脚本家の三谷幸喜が、きょう19日放送のフジテレビ系『直撃!シンソウ坂上』(毎週木曜 後9:00)に出演。“天才”三谷がどのように育ってきたのかを探るため、母親の直江さんに自宅で独占取材を行う。

【番組カット】三谷の母親・直江さんへの独占取材も敢行

 1961年、東京で生まれた三谷は母と祖父母、さらに年が離れたおじとおばら7人に囲まれて生活をしていた。大人たちの言葉が飛び交う家庭環境で育ったため、近所のおばさんに会えば「奥さん、よくお会いしますね」と大人びたあいさつをし、もらったお年玉の大部分をミステリー小説につぎ込むような少年だった。

 当時、人形遊びに夢中だったそうで、母の日のサプライズとして、直江さんに人形劇をプレゼント。それは、直江さんの部屋いっぱいに人形を配置しひとつの“村”を作り上げたセットで、音楽や照明を駆使しながらストーリーを作り上げる大作だった。三谷がおそらく人生で初めておこなった舞台演出に、直江さんは感動して涙したという。そして、三谷の才能を感じていた直江さんは、息子が当時憧れていた「喜劇王」チャールズ・チャップリンに会うために、2人でスイスに会いに行くという驚きの行動に出る。スタジオでは、三谷が人形劇を企画した背景や、チャップリンに会いに行った際の顛末(てんまつ)を語る。

 その後、三谷は演劇の世界を目指し日本大学芸術学部へ進学、そして在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げ、中心メンバーだった西村まさ彦、梶原善、相島一之は今なお活躍を続けている。今でこそ伝説の劇団として語り継がれている同劇団だが、旗揚げ当初は全く客が入らず劇団は赤字運営だった。そこで三谷は、劇団の活動資金を得るためにテレビの放送作家のアルバイトを始めた。

 しかし、企画会議では雰囲気になじめず積極的な発言ができないまま。一度は放送作家の職を投げ出し、無職状態に陥ったが、そんな不遇な時期に1本の電話が彼の運命を変える。それは、深夜ドラマながら人気を博していた『やっぱり猫が好き』の脚本のオファー。放送作家として結果を出すことができず、テレビの世界は向いていないと思っていた三谷だったが、この作品をきっかけに大ブレークを果たした。

 さらに、担当する作品に劇団員を出演させることで、劇団自体も有名になっていった。しかし、人気絶頂の1994年に活動を休止する。活動休止後、それぞれのフィールドで活躍していた劇団員たちは、活動休止から8年後に願わぬ形で再集結することになる。きっかけとなったのは、三谷と大学の同期で、劇団の中で最も頼りにしていた俳優・伊藤俊人さんの早すぎる死。三谷は、伊藤さんへの思い、伊藤さんが亡くなった際の病室での驚くべきエピソードを明かす。