女優の綾瀬はるかが、6日と15日の午後11時から2回に渡って放送されるTBS系報道番組『NEWS23』特別企画『綾瀬はるか「戦争」を聞く』に出演する。毎年、様々な戦争体験者の声に耳を傾け、その平和への願いを伝えてきた綾瀬。今年は6日放送回では出身地である広島を訪れ『1945年8月6日 天神町』、番組を20分拡大する15日放送回では『トーキョーダモイ~シベリア抑留者たちの記憶』という2つのテーマを取材した。

【写真】広島を訪れる綾瀬はるか

 現在、多くの外国人観光客や修学旅行生が訪れる広島平和記念公園。原爆投下前、この一帯は繁華街で、映画館や喫茶店などが建ち並び、人や荷物を運ぶ船が行きかう活気あふれる場所だったという。原爆で一瞬にして消えてしまった街を再現しようと、広島市は4年ほど前から平和記念公園で発掘を行っている。出てきたのはビール瓶や色鮮やかなタイル、おしゃれなお皿など、人々が暮らしていた痕跡だった。当時のにぎやかな様子、そして、すべてを一瞬で奪った原爆。74年前、いまの公園内にあった天神町で暮らしていた女性に、綾瀬が話をきく。

 そして1945年8月15日。戦争が終わったはずの中国大陸では、新たな『戦争』が始まっていた。北から攻め込んできたソ連兵に、およそ60万人もの日本人が『トーキョーダモイ(東京に帰る)』と騙され連行された。向かった先はシベリア。冬には氷点下40度にもなる極寒の地で、彼らは強制収容所に入れられ、森林伐採などの重労働を強いられた。「そこは地獄だった…」と、多くの体験者が証言するその場所では60万人の抑留者のうち、1割にあたる6万人もの人たちが寒さや飢えで死んでいった。

 京都の日本海に面した港町・舞鶴を訪れた綾瀬。シベリアに抑留されたものの、なんとか命をつなぐことができた日本兵や民間人は、この港から日本へ帰ってきた。戦争が終わったのに、なぜ多くの人が死ななくてはならなかったのか? 抑留者たちは何を見て、どのようにして生き延びたのか。 平均年齢96歳となった抑留体験者たちの話に、綾瀬が耳を傾ける。なお、綾瀬はスタジオにも生出演し、8月15日以降も続いた『シベリア抑留』という“もう一つの戦争”の実態を伝える。

 綾瀬は「今回は、飢えと寒さの中で過酷な労働をさせられ、次々と仲間が死んでいくシベリア抑留の壮絶な体験談をお聞きしました。体験を話して下さった安田さんは、戦争の苦しみを伝えていくことの難しさをおっしゃっていましたが、お話を聞かせていただいた一人として、私も一人でも多くの戦争を知らない世代の方々にお伝えしていきたいと思います」とコメントを寄せている。