旧日本海軍の象徴ともいえる存在だった「戦艦大和」。“世界一”とも謳われながら、その実力を発揮することなく終わった非業の戦艦は、ドラマ性と威容が相まって今なお絶大な人気を誇っている。しかし、その存在自体が最高機密であったがため、資料が極端に少ないことでも有名だ。では、モデラーたちは一体どうやって大和の造形をしているかと言えば、“妄想”の一言に尽きるのだという。今回、艦船モデラー・芦田秀之氏(屋根裏部屋の男@yanesan1970)が資料研究と空想のうえで作り上げたスケールモデル「戦艦大和艦載機・零式水上観測機整備風景」を公開。氏が語る戦艦大和への尽きぬ思いとは。

【写真】まるで映画の1シーン、幻の「戦艦大和」艦載機格納庫を再現

■誰も作っていない「戦艦大和の艦尾格納庫」を再現したい

――本作のベースとなっているキットやフィギュアは何でしょうか。

【芦田秀之】零式水上観測機は、タミヤ1/50スケール「日本海軍 零式水上観測機 F1M2」を使用しています。キットでは省略されている操縦席・観測席・瑞星発動機(エンジン)は、キットパーツを芯にして自作パーツで改良しました。また、主翼の折りたたみ状態を再現する為、資料を参考にして金具や翼断面などを自作しています。乗員フィギュアは、タミヤ1/48スケール「ミリタリーシリーズ ドイツ戦車整備兵セット」他を使用し、日本海軍整備兵・兵員・パイロットに改造。舞台となる格納庫は、プラ板を主材料にフルスクラッチしました。

――まるで映画の一場面のような作品です。本作のテーマを教えてください。

【芦田秀之】戦艦大和の正確な主砲射撃の影に、「零式水上観測機」による着弾観測がありました。大和の46cm主砲弾の射程距離は40kmを越えると言われており、遥か水平線の彼方にある敵艦に命中させるには、観測機による高度7000m上空からの着弾観測情報で誤差を修正し、着弾精度を上げる戦術だったのです。そんな過酷な任務に就く零式水上観測機を主役に、大和の艦尾艦内格納庫での整備風景を想像し、謎多き戦艦大和の艦内格納庫の一部を切り取った形で作り上げたのが本作品です。戦場へ向かう直前に、格納庫内で繰り広げられる整備風景、作戦会議の様子、束の間の休息をとり戦友と語り合う兵員の姿を、当時の戦艦大和艦内の様子に思いを馳せながら創作しました。

――本作を制作するきっかけを教えてください。

【芦田秀之】きっかけは、タミヤ1/50スケールプラモデル「日本海軍 零式水上観測機F1M2」を2009年に手に取った事でした。このキットはニチモの1/200スケール戦艦大和が発売された1968年の前年、67年に発売(93年再販)されたとても古い金型のキットでタミヤの秀作キットと言われています。当時、友人であり“プラモデルのマエストロ”ことプロモデラー・越智信善氏が店長をされていたレオナルド2横浜店にお邪魔した折に、たまたま棚にあった中古品を発見し、購入前にこのキットのウンチクを越智氏に一通り聞かせてもらいました。越智氏も私と同じニチモ1/200戦艦大和を作られていた事から、艦載機である零式水上観測機を「主翼を折りたたみ状態で再現する」事が話題になりました。それならばまだ誰も作っていない「戦艦大和の艦尾格納庫」を再現したいと思い立ちました。

■戦後の日本が「モノづくり大国」として認められる礎となった技術の結晶

――制作で苦労した部分を教えてください。

【芦田秀之】実際に大和の艦内がどうだったのか?当時の最高軍事機密であった事から、全体の図面はおろか写真すら残されていない物を「想像」だけで「創作」する作業となりました。工作に入る前に1/200スケールの大和を元に、艦尾飛行甲板付近を検証する事から始めました。しかし、艦内の資料、とりわけ格納庫内の資料は全く無く、大和ミュージアム館長、戸高一成氏が『大和ミュージアム館長ノート』で書かれている「尽きない大和の疑問」の中で“想像”として格納庫について触れられている程度でした。逆に言えば、今となっては大和の研究者であっても実物の内部を見た事が無く、「これが正解」が無いだけに、あくまでもフィクションとしてそれらしく作られると言う事でもあり、それこそが模型の面白いところでもあると考えました。

――限られた空間の中で、ストーリーを表現するコツはありますか?

【芦田秀之】私の場合、キットを手にした時から頭の中で大筋のストーリーや構図などの「作品完成イメージ」が出来上がっていて、それに向けて資料集めをし、寸法などを決めて作り上げています。本作での私の頭の中のイメージは「映画のセット」でした。「映画のワンシーン」を思い描き「映画のセット」を組み上げるイメージで作り、作成途中に何度も写真撮影をし、その「見え方」を確認しながら修正やパーツを作って加える作業の積み重ねです。

――コメントの端々から“大和愛”を感じます。大和に対する想い入れを教えてください。

【芦田秀之】小学生の頃、父親の友人がご夫婦で経営されている模型店のショーウィンドに飾られていた、自分の背丈ほどある日本模型(ニチモ)の1/200スケール「戦艦大和」との出会い、そして初めて親父に買ってもらったプラモデルが1/700スケールウォーターラインシリーズの「戦艦大和」だった事もあり、モデラーとして今でも戦艦大和には思い入れが強くあります。また、81年(昭和56年)に劇場封切り公開された東宝映画製作・東宝配給の特撮戦争映画『連合艦隊』の劇中に登場した縮尺1/20戦艦大和の模型が当時話題となりました。田舎なので、中学生の頃に数年遅れで鑑賞し、歴史的背景については判らぬまま、戦艦大和が沈むシーンを見て涙したのを今でも覚えています。

――当時と今では「戦艦大和」への印象は変わりましたか?

【芦田秀之】スケールモデル制作を通じて大和が建造された歴史的背景も学びました。模型として作る大和は今見ても艦影が美しい船であり、戦後、日本が「モノづくり大国」として世界に認められる礎となった技術の結晶であります。当時の職人たちによる“匠の技”が作り出した構造美が魅力であり、私にとって永遠の憧れでもあります。一方で、兵器として誕生した歴史を背負っている点も忘れてはなりません。大和の“美しさ”や“歴史的な重み”をプラモデルで表現するのが自分の目標でもあります。