元おニャン子クラブのメンバーで女優の生稲晃子(51)が29日、都内で行われた乳がん検診の大切さを訴える『ピンクリボンフェスティバル』に登壇。自身が経験した約5年におよぶ闘病生活を「ある意味ですけど病気に感謝をしている自分がいます」と前向きに考えるようにしていることなどを語った。

【写真】『ピンクリボンフェスティバル』の模様

 生稲は、2011年に乳がんと診断され早期発見だったことから、主要部分のみを切断する手術を受けた。翌12年にがんが再発しその時も乳房は温存、しかし13年に2度目の再発がわかり、右乳房を全摘出。そして15年11月に闘病生活を続けていたことを公表し、それまでに5度の手術を受けていた。

 2度目の再発について生稲は「ショックは最高地点に到達していました」と振り返り「最悪のことも考えないといけない覚悟も必要でした。でも、子どもが小さかったので死ぬわけにはいかない。子どもが成人するまでは生きていないといけない。そう思い、(再々発が)わかったその日に、全摘出をお願いしました」と回想。

 闘病生活を乗り越えられたのは、家族と2人の“ママ友”の存在があったことを明かした生稲は「夫はがんの話を家の中でしなかったです。『俺が全部やるから』とかそういうのも一切なかった。でも、それが私には良かったみたいで変わらない日常を家の中で作ってくれました。もし優しい言葉をかけられたら心が折れてしまったかもしれない。『家に帰ったら娘のことをやらないと』と必要とされていると思う気持ちが、生きる励みになりました」と家族に感謝。

 2人のママ友については、万が一のことが起きた場合に娘の助けになってもらいたいと世間に公表をする前に乳がんであることを伝えた。「『気づいてあげられなくてごめんね』と言われたんです。その言葉に感動と感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいで。今でも付き合っている友だちですけど、病室に花が届いて2人の名前が書いてありました。信頼できる方には伝えたほうが良いのかなと思います」とすべてをひとりで背負わないことの大切さも口にした。

 最後に「乳がんは、死ぬかもしれない病気なので良かったとは思っていません。でも、乳がんになったことで家族の存在や仕事があるありがたみや自分が支えられて生きているということを学べました。普通に生きていることが幸せということ、振り返ればつらい日々ではありましたが、貴重な経験だったかもしれないですね」と結んだ。

 同フェスティバルは、公益財団法人日本対がん協会などが「乳がん検診の大切さを伝え、患者さんを支えていく活動」として03年から開催。乳がんで命を落とす人をひとりでも減らせるようにと、乳がん検診受診率の向上と患者とその周りの人たちを支える活動を行っている。