アニメーション映画監督の細田守氏が3日、東京・竹橋の東京国立近代美術館で、『高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの』(開催中~10月6日まで)を記念したトークショーに登壇。約1時間半にわたって、高畑勲監督が“遺したもの”について、熱弁をふるった。聞き手はフリーアナウンサーの宇垣美里が務めた。

【画像】『高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの』展示内容

 細田氏は、1991年に東映動画(現・東映アニメーション)へ入社し、アニメーターとして経験を積んだ後、演出(監督)となり、『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『未来のミライ』などの話題作を手がけ、現代の日本のアニメーション界を牽引する1人として活躍している。

 今回の展覧会には、高畑さんの遺品の中から新たに見つかった、『ぼくらのかぐや姫』(1960年前後)と題されたメモが展示されている。東映動画で『竹取物語』の漫画映画化が計画された際(実現はしなかった)、当時新人だった高畑さんが提出し、不採用となった脚色プロット案の一部と思われるものだ。

【細田】今回の展覧会は、「かぐや姫」の企画書の展示ではじまり、『かぐや姫の物語』(2013年)の展示で終わる、円を描いている構成もよかった。『かぐや姫の物語』は、高畑監督のある意味、集大成。これまでに手掛けた作品のいろんな要素が入っている感じがするし、ずっと積み上げきた作品づくりの一つの到達点のような気もします。

【宇垣】高畑監督が手掛けた作品の中で、一番好きな作品は?

【細田】テレビシリーズの『赤毛のアン』(1979年)ですね。小学6年生の時にリアルタイムで見て、その後、再放送で何度も見ました。見るたびに違う印象が残る、そういう作品はそうそうない。全50話を高畑さん一人で演出しているんですが、1本の映画を50話に分けて見せられている感じ。日常的な時間が流れていて、刺激的なことが起こるわけじゃないのに、一瞬たりとも見逃せないという迫力に包まれてしまう。宇垣さんは?

【宇垣】私は『かぐや姫の物語』ですね。なぜ、おじさんが私たち(女性)の気持ちがわかるのだろう、とびっくりしてしまった。かぐや姫が走る姿は躍動感にあふれていて、引き込まれてしまうし、彼女の慟哭、嘆きがまっすぐ伝わってくる。高畑監督の作品は押し付けがましくない、というか、受け止め方はあなたの自由です、と置いてきぼりにされた感じになるところが好き。人によって感じることが違って、それを話し合うのも楽しい。

【細田】つまり、客観性ですよね。主人公に感情移入させて、主人公になったつもりで物語を追っていくやり方ではなくて、主人公はいまどういう状況に置かれているのか、見ている側に考えさせるのが、高畑さんの演出。共感させるだけが映画じゃない。いまは共感を求められがちだし、共感できないとダメみたいな風潮があるけれど、それからすると真逆。見るたびに感想が変わるというのも、客観的に描かれているからだと思う。

■高畑監督は「アニメーションとは何か」を考え続けた

 『高畑勲展』の展示で、細田氏が「初めて生で実物を見て感動した」と、トークのテンションが一段階上がったのは、『セロ弾きのゴーシュ』(1982年)の美術(背景画など)について語った時だった。『セロ弾きのゴーシュ』は、オープロダクションの自主制作映画として、7年の歳月をかけて完成させた作品で、高畑さんが監督・脚本を担当し、ほとんどの背景画を美術の椋尾篁さんが描いた。椋尾さんは、細田氏が東映動画に入社した翌年の92年に亡くなっている。

【細田】椋尾さんといえば、劇場版『銀河鉄道999』や『母をたずねて三千里』などの美術監督です。『セロ弾きのゴーシュ』では、高畑さんからなかなかOKが出ず、5回くらい描き直したという話を雑誌のインタビューか何かで読んでいたんです。今回、(ボツになった)美術設計ボードが展示されていて、最終的に水墨画風のスタイルに至るまでのプロセスをうかがい知ることができます。すごく工夫して、苦心して編み出したんだな、というのがわかります。しかも、椋尾さんの美術がそのまま作品の世界観になっているんですよね。

 僕の作品の美術もそうなんですが、いま、リアル主義に偏っていて、フォトジェニックであることが求められがち。椋尾さんの仕事ぶりを見ると、やはりアニメーションは“絵”なんだ。写真とは違う。絵だから伝わるリアルな感動があるということを気づかせてくれます。それを引き出した高畑さんもまたすばらしい。

 高畑さんは宮崎駿さんと違って、自分で絵を描かない。だからこそ、アニメーションにとって絵とはなにか、アニメーション映画とはそもそも何なのか、ということへの問題意識が強かったように思えます。

 最近のハリウッド映画を見ていると、「ほぼCGアニメじゃん」と思うような実写作品がけっこうありますよね。一方、CGアニメーションは技術的なことを追究しまくって、“セーターの網目まで表現しました”などと、限りなく実写に近づいている。そんな中でアニメーションって何なのか、だんだんわからなくなっているところがあると思うんです。

 米国に行くと「なぜ手描きでやるのか?」「CGの方がもっとリアルにできるんじゃないか?」と言われますが、違うんですよね。アニメーションというのは、映像化の手段として選択しているわけではなく、アニメーションを作ること自体が目的でもある、と言いたい。

 絵に描いたもの、という実際の人間ではないものを通して人間を感じたい、と思うからアニメーションを見る。アニメーションで実際にいる人間に近いものを見て、何の意味があるのか? 石ころをコマ撮りした映像で、石ころが人間に見えてくる、というのがアニメーションを見る楽しみなじゃないか、と。それがアニメーションの目的であり、醍醐味だということを忘れないようにしたい。

■改めて思う、高畑監督の“スゴさ”とは?

【細田】高畑さんによって、アニメーションの表現の可能性が広がったことは間違いない。50年間の演出家として仕事する中で、こういうのもアニメーションでしょう、アニメーションならこういう表現もできるでしょう、という可能性をたくさん示してきた。『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』が放送された当時は本当にすごかったんですから(笑)。高畑さんが切り拓いてきたアニメーションの世界は、いまのままで終わるのか、もっと発展するのか、違う新たな力を持つのか、たくさんの人に届くようになるのか、問われていると思う。きっと面白いものになっていくと思うし、自分もやってきたい。