1958年に国産プラモデルが誕生してから60余年。娯楽の少なかった昭和の時代、子どもたちにとって模型屋や駄菓子屋に飾られたプラモデルは“宝モノ”だった。そんな幼少期を送った艦船モデラー・芦田秀之氏(屋根裏部屋の男@yanesan1970)に、プラモを一緒に作った大叔父との思い出や、スケールモデルを制作することの意義を聞いた。

【写真】まるで映画の1シーン、「戦艦大和」艦載機格納庫を再現

■プラモデルを売っている模型屋や駄菓子屋は子どもにって“宝箱”だった

――プラモデルの魅力に目覚めた原体験を教えてください。

【芦田秀之】プラモデルの魅力に目覚めたのは小学生の頃(1980年代)です。親父の友人がご夫婦で模型店を経営されていて、そこに初めて連れられて行った時に、自分の背丈ほどある巨艦がショーウィンドに飾られていました。それが日本模型(ニチモ)の1/200スケール「戦艦大和」との出会いです。

――子どもにとって、あのサイズは衝撃ですね。

【芦田秀之】その大きな大和を見て、初めて親父に買ってもらったプラモデルは、1/700スケールウォーターラインシリーズの「戦艦大和」でした。家庭用のゲーム機など無かった時代ですし、元々絵を描いたり、工作をする事が大好きでしたので、プラモデルの魅力に目覚めるのは自然な流れだったと思います。その後は、学校が終わると友人と模型店に立ち寄り、でっかい戦艦大和を見ては「いつか作りたい」と言う妄想をしておりました(笑)。

――当時、プラモが飾られている模型店や駄菓子屋は宝箱でした。

【芦田秀之】お店に行く度にプラモデルの作り方や色の塗り方などを教えてくれて、プラモデルの魅力に目覚めさせてくれた模型工作の先生が、今は亡き店主でした。 

――プラモとはどういう距離感だったんですか?

【芦田秀之】中学生までは下手ながらガンプラに『宇宙戦艦ヤマト』、バイクやカーモデルなど様々なプラモデルを作っていたのですが、高校進学で部活などが中心の生活になり、社会人になってからも模型作りからは離れていました。2007年に始めた「ブログ」ネタの1つして、子どもの頃憧れたキット「ニチモ1/200スケール戦艦大和」を作り始めたのが(未完ですが…苦笑)出戻りモデラーの第一歩でした。 

――子どもの頃の夢を叶えようとしたわけですね。

【芦田秀之】そうですね。大和を作る上で資料を求めてインターネットを検索する内に、当時ディアゴスティーニが販売していた『週刊・戦艦大和を作る』(通称やまつく)について、制作の情報交換をするポータルサイトを見つけました。そこで出会った人々との繋がりが、艦船モデラーとしてのターニングポイントになりました。

――大和をきっかけに熱く語り合う仲間が出来たと。

【芦田秀之】はい。以来、そのメンバーとは10年以上、毎年国内各地で「やまつくオフ会」を開催し、近年は艦船模型を中心に完成させた作品を持ち寄っています。

■模型作りを通じて教えられた「戦争の怖さ」

――プラモの制作には特別な思いがあるとのことですが。

【芦田秀之】私の住む隣町、兵庫県加西市に終戦間際まで運用されていた旧姫路海軍航空隊の鶉野(うずらの)飛行場跡があります。当時、航空隊には17歳から25歳までの若者が全国から約320名集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていったそうです。

――それは特攻隊ですか?

【芦田秀之】昭和20年に、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」(シラサギと書いてハクロ)が編成され、終戦までにここから飛び立った63名の尊い命が失われました。また、飛行場の西南には、当時川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」など500機余りの戦闘機が組み立てられたそうです。現在も幅60m、全長1200mのコンクリート製滑走路が当時のまま残され、その周辺には姫路海軍航空隊の地下防空指揮所跡や防空壕跡、機銃座跡などの貴重な戦跡が点在しており、その保全と後世に戦争の怖さを伝える平和学習の為の取り組みに私自身も参加しています。

――プラモデルを作ることで、艦船や航空機の歴史に興味を持つ方は多いと思います。

【芦田秀之】自分達が暮らす地域で海軍航空隊が身近にあった事、そこから多くの若者が戦地へ飛び立って行った事、艦船や航空機の技術が戦後日本の工業製品技術の礎となっている事などを知らない方々に、当時の写真資料だけでなく、立体物として作った艦船模型を通じて1人でも多くの方に戦争のことを知って欲しいと考えています。

――プラモデルを通じて戦争のことを伝える活動をされているんですね。

【芦田秀之】18年11月に神戸の御影公会堂で『加西・うずらの飛行場関連 海軍航空隊地域間連携シンポジウム』が開催され、国内各地から集まった関係団体の方々による多彩な講演や展示を実施した中で、関連模型展示を担当させて頂きました。その展示用に新たに作り起こしたのが本作「戦艦扶桑」だったのです。老若男女問わず多くのご来場者にご覧頂く中で、お子さん連れのご夫婦や、女性の方も多く模型作品を鑑賞して頂き、特にお子さんにも興味や関心を持って頂けた事が嬉しかったです。

――子どもの頃のそうした体験は重要ですね。

【芦田秀之】私自身、大叔父(親父の叔父)が戦時中「呑龍(一〇〇式重爆撃機)」の操縦士だった事から、敵機の機銃掃射で負傷しながら墜落を免れ命からがら帰って来た事など、会う度に話を聞いていました。小学生の私があまりに興味津々にその話を熱心に聞くものだから、大叔父も気をよくしたのか例の模型店に一緒に行き、自分が乗っていたと言う「呑龍」(メーカー及びスケールは失念)のプラモデルを買ってくれたのです(笑)。下手な作品でしたが、完成させた「呑龍」を見ながら指差して、ここが操縦席、機銃等々、当然実物は見られないですが模型を見ながら教えてもらった事で「戦争の怖さ」も教えられました。

――芦田さんにとってスケールモデルとは?

【芦田秀之】SNSやオフ会、地域での模型展示を通じて、年齢も職業も性別も住む地域も超えて繋がる事が出来る最高のコミュニケーションツールです。