をしておく必要があるのかも変わってくるので。長く仕事を続けたいのであれば、いろいろなことを逆算して人生設計を立てないとなかなか厳しい世界ではあります。とはいえ、すべての方とお話ができるわけではなく、順番や運もあります」

 女性にとってさまざまなハードルがある一方で、日本文化を継承する職業であるにも関わらず、わずか3人しかいない銭湯ペンキ絵師という“肩書き”への注目度は高い。田中氏は、近年、海外からの取材も増えているとし、「職業として注目していただいているということは感じます。ただ、銭湯関連の仕事では、特殊な分野の職人がたくさんいるので、SNSなどで情報が得やすい分野だけではない仕事に関心が広がればと思います」。また、“職人の仕事”に対しては「名前を出さずとも、仕事がわかる人にはわかるという形でやってきていた工芸的な側面が忘れられ、個性をアピールする近代の遺物とも言える感覚が未だはびこっているのだと思うことも多いです」と本職の立場からの思いを語ってくれた。

 こうした世の中のさまざまな動きもあり、職業としての銭湯絵師の認知度が上がるとともに、“絵描きのプロ”として生きていく道のひとつとして、弟子入り志願をする美大出身者も増えているという。

「ただ、銭湯ペンキ絵師というのは絵描きである以上に、職人としての側面が大きいんです。題材も基本的に依頼主の希望に沿って描くわけですから、アーティストとしてのアイデンティティを追求したい方には難しいかもしれません。美術史的には、幕府や貴族の御用絵師に近いですね。もちろん狩野派のように、同じモチーフを描いていても個々の絵師の個性というのはどうしても滲み出てしまうもの。そうしたおもしろさを理解したうえで、自分の仕事に常に問いを持って、それをクリアするということを繰り返していける方は向いていると思います。とはいえ、今の自分には弟子をとる技術も技量もないので今後の課題でもあります」

■職業としての経済的な安定が後継者問題のひとつのテーマ

 銭湯ペンキ絵師の技術を継承していくためには後進の育成が欠かせないが、後継者問題のもうひとつのテーマが、職業としての経済的な自立だ。田中氏が弟子入り志願をした際の条件が「別職を持つこと」だったのも、銭湯ペンキ絵師だけで生計を立てられる保証がなかったからだ。しかし、若い世代に参入してもらうっためには「職業として食べていけるシステム作り」は必須であると田中氏は言う。

 銭湯ペンキ絵とは、湿度の高い環境での劣化もあり、2~3年置きに描き直しがあるが、銭湯が減少しつつあるなかで、需要は決して多いわけではない。それを補うための取り組みとして、見習い時代から田中氏は「広告メディアとしての銭湯ペンキ絵」復興のための取り組みを続けてきた。東京・神田にある稲荷湯では、近隣の商店から広告を募る仕組みを確立させている。また、冒頭で紹介した企業PR案件もそのひとつで、映画のほかにも自動車メーカー・Audi Japanをはじめとする大型案件も実現させた。

 内湯が普及した現代は、日常的に銭湯に通う人が減った一方で、近年はそのレトロな雰囲気を生かしてイベントスペースとして活用されるケースが目立つ。また、レジャー的に銭湯に足を運ぶファンも増えているほか、サバンナ・高橋茂雄や俳優の磯村勇斗など銭湯好きを公言する多くの芸能人のメディア発信の影響もあり、ここ数年は1日1浴場あたりの平均入浴者数も上向きになっているという。

 こうした追い風も受けるなか、田中氏は銭湯ペンキ絵の奥深い魅力を熱く語ってくれた。

「文人画などを観ていると、絵のなかの人物と気持ちがシンクロするとよく言われますが、実は私も長いことピンと来なかったんです(笑)。ところが、銭湯に入ってぼんやりペンキ絵を眺めていたら、自分自身もお湯のなかでゆらゆら揺れていたこともあって、描かれた雲と湯気が重なり、絵の風景に入ったような体感があったんです。絵と自分が自然と一体になる、その感覚をぜひ味わっていただきたいですね。そして、ペンキ絵には銭湯店主の趣味や地元の名所など『その銭湯らしさ』が出ることも多々あります。絵をきっかけに、銭湯のことをもと知っていただけたらありがたいです」