9月14日に最終回が放送された『だから私は推しました』(土曜夜11時半~)や、評価が右肩上がりの『これは経費で落ちません!』(金曜夜10時~)など、今クールのNHKドラマを評価する声は多い。さらに、8月31日からは『サギデカ』(土曜夜9時~)が加わり、9月中旬にはそれぞれのクライマックスが重なり合うかたちで、SNSでも大いに盛り上がりを見せている。

【写真】密室で向かい合う木村文乃と高杉真宙

■緻密な取材にもとづく1話の情報量の多さ

 木村文乃が特殊詐欺捜査を専門とする警部補を演じる『サギデカ』は、『透明なゆりかご』に続き、プロデューサー・須崎岳×脚本家・安達奈緒子のタッグで描かれる社会派ドラマ。全5回放送で、すでに3回分を終了している。

 本作にまず唸らされるのは、現代の詐欺手口のリアルさだが、この土台にはプロデューサー、演出家、脚本家が非常に手間をかけて行った緻密な取材がある。例えば、初回では、木村文乃演じる主人公・今宮と駆け引きを繰り広げることになる、振り込め詐欺の「かけ子」加地として高杉真宙が登場する。かけ子の研修は、スーツ姿で「時間厳守」で行われ、そこだけ見ると一般企業の研修にしか見えない。ひとつの集団は「箱」「店」、リーダーを「店長」で、詐欺がうまくいったときに全員で盛り上がる様子には、企業ドラマでプロジェクトを成功させたシーンのような高揚感、一体感が漂う。

 また、第2話では「地面師詐欺」と「投資詐欺」が登場。ここでは、老人たちが被害者ではなく、「加害者」側になっていく経緯が描かれていた。第3話では、若い女性が加害者となり、老人からキャッシュカードを奪う「令和(改元)詐欺」と、アポ電が集中するエリアを狙って張り込みする捜査員たちの姿がリアルに描かれていた。その描写だけでも見応え十分だが、本作の主眼は、そうした詐欺の手口にはない。

■主眼を置くのは詐欺をする側・される側の「心理」

 取材すればするほど、その内容を厚く細かく盛り込みたくなるもので、それで「物語」が置いてけぼりになるのは漫画やドラマではよくあるパターン。しかし、本作では、取材にもとづいたリアルな描写をしながらも、主眼を置いているのは、詐欺をする側・される側の「心理」である。また、なぜそうした心情に至ったかを、それぞれの立場や家庭環境、社会的背景から浮き彫りにしている。

 例えば、振り込め詐欺の「かけ子」をする加地は「僕らの仕事は社会の役に立っている」「僕らは、弱い者から奪っているわけじゃない。経済的強者(高齢者)から奪っているだけ」という奇妙な主張をする。

 実は加地には幼少時に父と母がいなくなり、弟の面倒をみながら近所の人から食事をもらうなどして生活していたが、弟が衰弱死し、自身は児童保護施設に送られたという過去があった。自身が苦労してきた経験があるからこそ、お金に執着し、社会に絶望感を持ち、「今の社会で同じように努力して、振り込めと同じように稼げるのか」と問いかけるのだ。

 時代・世代的な問題と家庭環境とが生んだこの「理屈」に対し、最終的に今宮は刑事としては明らかにNGなこんな反論を投げつける。
「やるんだったら、本当にがめつい年寄りをピンポイントに狙ってよ! このご時世にいまだに恫喝で人に言うこときかせて、若者を虐げて搾取して、自分は労せず庶民が見たこともないようなお金を集めて、誰にも渡さず既得権益に守られてのうのうと生きてる、そういうヤツから奪いなさいよ!」

■「犯罪」に関わる人たちが繊細に多角的に描かれる

 また、第2話で地面師詐欺に加担させられた、元教師で認知症の男性(伊東四朗)は、教え子だと思っていた女性が自分を騙すために近づいた女詐欺師(筒井真理子)だと知っても、なお言う。
「先生のおかげで助かったって。ありがとうって。ええ……嬉しいねえ。このトシになってもまだ生徒の役に立てる。俺は幸せだ~」

 これはおそらく負け惜しみでも何でもなく、我が子にすら認知症を理由に、まともに話を受け取ってもらえなくなった老人の「誰かに必要とされたい・役に立ちたい」、そして教師としての「誰かに頼られたい」思いからだろう。

 さらに第3話では、「虐待」する側・される側の背景も描かれていた。改元詐欺を行った若い女性が、実は親に虐待され、詐欺に協力させられていたことがわかるが、親から逃げなかった理由は「立場が逆転したからかな。今はあの2人(両親)が私の言いなりだから」という。

 そして、父親が詐欺で失敗すると、飯抜きにしたり酒をとりあげたり、冬に一晩中車の外に出したりしたことを笑いながら話す。しかし、そうした行為が復讐なのかと問われると、こう言うのだ。
「復讐?……言わせたいんだと思う、あの2人に。『あなたがいて良かった』と」

 犯罪のニュースを見る、聞くとき、大多数の人は当然ながら被害者側で見て、加害者を憎み、被害者に同情する。しかし、本作は「犯罪」に関わる人たちの家庭環境や社会的立場、巻き込まれるに至った心情などが繊細に多角的に描かれているために、観ているうちにその軸が揺らぎ、何を憎むべきなのかがわからなくなってくる。深く考えさせられるし、なんとも後味が悪い。だが、そうした問題提起こそが、このドラマの大きな意義なのではないだろうか。
(文/田幸和歌子)